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無償の愛は自己犠牲ではない

無償というのは「報酬のないこと」や「無料であること」という意味だ。

世の中には無償=自己犠牲と捉える人が結構いる。

もちろんタダで相手に何かを与えるということは自らに何かしらの損失が生まれる。

しかし、それイコール自己犠牲ではないのだ。


私は相手に何かを与えるときに見返りを求めない。

自分がそうしたいからそうしているに過ぎないのだ。

年下の子と食事に行った際は私が必ず全額出すようにしている。

それも私が奢りたいから奢っているだけなのだ。

おそらく一種のなのだろう。

親が我が子を育てる感覚に近いのかもしれない。

親が子を育てるのに見返りを求めるのか。

いや、求めないだろう。

元気に育ってほしい。

生きていてほしい。

一方的な願いなのだ。

そして、自分の身を削ることを自己犠牲だとも思ってはいないはずだ。


私が他人に何かを与えるのを「偽善」や「優しさ」と表現する人がいるがそれは違う。

私が抱いているものはなのだ。

「重い」「気持ち悪い」と思われるかもしれないが、可愛くて仕方ないのだ。

恋とは全く別物であり、男女など関係ない。

その子の将来を思う一方的な願いなのだ。

それゆえに見返りを求めることはないし、自らの身を削ることを犠牲だとは思わない。


私は私のことをちゃんと見てくれている人が大好きだ。

私が他人を愛する理由などそれだけで十分なのだ。


こんなんだから良い人止まりで彼女ができないんだと女友達からよく説教を受けるのだが...笑

彼女ができても他人を愛するのかと聞かれた時があったが、おそらく私は変わらず私にとって大切な人を愛するだろう。


大切な人のために死ねるならそれも本望だろう。きっと。






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