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【翻訳】マフムード・ダルウィーシュ「忍耐/二本目のオリーブの木」(パレスチナ)

忍耐 عن الصمود



もしオリーブが 植えた者の手を知っていたなら
その油は涙に変わっただろう
先祖代々の知恵よ
私たちの肉体を盾としてあなたに差し出せたなら
しかし、風の激しい畑では 風を崇拝した者に種が与えられることはない
私たちは睫毛さえ使って 棘と悲しみを引き抜こう
いつまで 自分の恥と十字架を背負うのだろうか
その間にも 宇宙は前に進んでいく...…
私たちは
オリーブの中に留まり続けよう その緑として
その大地のまわりに留まり続けよう 盾として


私たちはバラが好きだ
だが、麦はもっと好きだ
私たちはバラの香りが好きだ
だが、麦の穂はもっと清らかだ
だから、嵐からあなた方の穂を守りなさい
命を賭して
心を尽くして盾を作りなさい、心を尽くして...…
そうしたら、どうやって打ち破られよう?
穂首をしっかりとつかんでおきなさい
短剣を抱きしめるかのように
その大地、その農民、その決断
私に言ってくれ 一体どうして、力づくて奪えようか、と
これはいわば三位一体だ
どうして力づくで奪えようか?

二本目のオリーブ شجرة الزيتون الثانية


オリーブの木は泣かない オリーブの木は笑わない
それは丘の麓の慎ましき婦人
足元を陰で覆い、嵐の前では決して葉の衣を脱がず
座っているかのように立ち、立っているかのように座っている

彼女は仲良しな永遠の妹として生きる
彼女は時の隣人として生きる

時というものは 光輝くオリーブ油を蓄え
侵略者たちの名前を忘れることを助ける
だが、ローマ人は例外だ
彼らは彼女と同時代を生き
花の冠を編むために その枝をいくつか借りていった
彼らは彼女を戦争の捕虜のようには扱わなかった
敬愛と共に 祖母のように接したのだった

彼女の気高き威厳の前では 剣も粉々に砕け散った
慎ましやかな緑と銀
その色は物事をはっきりと語ることを避け
描写の裏にあるものに目を向けることを避ける
というのも、それは緑でも銀色でもないから
オリーブは平和の色だ、平和が一片の色を必要としたときには

誰もオリーブに言うまい 「なんてあなたは美しいんだ!」と
むしろ、こう言うだろう 「なんてあなたは気高く尊いのだ!」と
オリーブ、この者こそ、銃を手放すことを兵士たちに教え込み
郷愁と謙遜を彼らに教え込んだのだ
「我が家に帰り、私のオリーブ油でランプを灯しなさい」と言って

しかし、この兵士たち、この最新の装備の兵士たちは
ブルドーザーでオリーブを取り囲み
大地という家族から それを根っこごと引き抜いた……
彼らは私たちの祖母に勝利した
祖母はひっくり返り 枝は地に 根は空にあった
泣きも叫びもしなかった

しかし、処刑を目撃した孫の一人が
兵士に一つの石を投げた
そうして祖母と共に殉教した
勝ち誇った兵士たちが去ってから 私たちは彼を埋葬する
そこに 深い穴に 祖母のゆりかごに

どうしてか 私たちは確信している
少しすれば 彼はオリーブの木に生まれ変わるのだと
棘の生えたオリーブの木に 緑の眩しいオリーブの木に

訳者メモ:
・「忍耐」のはじまりの一文は、元のテクストでは「もしオリーブが自分を植えたものを覚えていたなら」となっています。しかし、英語圏では「植えた者の手を知っていたなら」という表現で広く知られているため、そちらを採用しました。

翻訳:ريحان السوغامي
写真:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Trimming_olive_trees_in_Palestine_LOC_matpc.16614.tif

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