見出し画像

最近読んだ本 5選

先日『習慣』に関する記事を書いた。
そこでは触れなかったが、自分が習慣にしている趣味は何だろうと考えてみたら、やっぱり読書かなと思う。
子どものころ好きだったゲームは、大人になり全くやらなくなった。
若いころかき鳴らしたギターは、ほこりをかぶっている(たまには弾いてあげなくちゃ!)

とはいえ、毎日必ず本を開くタイプの読書家ではない。
集中して読む時期と、読まない時期というのが存在する。
電子書籍が出たてのころはアンチデジタルで、本というのは手にとって紙をめくるもので、背表紙を本棚に並べ視覚的にも楽しむものですよ。という確固たるポリシーがあった。
しかし、人間の心変わりとは恐ろしいもので近頃はkindleでも全然読むし、なんならkindleで購入する方が多いかもしれない(もちろん紙の本も大好きですよ!)

さて、本日はそんな私が最近読んだ本を5冊ほど紹介します。




『三行で撃つ』 近藤康太郎



今までは読む専門だった私も、このNOTEという場所で書くことにも挑戦している。
自分の考えを記すエッセイ風なものも良いが、初めて書いてみた小説が抜群に楽しかった。もちろん技術やクオリティはまだまだという自覚はあるが、それに伴い「文章術」や「書き方」等のHOW TO本も読むようになった。
本書はその中の一冊である。

朝日新聞の記者としてキャリアをスタートした著者は、現在九州に移住し山奥で百姓や猟師をしながらライターの生活をしているという。

「常套句をなくせ」というアドバイスや、テクニカルな部分にも言及しているが、どちらかというとライターであるための「心得」や「覚悟」など精神的なものに言及している比率が高いように感じた。
書く側という視点で本書を読み進めると、背筋を正したくなるような文言や金言に溢れている。

帯にもある、わたしに〈なる〉ということ。
「わたしで〈ある〉」から、「わたしに〈なる〉」へ
文章を書くという営為の、「本体」とは、これだ。

と、言い切る一文に今の私は支えられている。


『華氏451度』 レイ・ブラッドベリ



再読というのをあまりしない私だが、それこそ本棚の背表紙を眺めていたら目に留まった。
遠い昔に読んだもので、大まかなあらすじしか覚えていない。
なんとなく気になって手にとる。
1953年、今から70年前に書かれた本を20年ぶりに再読した。

SFというのは近未来や宇宙空間など、その「設定」に目が行きがちだが、テーマとしては普遍的なものを扱っていることが多い。人間がもつ普遍的なテーマを「特異な舞台設定」に乗せているものなのだ。
多くのSF作品が色あせないのはこのためであり、これこそがSFの本質だと最近では思う。

再読をしていたら、何か所かに線が引いてあった。
20年前の自分が気になったと思える文章。うん、今の自分が読んでも良いと思える。
これは自分が変わっていないと思うべきか。いや違うな、「良いものは良い」とその部分が不変なだけだ。
その中の一か所を最後に引用しておく。

人は死ぬとき、なにかを残していかねばならない、と祖父はいっていた。子どもでも、本でも、絵でも、家でも、自作の塀でも、手作りの靴でもいい。草花を植えた庭でもいい。なにか、死んだときに魂の行き場所になるような、なんらかのかたちで手をかけたものを残すのだ。そうすれば、誰かがお前が植えた樹や花を見れば、お前はそこにいることになる。

華氏451度



『テロリストのパラソル』 藤原伊織



ハードボイルド小説は昔から好きで、ハメットから始まり、もちろんチャンドラー、そして大好きなロバート・B・パーカーと色々読んできたが、不思議と日本人作家のものは通ってこなかった。
いや、不思議というより意識して避けてきた節もある。典型的な「食わず嫌い」ってやつだ。

これはハードボイルドに限らないのだけれど、いくらフィクションとはいえ日本が舞台の物語で当たり前のように銃が登場したり、刑事とはいえ簡単に発砲するシーンがあると少し醒めてしまう(最近はあまり気にならなくなったが)
そんな懸念もあり避けていたのだが、まずは読んでみようと思った。
初めてならば有名な方がいいと調べてみたらこちらの作品がヒットした。

1995年発表の本作は、江戸川乱歩賞と直木賞のW受賞をしている。
実際に読んでみて、結論としては面白かった。
90年代が背景のため、今読むと古臭くも感じるが(こう書くと否定的だが、私にとっては懐かしさもあるので懐かしくと書くべきか)チャンドラーに影響されたであろうハードボイルド像を主人公が全うしていたのが好印象であった。
ただ、この作品を推理小説として読むと、ご都合主義的な場面も感じられるかもしれない。黒幕の動機の部分とか、気になる人もいそうだ。
それと暴力シーンに痛みを全然感じられなかった。そのシーンを挿入するのなら、痛いものは痛いと個人的には感じさせて欲しい。

珍しく批判的なことを書いてしまったが、総評としては面白かった。
こんな感じなら、他の作家のも読んでみたいと思う。
そこに納得や気づきがあれば、自分でも書いてみたいジャンルなので。


『ローソン短篇集』 ヘンリー・ローソン



ローソンという作家をご存知でしょうか。
日本ではあまり馴染みが少ないかも知れませんが、1890年代に活躍したオーストラリアの国民的作家です。オーストラリアのブッシュライフを描いた作家で、オーストラリアドル紙幣の肖像にまでなった人物である。

などと偉そうに説明しているが、私は筒井康隆氏の著作でその存在を知った。敬愛する筒井先生のおすすめならばと手にとった。
そういえば岩波の赤帯を買うのはかなり久しぶりだ。

古典文学というのは、時代背景も文化も違うものなので読むのは少し体力を使う。それでも読み進めてみると本書では「爆弾犬」という作品がひときわ光っていた。
「爆弾犬」は三人の男と一匹の犬が登場するドタバタコメディなのだが、これが非常によく出来ている。
まず設定をしっかり描く。三人の性格、役割、そしてこの犬がもつ習性、かつてやった失敗をきちんと説明する。その上で各キャラが物語の中で暴れまくる。このドタバタの仕方がエンターテイメントの作法にのっとりツボをはずさず、定石通りなのだ。だから面白い。

古典文学も避けたりせず、読んでいかなきゃと改めて思った。



『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』 帚木蓬生



「ネガティブ・ケイパビリティ」という概念は、18世紀のイギリスの詩人ジョン・キーツが提唱しました。
本書はその概念を精神科医である著者が詳しく説明しています。

我々は普段、問題が発生したらそれを解決することが求められます。それは日常生活でも仕事の上でも。しかし現代ではそれが行きすぎてないか、そんな「ポジティブ・ケイパビリティ」に対するアンチテーゼが「ネガティブ・ケイパビリティ」です。
つまり、問い(問題)に対して答えを出さず留めておく(ホールド)能力、モヤモヤ感はモヤモヤにしたままでいいことかと私は解釈しました。

謎や問いには、簡単に答えが与えられぬほうがよいのではないかと。不明のまま抱いていた謎は、それを抱く人の体温によって成長、成熟し、更に豊か謎へと育っていくのではあるまいか。(略)そして一段と深みを増した謎は、底の浅い答えよりも遥かに貴重なものを内に宿しているような気がしてならない。

ネガティブ・ケイパビリティ


この一文は印象に残りました。
この本の主張が全てとは思っていませんが、生きていくうえでの考え方の幅が広がったように思える、そんな一冊でした。


おわりに


2時間で観られる映画は、2時間では作れません。
同様に、10分で読める文章も10分では書けません。
そう考えると、読書は贅沢な趣味だと常々思っています。

これからも広く深い読書体験を追求していきたいですし、その中で心を動かせれた作品はこまめに紹介していきたいと思っています。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

この記事が参加している募集

読書感想文

わたしの本棚

最後まで読んでくださりありがとうございます。サポートいただいたお気持ちは、今後の創作活動の糧にさせていただきます。