見出し画像

人間の素晴らしさとは

現在午前5:30。また眠れない夜がやってきた。いやすでにお天道様は顔を出している。こんな時には映画の名場面集をよく見る。今回見たのは2010年公開の“The Karate Kid”だ。(日本では ベストキッド かな?)
映画の評価ではないが感じたことを綴りたいと思う。

作中にはこんな場面がある。北京に引っ越してきたもののその地に馴染めずいじめられていた主人公は師の元で鍛錬を積み重ね、カンフー大会の準決勝まで勝ち進む。これではまずい、と「主人公の足を潰せ」と選手に命令する強豪チームの監督。
命令を受けた選手は顔に怯えを見せながらフィールドへ登り、見事主人公の左足に肘鉄を食らわせ潰すことに成功する。巻き起こるブーイング。失格となり痛みに苦しみ悶える主人公の姿を横目におどおどと外に出る彼の姿は悲しみに満ち溢れている。
(百聞は一見に如かず 下に動画のリンクを貼っておきます)
https://youtu.be/5WT1QRZ2z6A

この場面を見たぼくはある事件を思い出した。
2018年5/6 アメリカンフットボール 日本大学vs関西学院大学の試合で起きた“反則タックル”だ。
試合中、日大ディフェンスラインによって関学QBに無慈悲、そして不自然なタックルが行われた。ここで“不自然”と書いたのは皆もご存知の通り、裏で操る者が存在していたからだ。
コーチからの「1プレイ目で潰せ さもなければ後はない」という指示で動いた、と日大の選手は会見で述べている。
例のタックルを見ての個人の見解だが、ボールを持っていないQBへの激突はあまりにも無策であり、その”不自然さ”からはDL選手の後ろめたさ・焦りを察知した。というのは、もし誰もが後がない状況で本気で潰すという感情になれば、ボールを持った時などの自然な経緯で行うだろうと考えたからである。

前出の映画の場面とこの事件、共通して湧き出た感情は「どうして他人に打ち明けなかったのか」という非難と「そう思うとはいえ、もし自分がその立場に立てば、、」という共感に似たものである。
アメフトだけでなく、一つのことを長く続けるというのは間違いなく少数派であり、強い意志を持つ者にしか成せないことである。カンフー大会準決勝まで勝ち上がった彼だってそうだ。だがその強い意志たちは一つの邪悪な権力によって壊された。
こういった状況において仲間に打ち明けていれば全員ではなくとも救いの手を差し伸べてくれる者がいたのではないだろうか。ただ、打ち明けるには相当の勇気が必要であろう。ぼくはそんな勇気を持てると断言出来なかったからこそ、共感らしき感情を抱いたのだ。

逆らうことのできない邪悪な権力というのはスポーツ界だけでなく、そして大人・子供関係なく、学校や社内などいろんな環境に蔓延っている。どちらの場合も選手から選手への直接的な暴力ではなく、大きな権力からの間接的、または構造的暴力である。

行為の出処が明確でなく、間接的にある人たちを加害者に、ある人たちを被害者としてきたもの。構造的暴力というのは歴史上いつでも存在し、多くの人を不幸にしてきた。
最近で言えば、自ら命を絶った財務局職員然り、水俣病で人生を根こぎにされた人々だ。
(チッソ水俣工場の職員は汚染物質が垂れ流しになっていることを知っていながらも上からの圧力でそれを公言できなかった)

構造的暴力によって操作される負のスパイラルを断ち切る為に必要なものは、覆い被さってくる大きなものに”立ち向かう勇気”、そしてその勇気を見せた者を手助けする”大いなる優しさ”であると言い切ることができる。人の上に立つ人間にも大切なことがある。それは自分を客観的に見る“冷静さ“、間違いにノーと言える”正義の精神“が必要であろう。少なくともぼくはこれらを忘れずに生きていきたい。
人間同士が共鳴し合い苦難を乗り越える、その姿こそが我々が本来のあるべき姿であり、「人間の素晴らしさ」と呼べるものではないだろうか。

そして今一度復帰を決意した日大選手にエールを送りたい。

現在6:30。外ではスズメがさえずっている。もう一度床に着こうとしよう。

#スポーツ #エッセイ #ジョジョ #朝 #眠れない #夜 #バックパック #旅 #日常 #人間

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?