旅の記憶 1994・夏 僕の出会った旅人たち
この記事で 「 僕たちは 」
という表現を使っているが
僕は1人で旅をしていた
なのになぜ 僕たちと言うのか
この頃はどこに行っても
僕と同じような日本人の旅人がいて
1人称よりもしっくりくるから
僕たちと表現している
上海編に出てくる
この3人の日本人も
たまたま、横浜発上海行きの船
鑑真号に乗り合わせた旅人で
旅先で初めて知り合った仲だ
彼の名は アサイくん
関西人の彼は、僕がカメラを向けると
何かやらなきゃと思うみたいで
貴重なはずのフィルムなのに
こんな写真ばかりが残っている
彼はクルミさん
アサイくんの友人で
2人は一緒に初めての海外旅行で
中国を訪れていた
彼らとは、横浜から鑑真号で4日間
上海で2日間
その後トルファンまで一緒に過ごして
そこで別れることになる
アサイくんは 実は後日談があって
約1ヶ月の旅行を終え
大学の授業に戻った9月
東北に住んでいた僕の家に
クルミさんから電話が来る
(当時の大学生はまだ携帯電話を持っていなかった)
電話口でクルミさんは僕に
『 アサイくんがまだ帰国していないのだが
あの後どこかで会っていないか? 』
と聞いた
クルミさんとアサイくんも
僕と別れた後にバラけて旅を続け
クルミさんはその後内モンゴル自治区へ
アサイくんは僕と同じルートで
パキスタンを越えてインドを目指す
と言っていたしたらしい
クルんは予定通り帰国していたが
アサイさんが夏休みが終わっても
戻って来ないというのだ
結局その1週間後くらいに
アサイくん本人から
『 無事帰国した 』と連絡が来た
中国〜パキスタン〜インド〜スリランカ
と旅を続けたアサイくんは
スリランカで強盗に遭い
パスポートもお金も取られてしまい
帰国に時間がかかったとのことだった
旅先で出会う地元の人は
みんな優しかったけれど
そんな治安の悪い一面も確実にあった
だから僕たちは、情報交換や
時には一緒に行動することで
身の安全を確保していた
彼はヒナミくん
確か関西の大学生だったと思う
彼は自分のマウンテンバイクを持ってきていて
国境を越えた後の峠を
自転車で下るんだと言っていた
自転車の好きな僕は
彼のことがすごく羨ましかった
トルファンの遺跡を回るときも
僕たちはみんなで車をシェアして
予算を抑えていた
みんな持ちつ持たれつなのだ
トルファンからカシュガルに行く時は
この4人が一緒だった
ガモウくんはお母さんが看護師で
何かの時のためにと
大量にいろんな薬を持たされていたせいで
僕たちは Drガモウ と呼んでいた
イサクとケンイチロウ
ガモウくんと僕の4人で
この後パキスタンの国境を目指すことになる
当時の僕たちはこんな風に
出会いと別れを繰り返しながら
旅をしていた
その頃知り合った
何人かとは、30年経った今でも交流があるが
ほとんどの人とは連絡が途絶えてしまった
もし本人がこの記事を見つけて
連絡をしてくれたら嬉しい
そしてあの頃の話や
その後のお互いの旅のことや
お互い50代になった
今後の人生のことなんかを
話せたら楽しいだろうなと思いながら
この記事を書いている
最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。
只今シルクロード国境越え編
準備中です
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1994年のシルクロード旅を
毎日更新中です。
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