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【翻訳】アリー・アブーヤシーン「ひどく静かな夜/死はどこにでもある」『ガザ・モノローグ 2023』

The Gaza Mono-logues はアシュタール劇場の企画です。2008年から2009年にかけてイスラエルがガザを空爆した際、ガザの31人の若者のモノローグで構成された劇を作ったのがはじまりでした(ガザ・モノローグ2010)。これは「ガザの子供達一人一人の個人的な物語」であり、「数の暴力」に抗する試みでもありました。この劇は13の言語に翻訳され各地で公演されました。しかし、イスラエルのガザ封鎖・定期的な空爆は続き、2014年の大規模空爆の後には新たな劇が作られました(ガザ・モノローグ2014)。
そして先日、ガザ支部のトレーナー・ディレクターであるアリー・アブーヤシーンさんが「ガザ・モノローグ2023」として、文章を発表しました。現時点では5つの文章が公開されています。
アシュタール劇場は「ガザモノローグ」の上演・朗読を呼びかけています。このページの最後に、声明の抄訳を載せましたので、ぜひ最後までお読みください。そして、「ガザモノローグ」と「アシュタール劇場」のサイトを訪れてください。

※アシュタール劇場:ラーマッラーに支部を置くパレスチナの劇団(InstagramTwitterYoutube

ひどく静かな夜


 ひどく静かな戦争の夜。昨夜は本当に静かだった。一時間くらいはまどろむことができたはずだ。ドローン、戦闘機、砲撃の音が一秒たりとも止まなかった。だが、ミサイルや1トン(6バレル)の火薬の樽が一度に落ちてきたとき、それらすべては何でもない。地面が激しく揺れて隆起する。まるで、地殻が空気で満たされた子供の風船であるかのよう。今にも爆発して世界を破壊しそうだ。死を千回目撃したとき、爆発が終わった後、人は自分がまだ生きているということを信じない。新たな生のひと時を授けられたということを信じない。そうして次の爆発と死を待ち続ける。もしかすると、せいぜい一分後か二分後かもしれない。

 本当に静かな夜だった。あまりにも静かなので、私たちは眠る前に、30人でフール(豆)の缶詰を2つ、夕食に食べることができた。これは滅多にないことだった。夕食はフールを讃える大パーティーといった有様だった。けれど、パンがないのでパーティーは台無しだった。私たちの夕食には5つのパンがあった。しかし、実を言うと、私が夕食のパーティーを台無しにした張本人だ。それは私の心のせいだった。夕食の前、私は通りに立っていた。すると、2人の娘を連れた男がやってきて、「パンを恵んでくれ」と言った。「パンだけでいい、この2人の娘に食べさせたい。もう3日もパンを食べていないんだ」。最初、私は「パンはない」と言った。しかし、娘の一人が私を一目見た。それだけで、私の心は貫かれた。まるで慈悲の爆弾だ。私は「待ってて」と言って、5つのパンを持ってきて彼に渡した。その時の様子は、生きている限り、決して忘れないだろう。彼は震える手でそのパンを受け取った。2人の女の子の目は光を取り戻しはじめ、彼は私にお礼を言うとすぐに去った。まるで、誰にも見られたくない貴重な戦利品をもって逃げるかのように。

 時に静けさは退屈になる。特に、真夜中に友人が生存報告の電話をよこすときには。だが、その少し前に、彼の幼馴染のユースフとアドナーンとその家族は殉教した。アドナーンの娘、やんちゃなサマルをどれほど愛しく思っていたことか。彼女は3歳にも満たなかった。彼らを訪ねると、サマルはいつも私の方に駆けてきて私の首に抱きついた。黒い瞳、縮れた髪、年不相応の身長の高さ。サマルはバスケのチャンピオンになるに違いないと私達は話した。

 本当に特別な夜だった。電話を切るのがやっとだった。どうして涙は私を裏切ったのか、私にはわからなかった。大きな爆発の音でようやく目を覚ました。続いて、私達の上に、屋根の上に、激しく雨の降り注ぐ音が聞こえた。それはトタン屋根で、その下で私たちは眠っていた。やがて、それは石がトタンの屋根を突き抜けた音であり、私たちの住居から遠くない建物が何千もの破片になって砕け散ったのだと気づいた。建物とは20mほどしか離れていなかった。それは一瞬で大きな穴になった。数本の柱と家の敷地に数十年間生えていたナツメヤシの木だけが残っていた。ナツメヤシの木は奇跡的に吹き飛ばされなかった。まるで、起きることすべてを目撃するために死ぬことを拒否しているかのようだ。しかし、胸に抱いていたデーツはほとんど落ちてしまった。

 なんという致命的な静かさ。アルジャジーラの特派員がこう言っているのが聞こえた。「その夜は戦争がはじまってから最もひどい夜でした」。聞こえたのは、一分たりとも静寂が途切れなかったからだ。私の精神は静寂の激しさのあまり、ズタズタになりかけていた。これらの炸裂弾やミサイルは私たちを恐怖に陥らせるために作られた。ただ恐怖するしかない。しかし、この恐ろしい静寂の最中で、私はどうやって言葉を紡いでいるのだろう。これは人間の心理に矛盾するものだ。いつ死んでもおかしくないのだから。それが大惨事ではないというのだから。私は座って文章を書く。まるで、私の周りで何も起こっていないかのように。そう、私の周りで。だって、地面は揺れ続けている。火薬の匂いが鼻腔を満たしている。煙が口を満たしている。時には煙が家に充満する。そして爆発は止まらない。もう狂ってしまったようだ。そう思う。あるいは死にかけている。私は最後の一文字まで抵抗する。私の声を世界に届ける。雑音に満ちた世界。私は、その世界に私たちのような静寂がないことを願う。あなたたちは自分たちの騒音を楽しめばいい。あなたたちが私たちのニュースを見るとき、顔を背ければいい。チャンネルを変えればいい。あなた達は不快な思いをすることを恐れている、目を醒ましてしまうことを恐れている...…。よく眠れることを願うよ。

2023年10月10日 アリー・アブーヤシーン

死はどこにでもある


 電話が鳴った。

「もしもし、兄さん〔従兄〕、もしもし」
「どうしたんだ、なんで泣いてるんだ」
「ああ、アリー。息子が、エゼッディーンが!!」
「よく聞こえないよ、近くで子供が叫んでるんだ、彼がどうした?」
「エゼッディーンが兵士に頭を撃たれて。シファ病院にいるとみんなが言ってた。2階の手術室。ねえ兄さん、行ってきて」
「わかったから落ち着いてくれ。大丈夫だ。私が行って確認してくるから。いつエジプトから戻るんだ?」
「明日の朝よ」
「よく聞こえない!!」 

 ミサイルが私たちの隣に着弾、家が激しく揺れる。

「明日の朝にはラファに着いているわ」
「なら、その時に国境から乗せてあげるよ」
「イマーン、子供たちの面倒をよく見なさい。怯えているだろう。腕に抱いて、チョコレートをあげなさい」
「もしもし」
「もしもし、アリー、息子が、アブドゥッラーが死んだわ」
「なんだって、アブドゥッラーが殉教したのか」
「アブドゥッラー、アハメド、マハムード、全員死んだわ。エゼッディーンは頭を撃たれた」
「ああ、神よ。今すぐ君のところに行く。気を確かに。神のご慈悲がありますように」
「もしもし、アリー」
「もしもし、ファーリス」
「アブドゥッラーが殉教したんだ」
「君たちのところに行くよ」
「どこに行くって? ここは危険がいっぱいだよ、兄さん。それに遠い。そこにいた方がいいよ。ただ病院に行ってエゼッディーンの様子を確認してきてくれればいいんだ。こっちはこっちでどうにかするから」
「わかった、わかった!」
「イマーン、子供たちにチョコレートをあげなさい。アムジャド、パン屋に行ってパンを一包みもらっていて。神のご加護がありますように」 

 エゼッディーンに会うために病院に行く。

「手術室はここですか?」
「ええ、でも立ち入り禁止ですよ」

  2人の人が部屋に入っていくのを見た。2人の後を追った。

 「すいません、先生。エゼッディーン・ヤシーンという頭を撃たれてけがをした男を知りませんか?」
「頭に弾を!? 第二病棟に行って大手術室で聞きなさい。ここはもっと簡単な手術だけだよ」

  簡単な治療。半数の人が四肢を切断されているのを見る。ああ、神よ! 死の匂いがどこにでもある。はじめて、死に匂いがあることを知る。私は第二病棟に行った。

「先生、お願いします。教えてください。エゼッディーン・ヤシーンというけが人についてどこで聞けばいいですか? 頭を撃たれた人です」
「ここにいたよ。手術をして、今は別の病棟に移った」
「先生、顔に血しぶきがたくさんついている。首にも。拭いた方がいい」 

 私はもう一つの病棟へ行く。これはなんだ? すべての患者が同じ姿だ。全員がガーゼを頭に、胸に、手に、足に巻いている。どうやってエゼッディーンを見つければいい? ああ、神よ。死の悪臭が鼻を刺した。死に悪臭があることを初めて知る。
 爆撃の音は止まない。しかし、ここの静けさは、墓場の静けさ以上のものだ。どこを探せばいい、エッズ? 最善の策は私の従兄アブー・アブドゥッラーに電話することだ。彼ならきっと知っている。

「もしもし、アブー・アブドゥッラー。聞いてくれ。エッズはどこにいる? 彼を病院で探しているうちに眩暈がしてきた。何か情報を持っていないか?」
「ああ、知っている。彼は手術病棟だ。容体は安定している。2階の男性用病室に移動した。言って看護師に聞いてみてくれ。彼の部屋に案内してくれる」
「ありがとう、アブー・アブドゥッラー」 

とうとう、彼の部屋にたどり着く。

「神にあなたの無事を感謝します。本当に心配したんだ。君が殉教したんじゃないかと思ったよ」
「神の祝福を、おじさん。俺の頭は弾が貫通できないくらい強いんだ」
「君の母さんがとても心配していたよ」
「神のご加護がありますように」 

私は彼の母に電話する

「もしもし、姉さん。私は君の息子の隣にいるよ。エッズは無事だ。まだ生きている」
「ありがとう兄さん、彼と話をさせて」
「ああ、明日会おう。心からの抱擁を。気を付けて。神のご加護がありますように」 

 病院のエッズの病室を後にして家に向かった。ああ、神よ、死の匂いは街のどこにでもあるじゃないか。病院の中だけだと思っていたのに。しかし、違った。死はどこにでもある。

アリー・アブーヤシーン
ガザ、パレスチナ
2023年10月10日

ガザの人々と共に立ち上がろう(抄訳、2023年11月29日)


 ガザで今、悲惨な戦争が起きていることを踏まえて、アシュタール劇場は世界中のすべての仲間と劇場関係者に「ガザ・モノローグ」の上演・朗読を緊急要請します。パレスチナの人々の正義・平等・自由を重んじる人々にとって重要な日、2023年11月29日、パレスチナ人民国際連帯デーに上演することを要請します。
 ガザ・モノローグは、ガザ地区への最初の戦争の後、2010年にアシュタールの若者たちによって書かれた証言です。悲劇的なことに、これらのモノローグは今日においても正確です〔今日と状況は変わっていません〕。これらのモノローグは勇気あるガザの人々の恐怖・希望・回復力をより多くの人々に訴え、ガザの子供達や人々の声を引き出します。
ぜひ、あなたの演技・朗読を動画に収め、私たちのSNSをタグ付けして、ネット上に投稿してください。
ガザモノローグの著作権購入のかわりに、西岸における私たちの心理社会的プログラム「グローバル・ギビング」を支援してください。


翻訳:ريحان السوغامي

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