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自分の演奏の良し悪しを他者に委ねない

おはようございます☀

音楽家、チューバ奏者、指揮者、金管バンドディレクターの河野一之です。

2024年!!!今年もどうぞよろしくお願いします!河野の年末年始は暴飲暴食でその後死んでいましたが、皆様いかがお過ごしでしたか?(現在は回復し絶好調です!)

以下お知らせ続きますので、だるかったらタイトルを押して頂き飛んでください。

目次

お知らせ

以下日本中でみなさまのご来場をお待ちしております!
詳細は河野か各団体様へお問い合わせください🙏

出演情報1月版
1/20(土) BiR 14th 埼玉
1/21(日) ユース&ブラスバンド体験会 茨城
2/12(祝月)獅子座 埼玉
3/20(祝水) Nexus 茨城
3/23(土) 非公開公演 埼玉
3/24(日) 浜松BB 静岡
6/8(土) IBE 大阪
6/23(日) ラフィネBB 石川
6/30(日) RBB 東京
7/8(月)~ IBE NZ

先日ライヴもしてきました!

自分の演奏の良し悪しを他者に委ねない

人生に関して言えば多くの場合、

「自分で考え、自分で決めることによって良いことも悪いことも自分で責任を取れる。なので自分自身、主体的に行動すべき」

という考え方が一般的です。よくいう”親のレールに乗って”とか”優柔不断だから”という言葉が出た際によく聞かれるフレーズです。

しかし、音楽で言えばあまりこのような指導がされる場合は少ないような印象を受けます。例えば

・指導者&先生の言うとおりに演奏しなさい
・正しく演奏しなさい

ここら辺が代表例でしょうか

しかし、確かに音楽にもスタイルや型があるので、ある程度の枠組みの中で演奏を行い、その音楽に合った形で音楽を表現すると言うのは大事です。しかし、それと主体性を持たずに人に言われた演奏や、スタイルや型ばかりを追求して演奏するのは少しずれている気がします。

チューバ奏者として大編成アンサンブルの一コマとして演奏する時、そして指揮者としてたくさんの奏者たちをまとめ音楽を表現する時、それぞれ役割が違う立場で演奏をさせていただく機会が多いからこそ少し見えてきたことがあります。

それは多くの奏者が「主体性が薄れ、自分の演奏の良し悪しを他者に委ねている」と言う点です。

これは一見謙虚に見えるかもしれませんが、それぞれの曲の解釈をそれぞれの個性のもと化学反応的に混ぜ合わせて起きるFantasticな演奏というのは生まれにくい気がします。

例えば指揮者の役割をしている時、奏者の演奏を聴いてこうしようあーしようと判断していくわけですが、演奏後まるで鳥の雛が口を開けて餌を待つかのように今の演奏の出来を指揮者に丸投げしているかのように待っている方がいらっしゃるのです。(上手い言い方が思いつかず申し訳ありませんが)

今行った演奏の良し悪し、もっとこうしたい、あそこはもっとこうできたというのは”自分で判断するもの”だと思うわけですし、本来であれば好奇心のように心のどこかから自動的に湧き出てくるものです。

でなければ成長は鈍化しますし、結局どういう演奏をしたいのか自分自身でわからなくなり迷子になります。

こういうことが起きる理由の一つがもしかしたら中高の部活動などでの競争教育的音楽活動のための過剰な指導かもしれません。

厳しい学校、強豪校

少し主語が大きく見えると思いますが、全員、全校だなんて書いていないので冷静にお読み進めいただければ思います。

部活動が厳しい学校、強豪校と呼ばれる学校で吹奏楽部での活動を行なっているとその体制に合う生徒以外「先輩や後輩、同輩、そして先生方の顔色を窺うかのような演奏」になりがちなのではないかと推測をします。

例えばチューナーの442hzに合わせた音以外許されず、音を外すなんてもってのほか、先生や先輩に言われた通りの演奏以外は認められず、まるで軍隊のように言われたこと以外の行動は全て厳しく戒められるかのような時間です。

こういう環境で主体性を持って、自分の演奏する音楽を能動的に表現するという能力は育ちにくい思います。さらにこういう厳しい環境を抜け出した後も"その厳しい環境で許されてきた枠の中の演奏しかできなくなるの"です。

もしその環境に合う人材であったり、または環境自体が世界レベルで通用したりするような場所であれば、その後の音楽活動もより世界が広がった演奏や主体性を持った演奏がしやすいかもしれませんが、多くの場合そうではないので、

「言われたことをやるのは得意だが、自分で考え自分で創作的に演奏をする能力を失いやすい」

のかなと思いますし、実際にそういう方を多くみてきました。

厳しい先生や先輩が怒るから練習をしたり、厳しく言われたから曲について調べ演奏に生かそうとするけれども、そういう能動的というか支配され行動を起こしてきた経験ばかりなので、自分から能動的に練習を行ったり、創意工夫を行い自分を客観的にみて成長していくことがしにくくなっているようです。

ですが、本来音楽で大切なのはいつでも

「自分がどう思うか、どうしたいか」

と言う点だと思います。誰かが求める音楽に合わせていくことも決してゼロではありませんが、最も大切な点はみなそれぞれ素晴らしい個性を持って生まれてきて、その個性と音楽が掛け算となり、これまでの誰も表現してきたことのないような音や音楽が生まれる可能性があるということなのではないでしょうか

完璧なんてあり得ず、だからこそ自分自身と言うもを存分に表現し、自分がやりたい、聞きたい、表現したい音楽を追求していくのが楽しいのではないでしょうか?

そしてそれを「いいね」と共感してくださったり、好きだと思ってくださる方を増やしていくことが大切なのではないかと思うのです。

誰かの顔色を伺い、自分の演奏の良し悪しを他者に委ねている場合ではないのです。

そもそも「自分は素晴らしい」という大前提のもと、より面白おかしくしていくにはどうしたらいいのか、そういうスタート地点から動くべきだと思うのです。

もしご自分がそういった呪いのような演奏、それ以外でも他者からの承認欲求を欲しているように感じたら、まずは自分自身がそんな自分を抱きしめ認めてあげるべきです。

自分自身がまず自分自身のことを肯定してあげられていないので自分以外、つまり他者からによる承認を欲してしまうのです。そんなものの前に大切なのは自分自身が自分自身を愛してあげることです。

僕の妄想かもしれませんが、そうした強豪校での経験、またはトラウマ的他者からの厳しい言動で自分自身を否定的に考え、能動的、主体的な演奏がしにくく感じたら、ぜひまずはとても簡単で寝起きで吹けるような音や音楽を表現し、成功体験を積み上げ自分自身を大事に慈しんで認めてあげる訓練を行いましょう。

河野もこれまでの人生で自分の演奏に対し他者から数々の暴言を受けてきました。(君の音には魅力がないね and etc)

ですが、本来それは「その人の感想」なのです。その人が自分の人生にとって最重要人物なのであれば参考にしてもいいかもしれませんが、そうでなければ本来は「道端に転がってる石がなんか言ってるな」で良いわけです。そもそも暴言のような人の自尊心を傷つける言葉を投げかける人の言葉など聞く必要はありません。

ぜひ自分の人生、演奏、承認欲求を自分以外の他者に委ねず、まずは自分自身を認め、愛し、生きて=表現をしていくことをお勧めします。

もし、しにくかったらメンタル以前に、食生活、睡眠、運動を見直してみてください。ボロボロの身体に健全な精神が宿るわけがありません。

応援しています、僕も頑張ります!

自戒を込めて

Thank you

Kazz


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