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#28:雪ダルマ男④仙台と東京と神戸で交錯するキモチ

「緋紗子ちゃん…」
と、背後でした声は紛れもなく電話で毎晩何時間も耳元で聞いた声だった。振り返った私は絶句した。メールに添付されていた写真や、雑誌に掲載されていた人とは別人だった。その人が思っていたよりも大きいとか、顔がどうだとか、そういうことを抜きにしても思っていた人とあまりにも別人な事実に直面して、私はしばらくどう反応するべきか迷っていた。

「…で、誰なん?」
とやっと発した声は少し震えていたし、想定外の展開に驚きを隠せなかった。
「ごめん。本当にごめん。俺、こんなんだから…嫌われると思って、ホントのこと言えなくて…」
といきなり私の足元で土下座を始めた。
普通ならそんなことをされても困るだけだし、「ちょっと、やめてよ」となるのだろうけど、私の場合は違った。
突然怒りが沸点に達し、衝動的に持っていた日傘で彼を叩いてしまった。ぎょっとする周りの人々が好奇の目で私たちを見ていることや、傘で人を叩くなんて、いけないことだという理性は働かなかった。心のどこかで、何か正当な理由があって会えなかったことを信じていたし、別人が何年も自分に嘘をついていた事実がとても悲しくて、ショックだった。
次第に大きくなる人だかりに、詰めていた駅員が駆けつけ、私を後ろから羽交い絞めにした。そうまでなっても、見知らぬ男はひたすら謝り続けていた。駅員だけでなく警察までやってきたところで男は「自分が悪いんです、彼女が怒っても当然のことをしたので…」と目に涙を浮かべて説明した。

私はその場にへたりこみ、あがった息が落ち着くまでじっとしていた。とにかく、この場を離れなくてはいけない、と判断できるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
「車の中で話そう…」
とその男を睨みながらつぶやき、彼はトボトボと私の後ろをついてきた。
駅員が私ではなく、彼のことを心配そうに見ていることで余計に腹が立ってきた。
「何も知らないくせに」と毒を吐いてその場を立ち去った。今考えると、なかなか私の態度も酷いものだ。

「それで?あの写真は誰なの」と問いかけてみると
「同級生なんだ…」と答えた。
呆れた。友達になりすましていたということだ。もちろん本人は私の存在など知るはずもないことだろう。そして、同級生ならタイミングよく雑誌に掲載されたことや、私がTだと思いこんでいた人の就職先や近況を知っていたのも理解できる。
「暇つぶしで始めたチャットだったから…本人の写真なんて使う必要もないと思ったし、電話で話しているうちに好きになってしまって、嫌われるのが怖くて、雪ダルマ式に嘘を重ねていってしまった」
おそらく、何度も考えてきたのであろうという言い訳をゆっくりと一言一言発した。他人の姿を偽る必要があるほど不細工でもないのに、最初についた嘘を修正できなかったということか。

「で、今になって謝罪する気になったというわけね?」と尋ねると、黙ってうなだれた。
「私だけじゃないのよ。騙されたのは。親も、家族も、友達も騙したことを私は許せない」と語気を強めた私に向かって、彼はこう言った。
「ご両親にも謝りにきた」
「…ふうん」
それは、なかなか勇気のある行動だ、と心の中で思った。私の父親は私のことを大層可愛がっているし、散々ドタキャンされて泣いているところを見ている。仕事でキャンセルされたことを理解してあげなくては、と諭しつつもかわいそうにね…といつも家族が揃って私のことを慰めてくれていた。娘が騙されていたと知ったら、きっと激怒するだろう。

自宅に到着する前に電話を入れた。「直接、謝りたいらしいわ」と伝えると「ホントに来たんだ」と驚いている様子が電話ごしにも伝わってきた。
家に到着すると、最初に出迎えたのは父だった。
さぁ、私以上に私のために怒ってちょうだい。と思っていた私だったが、父の第一声は半笑いで
「なんで来たん?黙っておいたらよかったのに」という拍子抜けするものだった。
母も同じように「ようこそ。やっと会えたのね」と笑っていた。
「僕はTのふりをしていたAというものです…自分の本当の姿を見せるのが怖くて、お嬢さんを数年にわたり騙してしまいました。本当に、すみませんでした」と今度は土下座ではなく立って深々と頭を下げた。
その様子に両親は特に怒る様子もなく「で、ホントはどこに住んでいるの?」と応接にお茶を出しながら質問しだした。

それは私も知りたいところだ。本当は誰で本当はどこに住んでいて何をしている人なのか。

T改め、Aは横浜に住んで横浜の企業で勤めているとのことだった。大学は早稲田、野球部であったことは本当で、Tは同級生の中でも才能がある選手だったそうだ。
そして、最大に私を驚かせたことをAは言い出した。
「実は、何度も緋紗子さんには会ってるんです」
「え?どういうこと」
さすがにこれには動揺を隠せない。
「東京で緋紗子さんが一人暮らしをし始めたとき、大岡山の駅で帰る時間を見計らって待っていました。そして、電話をかけて話しながら後ろを歩きました。よく行く近所のお蕎麦屋さんで食事されていたときも、同じ店に入ったことがあります」
怖い。怖すぎる。こんなことが許されていいの?と思わず目を見開いてAを眺めた。

あの時、私は慣れない一人暮らしと友達のいない東京で孤独と戦っていた。タイミングよく電話がかかってくることを不思議に思ったことも何度かあった。でも、まさか背後にいたなんて。
「変な男に声をかけられたりしていたらいけないなと思って心配で…」と言い出したのにはさすがに
「お前が一番変な男なんだよ」と言わずにはいられなかった。
あの時、勇気を出して本当のことを言ってくれていたら、私は彼の存在に感謝しただろう。むしろ、仙台よりも近くに住んでいたのだし、心強かったに違いない。そして、無駄に仙台で時間を過ごすこともなかっただろう。

その後「せっかく来たんだから」と謎の歓迎ムードになり、両親は家族揃っての食事会をセッティングした。私は何を食べたかはもう覚えていない。味がしなかった。

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