混乱しているという話

 最近はまだマシになりましたが、哲学だとかその他いろいろな学問に触れていると、かなり頭が混乱してくるんですよ、自分で何かを作り上げようという気がなくなる、自信がなくなる。
 多分これが体系というものなんでしょうね、ちょっと触っただけで「勝てねぇ~」ってなるっていうかね、支配されちゃう感じがあるんですよ。バタイユとかニーチェとか(特にバタイユ)あたりが言ったように、体系づけられているような哲学とかその他学問は、やはり論理とか事実だとかでマッチョになっているわけで、そりゃ見ただけ触っただけで、勝てねぇってなりますわなって感じなんですけど、体系づけるってのは権威を欲する力への意志みたいなのであらかた説明がつくのかなと思うんです。
 論理性の強い学問って私みたいな、いいとこだけ持ってこうとする蚊みたいな連中にはとにかく厳しいんですよね、私は多感な時期ですので、思想が変わりやすいってのはあるかもしれませんが、一つの思想を完全に追いかけようと思っても、その翌週には考え方が180度変わってたりするわけですからね、体系立てようなんて思いつくことがもう凄いというか、その熱意に乾杯、そして完敗って感じになって自信を失って、奴隷になっていくという末路をいつもたどっているんです。
 絶対的な真理を打ち立てたいという思いは、誰しもあるし当然私にもあるわけなんですが、しかしそれが不可能なことも当然私たちは自認せざるおえないというか、キリスト教に無理だったことが私たちにできますか?ということなんですよ結局、今の時代、キリスト教が無双していた時代ほど相手は弱くないんですよ、様々な権威、それもかなりの強豪たちがひしめき合っていて、事実という刀を振り回して大暴れしている暴れ武者だっていますよね、ひろゆき氏は宗教裁判にかけれないんですよ、現代では。
 宗教的虚構が事実を振りかざす科学に道を譲ったという見方もあるかもしれません、しかし、相変わらず科学的事実と人間的理性(ドイツ観念論はほぼ宗教だと思う)のせめぎ合いもありますよね、さらに事実っていうのは、意外にすぐ変わっちゃうものが多かったりする、今まで常識だったものを疑うことが科学の本質であることからも想像がつくように、簡単に転覆してしまう船なんですよ科学っていうのは。
 とにかく絶対的真理の変遷が早いともとらえることができるかもしれませんね、さっきも言ったように現代では、王の座を狙っているものがあまりに多い、こんなんじゃ何が正しいのかより分からなくなったといっても過言じゃない、知れば知るほど分からなくなる、夢を見ているような気分ですよ。
 
 近頃大きい魚がよく釣れる、しかしとにかく足が早い、食べきる前に捨てる日々が続く、やがて家の周りは腐肉で覆われる。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?