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教育と費用対効果

 民間企業で12年間営業をやっていました。そんな私が学校の教員となって思ったこと。
 あまりにステレオタイプな言葉で恐縮ですが、やはり古いな、非効率的だな、と思いました。比較をしてもしょうがないのですが、学校は、仕組みとして効率的ではない部分がたくさんあります。だから、様々な面で改善の余地は多くあると思いました。

 しかし、今日言いたいことはそれではありません。そんな風に非効率だな、と思っていた私が、教員の仕事をしていくなかで、
「教育とは、効率化などの市場経済の論理とは相容れないもの」だとわかったのです。 

 中学校の教員になった当初、教員の仕事は無駄な時間ばかりだなと思っていました。休み時間に廊下にいるとか、生徒を見守るとか、色々な場面で生徒と一緒にいるとか、掲示物を時間をかけて作るとか、本当に非効率的だなと思っていました。もちろん多少は意味があるかもしれませんが、そんな「無駄」なことに時間を使ってもしょうがないと思っていました。非効率的だし、費用対効果を考えていない、コスト意識が欠如していると思っていました。それよりも、もっと無駄な時間を削減して、隙間時間でいかに効率的に仕事をするかが大切だと思っていました。

 しかし、教員の仕事をやってきて、今では全く違う考えです。教育は、無駄に見える時間こそが、大きな効果を生み出しています。教育は、効果や結果が見えづらい仕事です。だから、優先順位をつけると、授業が1番で、他は無駄な時間がたくさんあると思ってしまいがちです。しかし、生徒と過ごす、無駄に見える時間の積み重ねこそが、実は教育的な効果が高いと感じています。
 例えば、いま私は、学校の休み時間は、必ず廊下にいて、生徒たち全体を見守っています。なぜならこれが、非常に教育的に効果があるとわかったからです。毎朝、昇降口で、一人一人の生徒に対してめちゃくちゃ大きな声で挨拶をしています。これが本当に教育的な効果があるとわかったからです。生徒と一緒にいること、見守っていることは、本当に教育的な効果が高いです。担任であれば、生徒と一緒にたくさん笑い、色々な出来事を一緒に体験することが大切だと思います。それこそが、教育的に最も効果を生み出すものだと考えています。(これは家庭での子育ても全く同じです。)

 だから、全国学力テストで点数が低いとか、教育に市場原理を取り入れて競争させろとか、教育に効率化を徹底的に求めるとか、実はそれは本末転倒なことではないかと思っています。結果的に、教育の効果を失わせるものだと考えています。なぜなら、教育は、目に見えにくい非効率な部分が大切であり、そういう面から大きな影響を受けているからです。 

 教育が、人格の完成を目指しているのであれば、ますますそのような無駄な時間にこそ価値があると思います。私もコスト意識を持って仕事をしていますが、やはり「教育は無駄に見える時間の積み重ねこそが、もっとも費用対効果が高い」と考えています。


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