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本だより(4)「脱・心理学」入門―10代からの文化心理学」新原将義

今回ご紹介するのは、日常の世界の「当たり前」を心理学的に捉え直そうと試みた一冊。著者は帝京大学高等教育開発センター講師で文化心理学、状況的学習論を専門とする新原将義氏です。
今回は本自体の内容の紹介というよりは、本を通じて思い出した自分自身の心理学との出会いや忘れかけていた視点について振り返りたいと思う。

心理学との出会い

この本を手にとった時に思い出したのは、私が心理学を専攻とすることを志した時期のことだ。臨床心理士として働いていると話すとよく受ける質問の一つに、「人の悩みを聞くなんて大変な仕事じゃない?」「ストレスがたまらない?」というものがある。(ちなみに次点は「人の心読めるの?」)仕事であり、専門家と名乗る以上、ストレスのない仕事はないと思うのだが、その質問を受けるとやはり自分はなぜ心理学の道を進んだのかを懐古する。

理由の一つは、「人の心理に興味がなくなることはないだろう」というものである。元来私は飽きっぽい性格で、平均的な力を発揮するのは得意だが、何かにすば抜けて夢中になったり寝食を忘れるような経験はほぼない。しかし生きている以上、自分の心や他人の心がどうでもよくなるということはさすがにないだろうと考えた。

仕事であれば飽きたら転職する、という方法があるが、大学院卒業までの6年間、修士論文を書き上げるまでは学問に向き合わなくてはならない。心理学分野であればさすがに興味が持てるテーマが一つくらいは見つかるだろうという安易な考えがあったことを思い出す。

なぜ人は心理学に惹かれるのだろう。心の機能や感情、発達は個体の違いや環境によって異なるとはいえども、そのプロセスを理解したい、読み解きたいという思いを誰しもが持っているからだろうか。

アカデミックな心理学

心理学を仕事とすることを考えた時、イメージしたのはカウンセラー(臨床心理士という資格を持っている人が多いことは、大学受験時に知った)であった。しかし大学に入学した時最初に授業で学んだのは、カウンセリングの技法や知識ではなく、基礎心理学、心理学実験の分野であった。

心理学に詳しくない方でも、パブロフの犬、ロフタスの目撃証言に関する実験など、過去の実験や調査によって導き出された理論には少なからず触れたことはあるだろう。

実験では、検証したい仮説以外の条件を揃えた上で比較する、ということが前提となる。条件を整えて、データをとって、分析をして有意差が出ると、仮説が証明されて…ああ〜、科学的裏付けが取れた!これがアカデミックというものか!と悦に入る。お恥ずかしながらそのような感覚に陥ったこともあった。しかし一方でその統制するという作業が、心理学を現実の世界と切り離してしまっているという考え方もある。

本著においては、「状況的学習論」という考え方をベースに、ある切り離された実験的空間における事象ではなく、環境や関わる人を含めた状況として物事を捉える、という考え方を説明している。

例えば知能検査では「記憶力」を「聞いた数字を何桁まで覚えられるか」ではかることがあるが、日常の場面でこのような記憶の手段がとられることはほとんどない。電話番号を覚える時ですら紙かスマホにメモをとるだろうし、そもそも無意味な数字の羅列を記憶する作業自体が少ない。このように人と環境とを媒介する道具の存在を前提とすることで、社会の仕組みや人の心のプロセスはよりリアルになる。

では実験室で行われている心理学実験は、全く意味をもたないものなのか?決してそうは思わない。科学的なデータや実験が前提としてあり、それだけでは説明できないことが生じた時、ワクワクしたり、考える意欲が湧いてくるものだ。

成果の見えづらい学問

学生時代の話に戻ると、当時の私は基礎心理学の分野に興味を持ちつつも、それを突き詰めていくことでどのように社会に還元できるのかまでは考えが及ばなかった。

いまや学校現場も教師対生徒の一斉授業という枠組みにとらわれない、生徒同士の交互作用や自発性を重視した仕組みや、地域や学校外の人材を取り入れる工夫などが多く取り入れられている。社会の未来を担う子どもたちに還元するという意味で言えば、教員という役割に限らず学習環境へ新しいアイデアを提案したり、コミュニケーションを豊かにする手助けをする役割は存在し、多様化しているといえるだろう。

本著ではある地域社会や特定のコミュニティに焦点を当てた研究も数多く紹介されている。実際に心理学的視点がどのように社会に活かされるかをイメージすることができるだろう。

心理学に限らず、成果の見えづらい学問は存在する。短気なわたしは個人に直接働きかける職業を選んだ訳だが、背景を知って仕組みを作ったり、環境に働きかける学問を突き詰めることは、より多くの人や社会に影響を与えるきっかけとなる。自分が学生の頃、もう少し広い視点で物事を捉えられていたら、職業選択も変わっていたかもしれないと時々考える。

人が発達する瞬間

現場で子どもと接していると、「発達の瞬間」に立ち会うことが多々ある。「あ、いま閃いた」「昨日は2歩だったのにもう歩いてる」というような知的、運動など様々な発達が見られ、人のことながらワクワクするものだ。

一方年齢があがると発達の機会は格段に減ってくる印象だ。昨日より今日の方が発達している、できることが増えていると感じる大人は少ないのではないだろうか。目標をもとうと考えても、月単位、年単位で取り組まないと変化が現れないようなものも多く、まあそれなりに幸せだしこのままでいいか…とつい守りに入ってしまう。
最終章の「アイデンティティと発達」では以下のような一節がある。

「頭1つの背伸び」は、今の自分や、その場での自然な行為とは少し違ったパフォーマンスをすることであり、それはアイデンティティを確立した私たちにとってはとても居心地の悪いものであるからです。ーp.139

社会に順応する、その場で求められる役割を遂行するということは、社会人としてある程度必要なスキルでもある。しかし変わりゆく社会を生き抜き、次の世代を育てるためには、本著で示された「頭1つの背伸び」を意識することが非常に重要であり、大人である自分にとって忘れかけていた視点ではないかと感じた。

おわりに

心理学の分野を志す若者にとっては、心理学という学問がどのように社会を捉えていくのかを知るためのヒントであり、心理学についてある程度知識のある方にとっては、「いわゆる心理学って机上の空論でしょ」といった概念を打ち砕く、まさに脱・心理学の視点を養える一冊として、ぜひ手に取っていただけたらと思う。



【プロフィール】
臨床心理士、公認心理師、ときどきNPO理事。
読んだ本の蓄積とoutputの練習を兼ねてnoteを書いています。
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