社員A:「日英同盟復活」とは言うけれどその前に考える歴史的背景

みなさま、こんにちは。 日々社員Aの身の上にはいろんなことが起こります。 今回は最近話題になっている「日英同盟復活」に少し触れたいと思います。

だれでも知っている「日英同盟」1902年(明治35年)1月30日-1923年(大正12年)8月17日の間に結ばれていた「攻守同盟条約」ですね。

実は、こちら問題があると考えています。 これは「攻守同盟条約(下記参照A)」なので日本がロシアと戦争した時に英国は予想以上に日本に協力的でした(ロシアバルチック艦隊の邪魔ばかりしていた)。 それは「坂の上の雲」を読むまでもありません。それによって、少なくとも日本はロシアに敗北はしませんでした。「損害賠償」が取れていないので勝ったと言い切るのは苦しいと思います。

問題はその後、英国が第一次世界大戦でドイツと戦っていた時に、「日本が英国に対し、英国が日露戦争の支援に見合う支援を行った形跡がほぼない」と言うことです。 従い、英国から見たら日英同盟って「攻守同盟条約」じゃないのか? と疑問符を抱き結局1923年に条約を失効してしまい、その後日本はとんでもないことになっています。

ここでの注意点は条約が「失効した」ということだと思います。 この辺りが条約があったも「ほぼ意味がない」近所の国々との違いではないでしょうか? 「勝手な条約破棄・条約無視」と「失効」では大違いです。

結果的に、形はいろいろあるとおもいますが、ここで言いたいことは「約100年前の日本が英国に負った借りを返す」時が来たのではないかと言うことです。そうしないとずっと「攻守同盟条約」の義務を果たさなかったような国になってしまうと思います。 おそらく、英国側も内心はこのことを忘れていないでしょう。

香港返還を見るまでもなく100年たってもいったん条約を締結すれば守る国です。なんらかの条約が結ばれれば日本の強い見方になってくれるでしょう。

参照A:
「攻守同盟条約」二国以上の国家が、第三国に対する攻撃や防御に関して一致した行動をとるという趣旨で結んだ軍事同盟条約。

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