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実朝の言葉が和田氏滅亡の引き金に?小四郎はどこまで非情なのか。第41回「義盛、お前に罪はない」見どころ振り返り!【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第41回の感想です。

前回の感想はこちら↓

(※以下、ネタバレ注意)

史実と違って何が悪い!w大河の華に相応しい興奮の合戦シーンが展開

気付けば9月も10月も終わってまして、5週分もすっとばして『鎌倉殿』レビューをやっていきます。その間、「小四郎の父・時政の追放」、「小四郎の更なるブラック化」、そして「泉親衡なる謎の人物(ドラマ内では、その正体は源仲章)による義時暗殺計画」などいろいろなことが起きていました。

もうね、毎回毎回エグイの!辛いの!だけど面白い!これを毎週レビューにまとめ上げるのはもう非常にしんどいのよ(笑)!しかし「物書き」を名乗ってる以上、例え仕事じゃなくても「書きたい」と思ってるものがなかなかまとまらずに書ききれないのも、それはそれでしんどいものがあります。出そうで出ない……便秘みたいな感じでしょうか。例えが汚いなオイw

何より、こんな私の汚い書き散らかしレビューを「あれ、最近書いてないじゃん?どうしたの?書いてよ」って言ってくださる方がいらっしゃることがもう本当、恐れ多きことですよ……こんな駄文にお付き合いいただき、ありがとうございます。

と、反省というか言い訳で長々と尺を使ってしまいましたが。41話は本当にエグかった。「和田合戦、起こるな!起こるな!」と『鎌倉殿』クラスタ皆さんが毎週恐れていたことが、遂に……という感じでした。あのむさ苦しいひげ面で、緊張感高まる鎌倉の中でいつも癒しを振りまいてましたからね、和田義盛(横田栄司)。

しかし、史実なんだからドラマでも描かないわけにはいかない。それも「鎌倉の御家人が起こした、最大クラスの内乱」と呼ばれるくらいなんですから。その描き方もスケールが大きかったです。見ましたか!北条泰時(坂口健太郎)率いる軍勢の、戸板による全面ガード戦法。Twitterでは「古代ギリシャのファランクスだ」とか、「いや、ギリシャのテストゥドの方が近い」など話題になってましたが。

もちろん、鎌倉時代に実際こんな戦法が取られたかは定かではなく、原作となった『吾妻鏡』には、「各切夾板以其隙爲矢石之路攻戰(意訳:屋敷の塀の夾板を切り、隙間から弓や石で攻撃した)」とあるだけだそう。「戸板を切り取って防具に使った」わけではないとツッコミ入れてる方もいましたけど。

そういう話には「なるほどね、勉強になりますわ」とうなずきつつも……まぁね、大河なんてあくまで「史実を基にしたフィクション」なので、絵的に面白ければ正義だと思いますよ。

そもそも、「史実じゃない、史実じゃない」とか文句言うなら、途中の大江広元(栗原英雄)の無双シーンとか、あれ、なんだよwwwwwww

しかもこの場面だけ、『必殺仕事人』やら往年の時代劇を彷彿とさせるようなBGMが流れてですね、「完全に悪ふざけやなw」と思いました。広元って文官じゃないの……完全に三浦義村(山本耕史)ばりの戦闘民族やんけ。やはり鎌倉で生き抜くために、秘かに剣の腕も鍛えていたんでしょうな。怖いのは言葉だけじゃなかった。まさに敵に回したら最悪なやつだったよ。あー、怖。

義時は「野心」を持ってはいないし、持ってはいけない。きっと最期まで

ホント、笑えるシーンも多かったんですけど、笑わせてくれればくれるほど、後の和田義盛が殺害されるシーンの悲壮感が一層際立つと言いますか……ここは本当、『鎌倉殿』でもよく流れる、モーツァルト「レクイエム」のディエス・イレ(怒りの日)が流れましたし。

実朝さま(柿澤勇人)の泣き叫ぶ声も、聴いていてたまらなかったです。おんおんと……まさに獣のように。殺さないって言ったよね小四郎(小栗旬)?なんでこんなことするの??あまりの不条理さに観ていられなくなった視聴者の方も多かったのではないかと思いますが。

ここでも、「小四郎は、なぜ和田義盛を(殺さないと言いながら)殺したのか」とSNSでは議論に。そもそも、和田勢を降参させるために実朝を戦場へと連れ出したハズ。最初から殺す気だったのか?いや、そうではなく「義盛、お前に罪はない」なんてことを叫んだから、それが引き金になったんだなんて話題も上がってました。

謀反を起こした御家人に対し、「罪はない」なんて鎌倉のトップが叫んじゃったら、「え、じゃあ誰に罪があるの?やっぱ北条じゃない?それとも鎌倉殿自身?」みたいなことになるわけですよ。事実そうだとしても、事を収めるためには誰かが罪をかぶらなきゃならない。だからあの場で北条方には、「これが鎌倉殿に取り入ろうとする者の末路にござる!」と叫び、義盛に罪を着せて殺すしか手はなかったと。なるほどと思うんですが。

その一方で、「いや、あの場では実朝が何を言っても義盛を殺す気だったろう。小四郎はそこまでブラックに染まってしまったんだ」という意見も私は見ました。確かにそれにもうなずけます。実朝は義盛をだいぶ贔屓していました。40話でも「お前は鎌倉随一の忠臣だ」なんて言葉も実朝の口から飛び出しています。そもそも実朝はこの戦を起こさないよう尽力していたハズ。最初から滅ぼす気だった小四郎とは真逆の立場でした。だからあの場で実朝が、「お前に罪はない」とまではいかなくても、それに準じる言葉を何か投げかける予想はできていたと思うのですよ。

そこで僕は第三の意見を提唱したいと思うんですけど。結局、あの場でも小四郎には「まだ迷いがあった」と思うんですよね。実朝を戦場に連れ出して、和田を降伏させる。それは嘘ではなく、間違いなく当初の計画だったとは思うんですよ。ただ、そこで実朝が義盛に何を言うのか。

「お前が謀反を起こす気持ちもわかる。だけどどうか、ここは私に免じて弓を収めてくれ」。そう言ってくれるなら、まだ大丈夫。ここで戦は、皆が納得する形で終結させられる。和田義盛には謹慎を言い渡し、殺すのはその後でも遅くはない、と。ある意味で、実朝の出方を試した部分もあるのではないかと思ったのですが。

しかし結果、「お前に罪はない」は行き過ぎた言葉でした。その言葉を許してしまっては、和田一族にもわだかまりが残る。和田義盛だけではない、一族皆殺しにする必要ができてしまった。そういうことだと思うんですよ。

つまり、「義盛は最初から殺すつもりだったが、一族まで滅ぼす気はなかった。滅ぼすきっかけとなったのが実朝のセリフだった」というのが僕の見方です。

直後、戦場に背を向けて歩いていく小四郎義時。最初は暗く非情でしたが、後半は涙を浮かべていました。あの涙を「余計な演技だ」という意見もSNSでは見ました。実際、台本にどう書いてあったかはわかりません。あれがアドリブだとしても、台本通りだとしても、僕には「必要な演技だった」と思うんですよ。あれで、小四郎がまだ完全にブラックになり切れていないところがあると僕は確信しました。

Twitterにも書きましたけど、そもそも「野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。」というのがこの物語のテーマです。これは義時という登場人物の「個性」でもあり、「縛り」でもある。義時は最後まで「野心」を持っちゃいけないんですよ。

42話、いよいよ義時が「執権」へ。泰時は物語の「救世主」として、どう成長していくのか

「野心」を持てた方がどれだけ楽でしょう。仲間の御家人を倒せばどんどん地位が上がります。ならば嬉々として、御家人だろうが身内だろうが殺していた筈です。義盛を討った後も、涙なんか見せなかったはずなんです。けれど義時というキャラクターは、仲間を討てば討つほど心が死に、感情ではなく、いかに「合理的に」幕府を治めるかに力を注ぐようになっていったんだと思います。

弟である五郎(瀬戸康史)や、妻ののえ(菊地凛子)には、それがわかりません。義時の地位が上がっていくのを見て「兄上はすごい!」「もはや敵なし!」と誉めそやす。だけどそんなこと、義時は望んでないんです(事実、41話の時点では、まだ「執権」を名乗っていません)。だから五郎やのえは、視聴者の癒しにはなっても、義時にとっての癒しにはならない。誰も義時のことを救えない。

だからこそ、最後に息子の太郎泰時が「救い」になっていくしかないんです。幸いなことに、鶴丸こと平盛綱(きづき)も、初(福地桃子)も、朝時(スーパーサイズ・ミー/西本たける)も、義時の気持ちをわかってくれています。「最後に義時を救えるのは、お前だけだぞ太郎」と、これは泰時の周りを支える3人に共通している気持ちなんだと思います。だけど泰時は、父を受け入れません。次々と御家人を殺しまくる恐ろしい父を、肯定なんかできないし、その背を追うことはありません。

だからこそ、この物語には救いがあるように思えてなりません。父に代わって、血の流れることのない鎌倉を形作っていくためにどう泰時があがき、苦しみ、成長していくのか。老いていく義時の対照として、これからは泰時の成長も、一層細かく描かれていくのではと期待しています。

それよりもまずは、42話。いよいよ義時が「執権」を名乗り始めるのだそう。一体どういう心境変化によるものなのか、今夜じっくりチェックしていきたいと思います。

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