見出し画像

天皇陛下は学習院大学の卒業論文に
「中世瀬戸内海水運の一考察」を書かれ
その後、オックスフォード大学でも
「テムズ川の交通史」を著されたが
ネパールのポカラを訪問された時
女性や子どもが、瓶を担いで遠くまで水を汲みに行く姿を見て
水の供給を研究されるようになったという😍
そこで和歌山県の紀の川上流の「忰田の荘」の水の分配を調べると
12世紀から17世紀初めまでで田地を倍増させたことが分かった
それは池水灌漑から用水路を分岐させての灌漑へと水路を張り巡らして
なし得たことだったという😍
その後陛下は、江戸から熊本などの水利を研究され
今では外国の都市の水利から、地球規模の水の循環の研究へと
進まれていますが
古代の天皇も以下のような水利施設の建設をされたという
崇神天皇 河内の狭山に、よさみの池、かりさかの池、さすりの池
垂仁天皇 河内に、たかいしの池、ちぬの池、大和に、さきの池、とみの池
     諸国に命じ800を超える地溝を掘らせる
景行天皇 さかての池
応神天皇 つるぎの池、かるの池、とかきの池、うまやさかの池
仁徳天皇 大阪の掘江、茨田堤を築造
     宇治のくるくまに大溝を掘って田が潤うようにする
     わにの池、よこのの堤を築造
     河内のこむくに大溝を掘り凶作の憂いがなくなった
今の日本にも21万もの溜池があり
稲作と共に生物多様性の維持にも貢献している
というのは貴船神社宮司の記述からお借りしましたが
日本人とは何かを考える上で
天皇と稲作、水利共同体の関係は深いものがあるようです😍

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?