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サービス精神と、表現をするということ


昔、ダウンタウン松本人志氏が
「お笑いとは何ですか?」との質問に
「一言で言えば、サービス精神じゃないですかね」
と答えていた記憶がある。
確か、初の映画監督作品『大日本人』の頃、
そのプロモーションでのテレビ番組だったと思う。

なるほど、的確な表現だなと感じた。
今の松本さんが同じ質問に対しどう答えるかは分からないが。

サービス業はもちろんのこと、
あらゆる仕事でもサービス精神は根底にあるべきだろう。
サービス精神とは辞書によれば、
【人を喜ばせようとする心、奉仕的態度、気持ち】とある。

これは仕事だけでなく、
他人とのコミュニケーションにも必要なことだ。

文章においても同様である。
人を喜ばせたいという気持ちがないのであれば日記でも書いていればいい。
これは文章に限らず表現全体に言えることだが。




私はたまに「何か面白い話して!」と、
無茶振りにしても雑すぎることをお願いされたりする。
よほどのことがない限り、
この手のお願いは断らないよう心掛けているのだが、
その理由のひとつはまさにサービス精神からだし、
もうひとつは自分を高めるための武者修行と捉えているからだ(この辺が私のこじらせの具体例かもしれない)

面白い話というと昨今はすべらない話のようなものを想像されるし、求められたりする。
だが、面白いとはもっと多様性がある。
相手が恋愛や歴史に興味があればそれが面白いものだし、
怖い話ですらその人にとっては面白い話となり得るのだ。

このように『面白い』を因数分解すれば様々な要素が浮かび上がるが、
面白いとは何か?となると途端に解はなくなる。
私の本業だった『美味しい』も同様である。
美味しいとは何か?を追求すると哲学的な迷宮にしばしば入りこむ。

なぜなら味の好みは人それぞれだし、
万人に受ける味など存在しないからだ。

なので、マジョリティを狙ったビジネスが生まれるというのは当然の流れだ。
飲食なら10人中6人は美味しいと思えるメニューを開発しようとか、
他業種でも統計学やアンケートをとって興味のありそうな、
売れそうなものをテーマにするという流れだ。

もちろん、このようなビジネスモデルを私は否定しない。
ビジネスである以上、当然のアプローチと言える。
だが、表現者としてはやはり自分が面白いと思うもの、
美味しいと思うもので勝負するべきだとも思う。



それでも面白いものと言って、
まず浮かぶのは冒頭にもあるお笑いだろう。
今回、何回か書いてみて分かったのだが、
文章で人を笑わすというのはやはり難しい。

現実社会、つまり対面で人を笑わす方が私はまだ易しく思う。
言葉の強弱や、言い方や間、更に表情までつけることが出来るからだ。
これを文字情報だけで人を笑わすというのは難易度が上がるし、
私にとってはこれからの課題でもあろう。

更に難しいのは人を泣かせることである。
これは現実社会でも難しいと思う。
俗に言う「女泣かせ」とも違うし、
怖がらせたり、痛がらせたりするわけじゃなく、
もっと感動的な涙の話なのだが、
そうなるともうお手上げだ。

文章だけで人を泣かせるのも、今の私には難易度が高い。
創作でもノンフィクションでも、どんなテーマを使っていいにしても、
今の私にその技術は無いように思う。

まぁ、こういう場だし、
実験的に泣かせる文章にトライしてもいいのだが、
泣かせようとした文章で泣けなかった場合、そんな白々しいことはないと思う。
それこそ笑わせようと思ってすべった方が傷口は浅い。

もしこの先、どこかの回で泣かせに来てるなと思ってすべっている回があったとしても、どうかその時はいっそ笑って欲しい。

それがその時の私の、精一杯のサービス精神によるものだから。


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