あくえりメモ_note___1_

無理して人の役割を奪うより、任せて感謝した方が上手くいく

ヨカレで無理して人の役割を奪うより、任せて感謝した方が上手くいくよなって話です。

父は母には敵わない

急に何だと思われるかもですが、育児中にふと思ったんです。
※ちなみに以下では我が家をモデルにしている。父が勤め人、母が専業主婦、もしくは産休・育休中という設定。

それは、父がどんなに育児参加しようとも、育児のメインは母。大変なのは母。どんだけ綺麗事を良い、イクメンアピールしようとも、事実、主に育てているのは母。絶対的に一緒にいる時間が長い。

お前の子供でもあるよな?育児参加ってなんだ?育児の役割は母って何だ?とかそういうのは置いときます。もちろん休日などは僕が面倒を見て、妻にはお出掛けしてもらったりしています。でも、絶対的に育児に関わる時間が長いのは母なので。

どれだけ娘と一緒にいようと頑張っても、母の壁は越えられない。

父の自己満足な育児参加は喧嘩のもと

であれば、無理してポジションを奪う必要はない。

先の例で言えば、母には母を全うしてもらう。僕はそのことに感謝する。

無理して育児に関わり、でも結局は中途半端にしか関われず、それがむしろ妻のフラストレーションとなる。僕は、自分が頑張っているのに妻に認めてもらえず、また助けられないことに悲しくなる。疲弊して機嫌悪くなり、妻のフォローもできなくなる。

これは両者で険悪になる。みんな頑張っているのにもったいない。であれば、育児の中心は妻であることを認め、基本的には妻にお願いし、僕はただひたすら感謝し妻の精神を支える方が、結果的に上手くいく。

人には人の役割がある

家庭でも仕事でも遊びでも、人には人の役割がある。

本来の役割の範囲を超え「手伝い」にいくのは、ある意味で気が利く。仕事でも、他人の仕事にまで目を配り、穴や漏れを塞いでくれるプレーヤーは非常に価値がある。

一方、責任を取れない人の中途半端な参画は、むしろ邪魔なことも多い。また、そのモチベーションが「手伝う俺、偉い」といった自己満足にある場合、えてして皆に不満が残る。

支援を受ける側は常に「本当に大変なのは自分、やりきった際の報酬は自分にある」と考えている。支援者に感謝はするが、それ以上に感謝されたいと思っている。土足で「自己満足」を求めて入り込んでくる支援者の思惑とは相容れない。

だからそっと見守り感謝する

だから、自分が最後まで責任をもてないことについて、余計なおせっかいはしない方がよい。

困っていたら支援はすべきだが、参加した既成事実をもとに、成果まで奪おうとしてはいけない。成果はあくまで、役割にコミットした人が得るもの。そのコミットと貢献に対し、十分な称賛を与え、感謝するのがよい。

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