見出し画像

「3000円のパンケーキ」批判が日本を滅ぼす・・・・かもしれない!?

本日は天皇陛下の御即位の日。本当にめでたいことなのですが、その割にはくだらないニュースが多いのもやはり日本が平和なせいでしょうか。
例えばこんなのもその一つ。

まあ、賛否両論なんて書いてますけど、世論的には圧倒的に「くだらない。別にそれくらいいいんじゃないの?」というのが圧倒的。
とはいえ、発言されたのは渡辺てる子さんというこの前の参議院選で落選した政治家を志す方で、元派遣労働者でシングルマザーなのが売りらしく「非正規のアイドル」として一部では有名な方だそうですので、ある種の支持者向けのポジショントークだと思われます。
まあご本人的にはことの是非よりも、話題づくりになって大成功というところでしょう。

誰しもが心に抱いている「呪いの言葉」

さて、それはそれで別に問題はないのですが、さりとて私としてはなんとなく嫌な感覚を覚えるのも事実なのです。
何が嫌かというと、最近政治に携わる方、あるいは社会のリーダー的な人が、この手のルサンチマンの感情をあえて煽るような発言をすることが多くなったのでは、ということです。
もちろん、彼らは特定の支持者に向けてワザとやっているわけですから、本気でそう思っているわけじゃないでしょ、というのもその通りなのですが、裏を変えていえば彼らは「ある言葉」がある特定層に間違いなく届くことを知っているともいえます。
つまり、

「自分が貧しかったり、あるいは自分が恵まれないのは、自分が悪いからじゃない。他の誰かが悪いからだ」

そんな誰しもが心のどこかに抱えている感情を、素直に言い表した、この言葉に他なりません。

もちろん、こうした庶民のちょっとした小言や悪口は、それ自体にはなんの罪もありません。
実際社会には至る所に不公平や格差があり、その原因の多くは理不尽で、自分の責任によるものでないことも事実だからです。
さりとて選挙に行ったり、なんらかの社会変革行動をするのではなく、単に赤の他人に向けて僻みやルサンチマンの発露をすること自体は非生産的なものであることも確かなのですが、あえて口に出すことで、その気持ちを浄化し、精神的な安定に繋がるというメリットもあるのです。

しかし、その言葉だけ考えれば、同時に個人の不平不満を他者に転嫁する「呪いの言葉」であるという側面があることもまた認めなければなりません。

もちろん一人ひとりの呪いの言葉は大した力はありません。
しかしその呪いの言葉は、なんらかの媒介を通して一つに纏まれば、恐るべき呪詛となることもあります。
そして問題は、その呪詛が時に歴史を変えうる強力なマイナスのパワーに変換できることを知っている人たちが、いると言うことなのです。

収束された一つの言葉がマイナスのパワーに変わる時

呪詛とは元々キリスト教の用語です。
異端者が発する正しい信仰を否定し、その信仰によって成り立ってきた社会をも否定する最も忌すべき言葉、それが呪詛です。
それゆえに呪詛という呪いの言葉を唱える異端者は、どのようなことがあっても抹殺されねばならず、歴史上互いに呪詛を投げ合った宗教戦争は最も多くの人たちを殺した戦争にならざるをえなかったのです。

宗教がそのパワーを減じた現代においては、個人が発する呪いの言葉が宗教指導者や教義によって肯定され、一つの呪詛に収斂されることはなくなりました。
しかし逆に現代は教会や宗教ではなく、政治家やメディアがその役目を担い、かつてよりも広く、はるかに強力に増幅され、圧倒的な負のパワーに転換されていく可能性を常に有する社会になったともいえます。

その負のパワーは直接的に体制破壊のエネルギーとなり革命やクーデターの原動力にもなることはしばしば歴史で見られてきたことです。
また直接的な破壊の力ではなく、全体主義や強権的な社会の到来を後押しするような形に姿を変えることもしばしばあることです。

RPG風にいうなら、呪いの言葉が民主主義という術式のなかで一つの強力な呪文となり、圧倒的な破壊力を持つ攻撃魔法になったり、社会という魔法陣から自分のルサンチマンを代弁してくれる独裁者や圧政者を召喚したりするものだと言えるかもしれません。

又そこまで行かなくでも、社会にいわば強力なデバフをかけ、死に至るスリップダメージを与え続けていくことも珍しくはありません。
実際歴史上、多くの国や文明がそのようにして滅びました。

繰り返しますが、個人が自分の置かれている境遇と他者のそれとを比較し、不公平や歪みを感じ、口にすることにはなんらの問題もありません。
問題は、この負の力の発動のさせ方を直感的に知っている人たちが存在すると言うことです。
その多くを占めるのは政治家やメディア、あるいはその周囲にいる人でしょう。
私たちはその発言に注意しないと、知らず知らずのうちに、彼らの呪詛の呪文を発動するための触媒にされることも十分あり得ると言うことなのです。

日本はフォースのダークサイドに落ちるか

日本人は古来から言葉に力があると信じ、言霊というものをとても重く受け止めてきました。
またキリスト教世界においても、ヨハネによる福音書が冒頭に「はじめに言葉ありき」と書いたように、万物はまず言葉から始まると考えられてきました。
これほどまでに言葉というのは、人を動かす恐るべきパワーを秘めた「フォース」なのです。

最近の政治家や社会のリーダーなどの言葉は、個人の持つ負の力、スターウォーズ的に言えばフォースの暗黒面に着目し、この力を意図的に増幅させようとするものが多くなってきたように感じます。

確かに暗黒面の力は強力で、非常に強力な破壊と変革のパワーを持っています。
銀河共和国を滅ぼして帝国を成立させるレベルで社会を変えるエネルギーを間違いなく現実世界でも持っているのです。
一方で人の負の感情を操り、その力によって社会を変えようとすることは、自身がフォースのダークサイドに落ちた暗黒卿になることでもあります。

だからこそ人に明るいビジョンを与えて奮い立たせる光の言葉を、社会の責任ある立場の人たちには発して欲しいと心から思うのです。