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【名言と本の紹介と】『眠れなくなるほど面白い 図解 論語』

子曰しいわく、吾十有五われじゅうゆうごにしてがくこころざす。三十さんじゅうにしてつ。四十しじゅうにしてまどわず。五十ごじゅうにして天命てんめいる。六十ろくじゅうにして耳順みみしたがう。七十しちじゅうにしてこころほっするところしたがって、のりえず。

先生がいわれた。わたしは十五歳で学問を志し、三十歳になると、独立した立場を得た。四十歳になると、迷うことがなくなり、五十歳になると、天命をわきまえるようになった。六十歳になると、人のいうことを素直に聞くことができるようになって、七十歳になると、思ったようにふるまっても道をはずれるということはなくなった。

山口謠司監修『眠れなくなるほど面白い図解論語』(日本文芸社、2019年)20頁



 NHK大河ドラマで『青天を衝け』が放映されていたのは2年前だ。当時は渋沢栄一『論語と算盤』がブームになった。すでにそのブームも収まってしまったが、論語を取り上げてみようと思う。

 私が冒頭の文に出会ったのは、中学の漢文の授業だった。当時は、「何、コイツ」というのが素直な感想である。詳細を語れば以下の通りだ。

十五歳で学問を志すって、私たち小学校から勉強してるし。まあ将来、研究職につきたいって意味ならわかる。三十歳で自立って、それまでニート? 四十歳で迷わないってそれまで何迷ってんの? 五十歳で天命? 天命って何? 六十歳でやっと人のいうことを聞くわけ? 頑固じじいじゃん。 七十歳で道を外れなくなったって、六十九歳までやんちゃしてんの? 逆にすごくね?

 現在の中学でもこの文を習うのだろうか。習うのであれば、是非歳をとってから振り返って欲しい。いずれ分かるときが来る。

 ちなみに私はアラサーの時には就職していたが、少ない給料ながらやっと安定した生活になりつつある頃だった。また研究職を目指した知人は、その頃に夢を叶えて安定した職に就いていた。

 そしてアラフォーの今、迷いまくっている。十年後に天命を知ることなんてできない気がするし、二十年後に人の言葉に素直に耳を傾けられるかというと、自信が無い。三十年後に道を外れない聖人君主になれない。確実に。


 論語は、きちんと読んだことは無いが、「それは知ってる」という内容は多いと思う。聞いたことのある話もあれば、ことわざになっているものもある。日常生活になじんでいることもあるだろう。

 名言が多いので、いくつか聞きなじみのあるものからピックアップしてみよう。


せばる、らぬは人のさぬなりけり

その気になれば、何事もできないことはない。できないということは、努力が足りないということだ

26頁


 この言葉は、武田信玄、上杉鷹山が云い換え、ことわざとして一般的に流布したようだ。

 気持ちを奮い立たせる良い言葉だが、努力不足といわれるのは正直辛い。頑張っても出来ないことはあると思う。もちろん十年、二十年かけてでも行えばできることもあるかもしれないが、あきらめが肝心ともいう。人生一度きりです。許してください。


ぎたるはおよばざるがごと

過ぎるのはゆき足りないのと同じなのだ

28頁


 この言葉は良く聞くのだが正直ピンと来ていなかった。足りないよりは多くて余る方が良いと思い、多め多めに何事も用意している。だが、以下のようなことわざもあるようだ。


「彩ずる仏の鼻を欠く」

木彫の仏像を仕上げる際に、ほどほどにしておけばよいものを、もう少しここを、あそこを、とやっているうちに、やり過ぎて肝心なところを欠いてしまい、すべてを台無しにしてしまう。

29頁


 これはわかる。
 物書きのみなさま、絵描きのみなさま、良い加減なところで切り上げましょう。


己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ

自分が人にされるのを好まないようなことは、自分もまた人にはしないようにしたい。

33頁


 この言葉は、子どもの教育現場でよく耳にする。喧嘩した子どもや乱暴に扱ったおもちゃ等に対して大人がこの言葉で諭している。
 だがこの言葉は万能ではない。以前は、親戚や知人が善かれと思って私に縁談を持ってきてくれた。彼らが私の立場なら欲すると思ったのだろうが、そうでない場合もある。さらには文化が異なればもっと多くのミスリードが起こるだろう。基本はそうだろうが、柔軟性をもっておきたい。


子曰しいわく、まなんでおもわざればすなわくらし。おもうてまなばざればすなわあやうし。

先生がいわれた。教えられたことを学ぶことや、本を読むだけで、さらに深く思索をしなければ、知識を得るだけになってしまう。また、考えるだけで自分勝手に思い込んでしまうのは危ないものだ。

58頁


 この言葉は冒頭の文と同じく学校で習った記憶がある。これも当時はイマイチわかっていなかったが、今では座右の銘と言いたいくらい心に響く言葉だ。(座右の銘と言えないのは、まったくもってできていないからだ)

 学ぶことも思うこともなかなかできていないが、くせづけしていきたいものである。



 また正直今日まで聞いたことは無かったが、面白いと思ったものをピックアップしてみる。


あやまちてあらたむるに、はばかることなかれ

間違いに気づいたら、体面や威厳に傷がつくなどと考えずに、素直に改めることだ。

18頁


 また以下の文も論語にあるようだ。


あやまちてあらためざるこれあやまちという

人は過失を起こしやすいものだが、改めればもとに戻る。改めなければ、その過ちは真の過ちになる。

19頁


 仕事でも過失は度々ある。それを認めるのは嫌だし、何とか誤魔化そうかと思うこともある。だが素直に過ちを認めれば、基本的にオオゴトになることはない。周囲も素直に受け止めたいていのことは修正されていくように思う。これを認めず突っぱねたときは厄介である。上層部の方々にこういうケースが多い気がするのは気のせいだろうか……。


子曰く、これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。

先生がいわれた。知っているということは、好むということには及ばない。好むということは、楽しむことにはさらに及ばない。

42頁


 最近「好きなことを仕事にする」というキーワードで副業が薦められている。まさにそれだ。
 2,500年前に時代を先取りされていたなんて、誰が想像できようか。


子曰しいわく、おしえざるたみもったたかう、れこれをつという。

先生がいわれた。戦いというものは、生死にかかわるものだから、平常から訓練をしておかなければいけない。訓練をしない民を兵士として戦うことは、負けることがわかっているので、最初から勝つことを放棄しているということだ。

46頁


 これもまた、今言われる「リスキリング」ではないだろうか。会社に入ってから業務内容はOTJで学んでいくが、日々の業務をしているだけではアップデートされない。意識的に学んでいかなければ、いざというときに競合他社に負けてしまう。勝つことを放棄していると言われても言い返せない。


子曰く、君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是れに反す。

先生がいわれた。君子は人が善いことをしようとしているときには、できるように助けてあげて、人が悪いことをしようとするときには、これをやめさせる。ところが小人はこれとは反対に、人が悪いことをしそうなときにはそそのかし、善いことをしようとすると足を引っ張って妨害する。

72頁


 あるあるである。人がせっかくやる気を出してやろうと思ったことに冷や水を浴びせるような人はいるものである。なぜかそういう人は社内に多い気がする。なぜか君子は社外に多い気がする。隣の芝が青く見える現象が起こっているのなら良いのだけれど。


子曰く、巧言令色こうげんれいしょくすくなしじん

先生がいわれた。巧みな話しぶりで、見かけだけにこだわるような人間には、仁(人を思いやる心)は備わっていないものだ、と。

78頁

子曰く、剛毅朴訥ごうきぼくとつじんちかし。

先生がいわれた。正直で、勇敢で、質素で誠実、寡黙な人物は、仁に近い人だ。

80頁


 この二つは対になっている。見かけばかりを繕っている人に仁は無く、寡黙な人物は仁に近いという。なんとなく言いたいことはわかるし、当てはまる人も多いのだと思う。だけど断定しなくても良いのではないだろうか。ナルシストな良いヤツもいるかもしれない。というか、孔先生、多分ですけど身近にいますよね、このモデルになった人。


論語読みの論語知らず

読書をして書の内容を理解することはあっても、理解した内容を社会生活のうえに、具体的に反映したり実践したりすることができないことをいい表した言葉

124頁


 この本の最後に、書かれていた言葉だ。最近、『アウトプット大全』という本が大ヒットしていた。あわせて読んで、実践していきたいものである。

 学んで思わざれば則ち罔し。思うて学ばざれば則ち殆うし。学んで行わざれば則ち学ばざるが如し。 といったところだろうか。




 今回取り上げた論語の本は、眠れなくなるほど面白い図解シリーズだ。ひとつひとつは深堀りできないが、導入としては手に取りやすく面白い。

 本書にはないが、孔子の人となりを表すエピソードをひとつ紹介しておこう。


 皆様は桃を頬ずりしたことがあるだろうか。私はある。痛い。

 桃の表面を撫でると毛がザリザリしている。清水白桃のような実が柔らかく良く熟していれば丸かじりもしやすいが、もっと固く林檎のような桃ならちょっと齧りつくのをためらわれる。

 古代中国では、きびで表面をこすり毛を落として食べるのがマナーだったそうだ。

 孔子はある時、魯の哀公から宮中に招かれる。そこで黍と桃が出された。

 孔子は先に黍を食べ、それから桃を食べた。その様子を見て周囲の者が笑う。

 哀公は孔子に食べ方を伝えるが、孔子は堂々とした態度で答える。

「それは知っています。しかし黍は五穀の長で、先王を祀るときには最上の供え物と致します。桃は木の実では下等の物で、先王を祀る時には入れません。君子は卑しい物で貴い物を拭うと聞いておりますが、貴い物で卑しい物を拭うとは聞いていません。だからあえて桃を最上の供え物である黍よりも重んじようとはしないのです」


 この話は「先黍後桃せんしょこうとう」として後に韓非子によって語られている。そして韓非子の「ウケるw もっともらしいこと言っているけど、桃はそのままでは食べれたもんじゃないからw」(意訳)というコメントと一緒に残っている。


 聖人君主のイメージが強い孔子だが、結構人間臭いところが多い。そんな彼にこんな言葉を紹介しよう。


子曰く、ゆうよ、なんじにこれを知ることをおしえんか。これを知るをこれを知ると為し、知らざるを知らずと為せ。是れ知るなり。

先生がいわれた。由よ、おまえに知るということを教えよう。知っていることは知っていることとして、知らないことは知らないということだ。これが本当に知るということなのだよ。

97頁


 そうだ。もうひとつ、覚えたての言葉がある。この言葉もまた孔先生へ是非ともお伝えしたい。


あやまちてあらたむるに、はばかることなかれ

間違いに気づいたら、体面や威厳に傷がつくなどと考えずに、素直に改めることだ。

18頁


本書はkindle unlimitedで0円で読むことができる。全132ページ、しかもフルカラーの図解付きだ。1時間あれば読めるので、お時間のある時に是非ご覧ください。良い言葉が見つかります。

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