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「百の夜は跳ねて」を読んで

古市憲孝氏の小説2冊目にして、芥川賞候補作を読み終えました。

この小説は、決定的に新しい。「令和」時代の文学の扉を開く、渾身の長編小説。「格差ってのは上と下にだけあるんじゃない。同じ高さにもあるんだ」。僕は今日も、高層ビルの窓をかっぱいでいる。頭の中に響く声を聞きながら。そんな時、ふとガラスの向こうの老婆と目が合い……。現代の境界を越えた出逢いは何をもたらすのか。無機質な都市に光を灯す「生」の姿を切々と描ききった、比類なき現代小説。(Amazon内容紹介より)


就職に失敗して自殺まで考えた主人公翔太は、ふと見上げたビルの窓拭き作業に興味を覚え、窓拭きの仕事につきます。

ある日高層マンションの作業中にふと目が合ってしまった老婆と関わり、カーテンを閉め切り、外の世界と隔絶した裕福な老婆から、清掃中に窓から見える部屋の中の写真撮影を依頼され、翔太は言われるがままに盗撮まがいの写真を届け、老婆の思い出話を聞き、食事の相手をし、差し出された大金を受け取るのです。

その後写真を取っていることが発覚した翔太は、仕事を辞め、その後も写真を撮り続け、久しぶりに老婆を訪ねますが、すでに住んでいた気配さえ無くなっていたのです。

死んだ先輩の声につきまとわれる翔太は日本の若者の生きづらさを、老婆の姿は孤独な老人の先行きの不安と生の執着を表現していました。

格差社会と独居老人・孤独死など、現在の日本の抱える問題を作品のテーマにした点は、社会学者の著者ならではと言えるでしょう。

しかし小説としての心理描写等、まだ未熟な感は否めないと感じました。

今後小説を描かれるのもいいですが、やはり社会学者らしい問題提起の作品を期待したいです。

(画像はAmazonからお借りしました。作品の装画を著者自身が手がけておられるのに少しびっくりしました)


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