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先生には、どこか滑稽味がある
おそらく無私の人に多く見られるユーモラスな風韻だと思われるが
いまひとつは、浮世離れしたほどに親孝行であるということも
人柄の可笑しみを生むもとであるかも知れない
先生は長男である
峠の上に村びとや両親をおいて
大阪という下界に降りてきていることに、高級な後ろめたさがあるらしい
といって下界には患者に対する義務がある
山上にも、村や両親への義務がある
そのため先生は…大阪と鳥取の山中を1週間に1度
40年近く往復し続けた…車で行っても7、8時間はかかった…と
司馬遼太郎さんに半ば呆れられたのは、主治医であった開業医の安住先生だった
安住先生は医者としての義務と、故郷の智頭の両親や地域への義務を果たすべく真摯に向き合われたのだが
ある時、医院の裏の猫の額ほどの空き地を不動産屋に泣きつかれ、入手された
ススキを植えて月見をしようとしたが、家並みに遮られて断念
…そして最後に得体の知れぬ大穴を掘った
「えらいものですなあ」と街角で出会った先生が目を輝かせて言った
「溜飲が下がるとはああいうことですな、ストレスも無くなりました」という
穴を掘るほど、単純な筋肉労働はない…縄文人も弥生人もしきりに穴を掘った
先生が大穴を掘り上げたとき、からだじゅうの縄文以来の遺伝子が大口を開けて哄笑し、そのおかげで天空海闊になったのにちがいない
(鳥取県人というのはおもしろいな)…と司馬遼太郎さんは思い
先生の故郷、鳥取県の智頭町に向かった…
…というのが、「街道をゆく因幡伯耆編」の始まりですが
私もこの文章を読んで、すっかり安住先生のファンになりました😍

30年以上前に読んだはずの本ですが
歳をとってから新しく出会う感動もあるのですね😅


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