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【ブックレビュー】坊っちゃんだらけの松山で『坊っちゃん』を読む

先日の愛媛旅行に向かう道中、せっかく松山に行くのだから『坊っちゃん』を読んで向かおうと思った。

愛媛旅行記 ⇒ 前編◆◇後編



言わずと知れた、夏目漱石の初期の名作『坊っちゃん』
私も読んだことがあるはずだが、ストーリーをまるで忘れてしまっていた。

親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。

坊っちゃん


なるほど、こんな書き出しだった。
国語の教科書で読んだ記憶だ。
そんな教科書に載るほどの作品なので、今回はネタバレ全開でのレビューになることを先にお伝えしておきます。



あらすじ

東京生まれの主人公(坊っちゃん)が、四国(松山)の学校に数学教師として赴任し、個性豊かな教師や生徒と出会って、ずるいことをした教頭を懲らしめて学校を辞めるまでの1か月間を描いた物語です。
物語は主人公(坊っちゃん)の一人称視点で進行していきます。


背景

作者である夏目漱石が明治28年から1年間、松山の中学校で英語教師をしており、その時の体験をもとに書かれた作品と言われています。
明治39年(1895年)漱石が39歳の時の作品です。


感想

物語の序盤、きよという人物が登場する。
清は主人公の家の下女で、家族からも愛されていなかった主人公を坊っちゃんと呼び、ただ1人の理解者、唯一坊っちゃんに愛を注ぐ存在である。
四国に行った坊っちゃんの心の支えとなっている。

この物語に様々な教訓を読み解くことは出来るし、色々な考察もあるけれど(たとえば清が主人公の本当の母親だという説、私はそれに否定派だが)私はこの物語を通して、主人公が何と云っても賞めてくれる清という婆さんの愛が(そしてそれを有り難く受け取る坊っちゃんが)根底に流れる主軸だと思う。

両親が他界し、家を売り払い兄からもらったお金で物理学校に進み、松山の中学校へと赴任する(ここで清と別れる)
松山に着いた坊っちゃんは、相変わらず口が悪い。自分は東京から来たという優越感なのか、単純に田舎者を馬鹿にしているのか。唯一褒めたのは温泉ぐらいだった。
なにせ、着いて早々のやりとりがこれである。

給仕をしながら下女がどちらからおいでになりましたと聞くから、東京から来たと答えた。すると東京はよい所でございましょうと云ったから当り前だと答えてやった。

着任した学校でも同僚にすぐあだ名をつける。
校長は狸、教頭は赤シャツ、他にも山嵐、うらなり、野だ(野だいこ)など。

教師を始めてしばらくすると、生徒からからかわれたり、イタズラをされる坊っちゃん。問いただしてもイタズラを認めない生徒たちを坊っちゃんは許せませんでした。
着任当初、仲の良かった山嵐とも(赤シャツと野だの会話から)仲違いしてしまう始末。
ここまで、愛媛(松山)に対する愛情のようなものを主人公からは感じません。




そんなところで私の乗った飛行機も松山に到着しました。
松山に降りると周りは『坊っちゃん』だらけ。
きっとここから物語は、松山の人々と深いところで触れ、その温かみを感じ坊っちゃんは松山の人々と土地を愛して終わるのだろうと予想しながら、続きを今治へと向かう電車の中で読みました。

結論から言うと、坊っちゃんは最後まで松山(という土地に対し)に愛情を示さないまま物語は終わりました。
最後、松山を離れ東京に坊っちゃんが帰るシーンがこれです。


その夜おれと山嵐はこの不浄な地を離れた。船が岸を去れば去るほどいい心持ちがした。

東京に坊っちゃんが帰るシーン


えっ!?

じゃあこの坊っちゃんだらけのモニュメントは何?
坊っちゃんは全然愛媛(松山)を愛してないじゃん!!
あとマドンナも(後述します)物語にはほとんど登場しないのになんかヒロインみたいな顔して推されてるし!!
そこは清なんじゃないの?

なんてことを実は松山の街を歩きながら思っていました。
きっと、作者である夏目漱石が実際に松山で教師をやっていたという事実と、それをもとにした作品ということで街として推しているんだろうと納得はしましたが、作品の内容は愛媛讃歌ではなかったです(あっ、私は旅行して愛媛のことが大好きになりましたよ)




話が脱線した上に、結末を先に書いてしまいました。
物語に戻りましょう。

マドンナというのはてっきり坊っちゃんと恋仲になる人物(ヒロイン)だと思っていましたが、実際は同僚のうらなり君(主人公の坊っちゃんが唯一好感をもっている人物)の恋人でした。
ですが、教頭である赤シャツがうらなりからマドンナを奪い、更にうらなりを九州に転勤させたことを主人公は知ります。

このことに抗議したのは仲違いしていた山嵐でした。
その後山嵐との(誤解も解け?)坊っちゃんと山嵐は仲直りをします。
私はこの仲直りするシーンが好きです。


「君は一体どこの産だ」「おれは江戸っ子だ」「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」「きみはどこだ」「僕は会津だ」「会津っぽか、強情な訳だ。今日の送別会へ行くのかい」

山嵐との仲直りシーン


そして二人は赤シャツを懲らしめようと計画を練ります。
ここで江戸と会津の連合に対する愛媛(伊予)という構図が出来ます。

二人はその後、中学生と師範学校生の喧嘩に巻き込まれ責任を追及されます。
主人公は処罰されませんでしたが、赤シャツに目を付けられていた山嵐だけ責任をとって辞職させられます。

そんな山嵐とともに坊っちゃんは自分の道理(正義)を通すため、赤シャツを懲らしめると決めます(余談ですが、作中ではめますとかきまっているとの表記でした)

二人は夜遊びしている赤シャツと野だ(教頭の腰ぎんちゃく)を張り込み、朝帰りしたところを殴って懲らしめました。

その後、坊っちゃんも教師を辞職し東京に帰ることになりました(その時の描写は先ほどのものです)

東京に戻った坊っちゃんは、真っ先に清のもとへ向かい、鉄道技師として働き、立派な家ではありませんが清が肺炎で亡くなるまで、二人で暮らしました。


総括

この物語のポイントは、赤シャツに象徴される『権力』に対し自分の道理(正義)を突き通す姿勢というのが先ず挙げられます。
結果、悪者を懲らしめるという爽快感を読者は得られますが、同時に主人公(つまり権力に抵抗した者)は教師を辞職しており、社会的には敗北したことも描いています。

私としては最初に述べた通り、清の愛情が物語全体を優しく包んでいる印象でした。
清という存在がなければ、清と一緒に暮らすというラストもあり得ませんし、教師を辞めた坊っちゃんがその後どうなっていたかも分かりません。

そしてどこかで私は、都会から来た坊っちゃんと地元の人との温かい交流のような話を望んでいましたが、これも文明開化による社会の歪み、都会と地方がお互いに持つ偏見のようなものを描いたのかも知れません。

最後になりますが、私は旅行をして愛媛のことを大好きになりましたよ。

ではでは。


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