少年期 ⑤

 面と向かって話すと、信じてもらえないどころか以降の信用を失いかねないな、と感じて公言してこなかった体験談を、この際残してしまおうと考え、書くことにしました。少年期のお話です。

舵取り

 小学校と中学校の大きな違いは、自由度の向上とそれに伴う責任の増加でした。自身の選択の幅が広がったと明確に感じました。今思えば担任らの方針だったのですが、それが自分の成長の証のようで心地良かったのを覚えています。

 私は剣道部に入部し、師にも友にも先輩にも恵まれて中学生活をスタートしました。

 意志決定が速く、その根拠も留意する私は、集団の舵を取ることが増えました。しかし皆を率いるようなリーダーの器ではなかった(務めたことはありますがパッとしなかった)ので、情報を集めてリーダーの補佐をするか、リーダーの方針から漏れる部分のフォローをするポジションを多く務めました。少人数別動隊の隊長も好きだったのですが、活躍の評価が難しいので保留しておきます。
 自己の不利益を度外視しての活動・発言が基底にあるため、よく頼られ、そしてそれを自分の価値と感じていました。今思えばこれは依存性の一種であり、喜ばしいことではないのですが、自分も友人も、それを見た大人達も、尊い自己犠牲精神として誉めそやしたのでした。理科のケンイチ先生が唯一、3年次になって
「お前はどうしたいんだ?それがよく分かんなくて、不思議なんだよな」
なんて言ってくれましたが。

 逆に、親は一向に私に私の舵取りをさせようとしませんでした。選択の材料を偏らせることは常で、私の意思と親の意向が重なるように仕向け、私の決定が意に沿わなければ物理的にその選択を取れないようにし、私が不服そうにすれば決定事項を口にさせ
「自分で言ったんだから守りなさいよね」
と言質としました。
 その頃は若く、今以上に視野も狭かったので、こんな人との口約束は全て無効だと自分に言い聞かせてしばしばそれを反故にしていました。

 親なり指導者なりの立場に立ったとして、自分ならどうするか、考えることがあります。幸か不幸か、不信感にまみれた関係性のまま後進の人生の舵取りに遭遇した経験が未だ無いので、答えは出ていません。不信感や敵意が育たぬような関係を育むのが1番の策であるのは間違いないのですが、それは予防策の部類です。信用信頼が無い状態で舵取りをしなければならない状況に陥った際、私も私の親のように、言質を取って環境を絞り込んでコントロールしようとするのでしょうか。確かにそれが最も効率は良いのですが、やりたくはありません。かと言って決断から逃げ、その責を他者に押し付けるのはまた違うと思うのです。
 答えは出ませんが、それはやって来るいつかまで取っておこうと思います。

剣士

 剣道部でのエピソードを残しておこうと思います。なお登場人物は皆あだ名です。当時のあだ名の人もいれば今になって急遽付けた人もまちまちです。万が一ご本人から指摘があった場合は変更する可能性があります。

 私の入部時に副部長だった方、スラッガーさんと仮称しますが、この方がその年初の校長に腕相撲で勝利した人となりました。体力測定での握力は左右平均で70kgだったとのこと。いや、そこまでせんと倒せない校長何者だよ。

 比古先輩とマスター先輩。どちらも2つ上の方でした。部内では問題児的ポジションで、ウォームアップから実戦形式まで遊び心全開です。

 前日にスターウォーズが地上波で流れたとき、部長が早上がりしたのを良いことに、練習終わりの片付け移行時に唐突に竹刀を握り、全力で振り回しながら昨晩見た殺陣の再現を始めたのです。
 待ってましたとばかりに体育館の入り口から歓声。見ればサッカー部なり陸上部なりの先輩方が観客として囃し立てていました。
 比古さんは面を外した状態で竹刀2本を持ち、ダースモールになり切ります。対してマスターさんは胴着のみで、竹刀も1本でした。打ち合い、跳んで躱し、横に回り攻め、バク宙で距離を取り、派手な音と動きで見る者を魅了していました。大きな動きで煽るような比古さんの隙を突いて、マスターが打ち込みます。回避が間に合わないと踏んだ比古さんは2刀を重ねた柄部分で受け、間合いを取ってから二刀流に成り代わりました。
 原作再現の展開に外野は大盛り上がりです。
 なおもクルクルと目まぐるしく攻め合う2人。ただ、二刀に振り回され気味で打ち込みの速度も出ない比古さん(大会成績は部内最高)を見て、刀を増やせば強いってワケじゃないんだなと理解しました。同じことを感じたのかマスターさんの顔にも余裕の表情が浮かびます。それを待っていたのでしょうか、体を回転させ、これまで以上に上体をひねり、体重を乗せた一撃を比古さんが薙ぎました。弾けるような高音を伴い2本の竹刀が飛び、追撃の一太刀を後ろ飛びで回避。もう1度踏み込まれたら必死の間合で、雄叫びが上がりました。
「フォース!!」
原作には無い説明的シャウトと共に両腕を突き出すマスター。瞬時に展開を理解し空いた左手を向ける比古。鍔迫り合いのようにして呼吸を2つ。
 その間に、飛んだ竹刀は我々部員とギャラリー集団へそれぞれ飛び込みました。
 落下音を合図にマスターは大きく腕を払い、比古は釣られて視線を切りました。そこへ、生身のままマスターが飛び込み、横跳び蹴りをかまします。それは胴の右胸に命中し、比古は大きくよろけながら右手の竹刀を落下。体勢を立て直す前にマスターが再び叫びました。
「フォース!!」
その意図を瞬時に察したのは2名。スラッガー副部長と比古先輩でした。
「フォース!」
副部長は「危ねぇな」とか呟きながら飛来したマスターの竹刀を回収しており、声とともに向けられた右手がその刀を求めているのだと理解。即座にそれを投擲しました。
 その展開を読み切った比古先輩。誰もいない方向へ転がった右の竹刀とギャラリーへ飛び込んだ左の竹刀から即座に左を選択。同様に手を向けたのでした。
 一拍の差が空き、観客のサッカー部員が竹刀を投擲。縦に回転するそれは肉薄する2人へ迫ります。
 パシンと乾いた音。
 何をどうやって合わせたのか不明ですが、きちんと柄をキャッチする戦士2人。
 判断の差か、それとも運か。はたまたモデルにした役の因果か。コンマ数秒の明暗が分かたれました。右手で武器を握りしめたマスターが身を翻しながら飛び掛かり、左手に武器を握ったばかりの比古を逆胴から一閃したのでした。
 見る者全てが息を呑むことで生まれた一瞬の静寂を、渾身の一撃による轟音が引き裂きました。
 目を見開き、しかし満足気に口角を上げながら、比古先輩は背中から倒れ伏したのです。

 観客の盛り上がりは言わずもがな。騒ぎを聞きつけ戻って来た部長と居合わせた先生に怒られたのも言わずもがな。そんな初夏の思い出です。

 飽きないこの2人のエピソードはもう1つあります。

 その日は武道場での稽古の日でした。気分に波のあるお2人が他の誰よりも早く準備を完了していたのを見て、1年生一同は
(ああ。今日は荒れるな)
と確信したのでした。
 いち早く道着を纏った2人は短い言葉を交わします。
「斎藤」
「じゃあ緋村」
軽く手足を曲げ伸ばし、ヒュンヒュンと竹刀を振ってみてから、2間半の間合いを取って視線を重ねました。未だ左手に武器を下げる比古さんに対し、マスターさんは切っ先を向けました。
「今のお前をこれ以上見てるのは、もはや我慢ならん」
唐突な否定。ざぶざぶと殺気が溢れ、空気が張り詰めていきます。
「……お前がなんと言おうとそれでも、拙者はもう人を殺めるつもりはござらん」
水鳥の泳ぐ水面のように、言葉とともに空気が揺れます。互いの意思が揺らす空気が混ざっていく中、マスターは口角を上げ、刀を寝かせて構えました。
「そうか。……来い。お前の全てを否定してやる」
……るろうに剣心だコレ!!
 作中初の緋村剣心 vs 斎藤一の再現だと察した我々の歓喜が場に伝った瞬間、マスターが突進を仕掛けました。
 一足で間合いに入り、左足で畳を蹴ると同時に伸身し、相手の右胸めがけ突きを放ちます。
 右足を下げ、腰を回して半身でそれを躱しにかかる比古。風に揺れるようにして切っ先を避けつつ、左の膝を抜き、重力を借りて踏み込みを成すと、貯まった力で床を蹴り、瞬きの間に身を翻して刀を薙いだ。
 龍巻閃だ!
 観客の声より速く、マスターは伸ばした左腕を引きながら武器を払う。ガシャァン!と音を立てて竹刀が打ち合った。
 両手持ちで振り抜いた比古は即座に刀を持ち直し、低い姿勢のまま左手を刀身に添え、相手のあごをえぐるように背を伸ばした。
 マスターは左手を胸元まで引き戻しながら、めいっぱいに上体を逸らす。
 相手の反応が絶妙だった。かち上げた刀身は空を切ったが、ここまでは予想通りだった。比古は振り上げに合わせて床を蹴り、高々と舞った。大上段の更に上で、柄を握る両の手を引き絞る。
 ペースを握られたことがマスターには分かった。次の瞬間には脳天へ一撃が振り下ろされる。平刺突により伸びた体の重心は未だ戻らず、腰が浮いている。脚力による回避が十全にできぬ今、判断の迅速さがそのまま生死を分かつのが分かる。横へ躱すか、後ろへ退くか。否。それでは面白くない。彼は心底から湧き出る笑みを隠そうともせず、逸らした上体を千切れんばかりにしならせ、引き付けた腕を、そこに構えた刀を、上空に向けて射出した。
 相手の瞳に、狂気のような喜びが闘気を従えながら灯ったのが分かった。そしてそれを捉えた比古の右目めがけて、渾身の刺突が放たれた。臆せば死ぬ。その直感が彼の身体を突き動かした。柄から右手を離し、そちらで姿勢を御しながら、左手1本を振り下ろす。つられて胴が右に回る。紙一重。敵の剣先が右の涙袋をかすめる。同時に脳天を狙っていた己の太刀も、相手右肩へと逸れていった。
 ズガン!
 明らかな破砕音。一拍置いて比古先輩の着地音がした。
 刹那の攻防で振り下ろされた比古先輩のひと太刀は、上空へ突きを放ったマスター先輩の右袖を巻き込み、ばさりと乾いた音を出したのみ。互いの無事の確認よりも先、1歩の後退で間合いを取った。そこで気付く。
「や……やべぇ~!!!」
マスター先輩の竹刀が、天井から生えていた。文字通り射出されたそれは、仰角およそ75度で武道場の天井に突き刺さったのだった。

 そこから先はてんやわんや。3年生2人は居合わせた1年3人に指示を出し、右の目の下へ擦り傷を作ったマスター先輩を治療し、天井の竹刀を引き抜き、落下した壁材を掃除して、穴の質問をされた際に備えて口裏を合わせたのでした。

 濃い先輩のお話はこんなもので、残るは普通の善良な先輩方でした。同期のメンバーは紆余曲折あり、最初から最後まで参加していたのは私とスラッガー先輩の弟さんの2人だけ。Jr.くんとしましょうか。彼は公式戦でK.O.勝ちをした逸話があるのですが、ちょっと痛い話なので割愛。彼を煽った坊主が悪いということだけに留めます。

 後輩には実に恵まれました。1つ下には謎特技を持つ2人。そのもう1つ下はバラエティに富んだ子らに囲まれました。
 私の入部当時には幽霊部員と幽霊顧問のいる部でしたが、3年間で様変わりし、卒業前には女流で有段者のトモちゃんが顧問に就任。部の活動体制がやっとのことで整ったのでした。私達の卒業と同時期にトモちゃんが寿退職。後任のザビエル先生が熱血漢で、とうとう我が校から地区大会優勝者が出るに至ったのでした。
 よく言えば屋台骨を作った人、悪く言えば捨て石になった中学3年間の部活動でしたが、思い残すことが無いと言える程度には打ち込んでいました。

放課後

 部活動以外で放課後に関わりのあった人と言うと、ランニングコースの河川敷で丸太を相手に技の練習をしている空手家のおじさん、ジグザグに曲がるスライダーだかシュートだか分からない球を投げる1つ上の卓球部部長、のび太、帰路が同じで帰宅タイミングも重なるためよく一緒に歩いたオガさん。

 オガさんはサバイバルゲーム(原始)をした仲でもあります。彼のおかげで私はRPGロマンシングサ・ガシリーズと出会えたので、恩人の1人でもあります。やはり狂人です。
 視力が測定不能(眼科で3.0超を出したが遠視などの機能障害は無いとのこと)で、動体視力も良く、投擲のコントロールが良い人でした。縁日のダーツでは羽根の細工を加味した上で投げて命中率80%くらい。トランプでもポケットティッシュでも狙った場所にだいたい当てていました。ポケットティッシュを縦に射出するとスパイラル軌道で飛んでいくのを知ったのはこのときでした。
 部活は囲碁将棋部に所属。将棋は中学在籍中に地区大会3連覇、県大会2連覇、全国大会出場。囲碁も県大会制覇までしていました。囲碁では日中韓の交流戦に選抜されたことも。なお奨励会には興味が湧かなかった模様。
 その後なんやかんやあって芸術家をしているらしいです。何なんだ彼は。

 彼のまともじゃないエピソードは、ブロッコリーの観察日記を付けていたことです。
 中学1年の秋、家庭科の調理実習で持ち込んだ素材のブロッコリーが余ってしまい、処分に困った(生ゴミの総重量が重い半数の班は放課後の清掃を手伝わされるシステムだったため廃棄したくなかった)彼は、調理室を出てすぐの廊下に設置されている消火栓の上扉(非常スイッチなどがある部分)を開き、そこにブロッコリーを安置したのでした。
 それから半年に渡り、彼はほぼ毎日、放課後にその消火栓の扉を開いては腐りゆくブロッコリーを観察し、記録をつけていたのです。
 私がそれを知ったのは春休み直前でした。帰宅しようと彼を誘うと
「ちょっと待って。やることがあるから」
と、ノートと筆記具を手に、カバンを背負って私をそこへ連れて行きました。扉を開けると、赤いランプの隣に褐色の水たまりが渇いた痕のようなものが。
「え。これ何?」
「ブロッコリー。見る?」
そうして彼は、所々にスケッチを添えたブロッコリー観察日記を見せてくれたのでした。

 冷静にヤバいヤツですね。

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