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ASOBIJOSの珍道中⑯:ファインダイニングの客と給仕たち

  ”ロマンティックの裏には、必ず、隠された激情がある。”
 と、この店一番の古株給仕人のシラガハヤブサが、両眉の上に深いシワを作って、貫くような眼差しをこちらに向けました。

 フレンチレストラン『La petite plantation』で給仕補佐になってから、すでに3ヶ月ほどが過ぎ、給仕人たちとも気心が知れてきていました。
 中でもこの古株給仕人のシラガハヤブサは、いつもTim Hortons(ティム・ホートン)というカナダのチェーン珈琲店のカップを持って、出勤時刻の30分前には店にやってきて、地下の更衣室でひゅるひゅると口笛を吹きながら白シャツにアイロンを掛け、毎度仕事終わりにピカピカに磨いている、穴飾り付きの革靴に履き替えると、同僚の一人一人とくだらぬ冗談まじりの挨拶を交わしながら仕事に入るのでした。
 ”ボーイ。見てみろ。あのベルベットのドレスを着た老婦人と青いジャケットの若いハンサム。一見親子のように振る舞ってるけど、机の下で手を握ってやがる。肉欲と札束の闇取引。あっちのライトグリーンのシャツの成金デブも、明らかに、同席の三人娘が雇われのコンパニオンだ。未成年かと思って年齢確認したけど、みんなそろって21歳だ。娼婦まがいの貧乏大学生ってとこだな。あの黒人のカップルだって、不倫だね。メルローとニューヨークストリップステーキが胃袋に収まったら、もうあの大男は待ちきれない、デザートスプーンで桃のコンポートをペシペシやっちまってる、、。”
 ”まともなお客さんはいないのか、、、。”
 ”いやいや、みんなまともだよ。お行儀よろしく、声は荒げず、ナプキンでお口元を拭って、グラスは静かに傾ける。アスパラガスだって小さく切ってお口に運ぶ、、。オテの上手なプードルみたいに、実にエレガントじゃないか。”

 それから、入り口の回転ドアが回って、アジア人の、今度こそまともな親子のような三人組が入ってくると、私たちは何も言わずに目を合わせ、お互いにポケットから10ドル札を取り出して、グラスが並べられたお盆の下に賭けました。
 あらゆる客がどんな事情で食事に来たのかも、その日何を注文するのかも、入店した瞬間に大方見えてしまうという、ベテラン給仕人特有の眼を持ったシラガハゲタカでしたが、私にも分がある賭け事が一つありました。
 ”中国人”と彼。
 ”いや、あれは日本人”と、私。

 さてさて、この3人組が座ったテーブルのグラスに、背筋を伸ばしたシラガハゲタカによってミネラルウォーターが注がれます。簡単な挨拶が済むと、黒い革張りのドリンクメニューとフードメニューが手渡され、詩のような名前がつけられたカクテルについての説明がなされ、本日のスープ、エスカルゴの味付けのソース、ロブスターの産地についての質問などに、端的な回答が返されていきます。
 しばらくして注文が決まると、給仕の青色柄付きカラスが、バタバタと羽音が鳴らないよう懸命に抑えながらも、非常に慌ただしいそぶりで、ホカホカのバゲットが入ったカゴを運んできます。
 それからフロアの中央にあるバーカウンターの中では、注文用紙を受けとった働き者のゴホンユビナマケモノが、光り輝くカクテルグラスをさっと並べ、氷を回し、リカーボトルを傾け、高くかかげてシェイカーを振り、グラスの縁にラベンダーを添えて火を灯し、ぽうっと、とろけるような香気を漂わせるのでした。
 
 このバーテンダーのゴホンユビナマケモノは、必ず府し目がちにシェイカーを振る姿に古典的な色気があり、カシャカシャと音が鳴ると、いつもそちらに目をやるのは、私だけではなく、彼の最愛なる給仕人のアカゲモモイロフラミンゴも、頬を赤らめながら、その姿に見惚れているのでした。
 仕事が終わるといつも、裏庭で強烈に甘ったるい香りのマリファナタバコをふかし、トロンと目を垂らして、見事に本来のナマケモノらしい顔付きに戻ると、愛しい愛しいアカゲモモイロフラミンゴの首にぶら下がって、にんまりと、そのまま天に召されるような表情で帰っていくのでした。
 
 ”なによ、トイレ空いてないじゃない!What a fuck!(このクソ!)”と、とにかく手当たり次第に文句を吐き散らかすのは、シングルマザーの給仕人の青色柄付きカラスです。
 ”なんでまかないがまだできてないのよ!”
 ”なんでこんなしょっちゅうメニューを変えるのよ、わずらわしい!”
 ”あぁ、もうこんなに毎日毎日カトラリーを並べろって、誰か、勝手に並ぶようなやつを発明しなさいよ!”
 とまぁ、ブツクサと、やることがなくても忙しそうにしているのも給仕の仕事だということも、この人が教えてくれたものでした。
 
 さて、宵も深まると、フロア中央の巨大シャンデリアの下では、蝶ネクタイをしたオオノドオナガザルのカントール(歌手)が、尻尾を器用にマイクに巻き付け、ウラァ〜、ウラァ〜と喉を鳴らし始めました。そして、”お食事をお楽しみの、紳士、ご婦人のみなさま。”と、あいさつを一つ。それからカウンターの上にひょいと飛び上がってみせ、もう一つひょいと、シャンデリアにぶら下がってしまうと、アカペラで、
 ”Flyyyyyy meeeeee toooo the moooooon."
 と、もったいつけながら一節をゆったりと歌うと、
 バンっと店内のスピーカーからバック演奏が流れ出し、そのまま、スウィングをたっぷりと聴かせて、子供におとぎ話を語り聞かせるかのように、眉をクイクイとあげながら、歌い上げるのでした。曲の最後はいつものお決まりで、人差し指を突き出し、ぐるりと観客を見回して、
 ”In other woooooords! I. Love…. You."
 と、したり顔で決めて、拍手を集めるのでした。

 そのまま続けて、フランスのシャンソンや、ジャズのスタンダードの熱唱が続いて、店内は大盛り上がりでした。私はその間も、額に汗をかきながら、バーテンダーに氷の入ったバケツとコーヒーカップが盛られたトレーを運び、ベルベットの貴婦人が『Autumn leaves』をカントールに合わせて口ずさみながら、机の下で、青いジャケットの若いハンサムの股間を握りしめている横を、洗い物の食器が山盛りになったカゴを担いで通り過ぎ、ライトグリーンのシャツの男の左右では、若い三人娘が、はち切れそうなドレスの胸元に実った、たわわなメロンをダイニングテーブルの上に乗せて並べて品評会をしており、それをあの男が、金色の腕時計をチラつかせながら、どれにしようかな、といわんばかりに、両手に握ったフォークとナイフを伸ばして、キャッキャ、キャッキャと言わせている後ろで、私は、キッチンカウンターに新しいお皿を担ぎ上げて補充し、向こうでテーブルから立ち上がった黒人のカップルは、お互いの腰に手を当てて踊りながら、一心不乱に接吻を繰り返しており、彼らにぶつからないように気をつけながら、大慌ててで、トイレの清掃と備品の補充に向かうのでした。そんな中でも、あのアジア人の親子3人組は、静かに、耳を寄せ合って、小さな声で話しながら、小さく口をモグモグとしながら食事をしており、”あれこそが、日本人だ!”と、私は小さく吹き出して笑ってしまうのでした。まるで、夏虫の絶叫の中を、縁側で涼んでいるみたいな、あの澄まし顔!


 あぁ、今日も足が棒だ。帰りにビールでも買って帰ろう。
 と、シラガハゲタカとの賭けで買った10ドル札をポケットに握りしめながら、ゆっくりとフロアのホウキがけをしていると、”イックウ、、”と、見るも惨めに、ブルブルと身を震わせながら、料理人の白ウサギが私の前にやって来ました。
 ”クビになった、、、。”
 ”What a fuck! (なんてこった!)"、と私が口にした途端、フロアの向こうの方からも、"What a fuck!!!"と叫ぶ声が響いてきました。
 血相を変えてバーカウンターに飛んできたのは、青色柄付きカラスでした。その手には、白ウサギの右手にあるのと同じ、小さな白い封筒が見えました。
 そのままバーカウンターの冷蔵庫下にしまってある開栓済みのメルローのボトルを引っ張り出すと、グボボボボと流し込み、”What a fuck!"と絶叫しながら、飲み干したボトルを投げ割り、それでも気が収まらず、シャルドネも、ピノ・ノワールも飲み干して、ボトルを粉々に割ってしまうと、
 ”あのメキシカンライオンをバスボーイ(給仕補佐)から育ててやったのはだぁれだと思ってんのよぉ!”
 と、割れたワインボトルをさらに粉々にしながら地団駄を踏みまくるのでした。

 これ以上私の仕事が増えても困るので、真っ赤な顔をした青色柄付きカラスと、真っ青に泣きじゃくった白ウサギを連れて裏庭に出ると、今度は、いつものトロンとしたナマケ顔のゴホンユビナマケモノが、妙にぐったりとしており、”おい、アミーゴ。ダーリンはどうしたんだ。”と聞くと、
 ”ネトラレタ。アバズレダッタ。”
 と、こぼしながら腰を抜かし、やるせない顔で、もう一本、あの甘ったるいタバコをふかしだすのでした。
 それからバタっと、裏庭のドアが開く音がすると、靴磨きを済ませたシラガハゲタカが出てきました。目をクッと凝らして、一瞬にして全てを悟ったようで、”良い夜を”、とだけこぼして、私の肩を軽く叩くと、人差し指を天に向かって突き立てて、そそくさと帰っていくのでした。
 モクモクとゴホンユビナマケモノが吐き上げた煙の向こうでは、青白い三日月が、ひっそり寂しく佇んでいるのでした。

  
 


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