見出し画像

「好き」と「幸せ」

嫌いになった訳でもない。
好きの気持ちが冷めた。
別れる理由なんて人それぞれ。

私の場合、彼とこの先付き合い続けても自分が幸せにはなれないと確信したから。

仲も良くてふざけ合える、食の好みも合うし、お互いの趣味だって似ていたし、外見も中身もお互いきっとタイプだった。

だけど価値観が真逆で、性格も真逆。
時折、理解できない事が多くて。

「価値観が違うのは当たり前」
「価値観を受け入れ合う」

なんて最近はよく耳にする。
彼とも付き合ってた頃に話し合った。
でも正直、私はそんな甘いものじゃないと思う。

受け入れ合うって?
どうしても譲れない部分があるのに。
ただ受け入れ合ったら本当にただの他人じゃない?

‘‘ 受け入れ合う = 何もしない ”

同等の意味なんじゃないかな。

相手の考え方を深いところまで理解して努力しない限り、受け入れるということは容易なことではない気がする。

私は受け入れるというよりも、彼自体を理解しようと努めた。

彼はこういう人なんだ。

そう思うようになってからは彼が発言する事も態度もほとんど理解できるようになった。

私が嫌だと思う部分も許せるようになったし、好きよりもっと彼のことを愛せるようになった。

そう思ったのも束の間のことで。

私の幸せはどこにあるのか、ふと疑問に思った。
私は彼のこと理解して、好きを伝えて、許せている。
彼は?私のこと理解してくれてる?

見返りを求めていないと言えば嘘になる。
なんせ私はよく出来た人間ではないから見返りを求めてしまう。おまけに期待もしてしまう。

私は彼のことが本当に大好きだった。
好きなだけじゃなくて、たまに嫌いになって、それでも好きで。恋から愛に変わっていたと思う。

このまま関係を続けていけることも出来た。

でも本当に私はそれで幸せなの?

自分に問いかけた時、私は彼よりも自分のことを愛していて、自分のことが大事だった。もしくは、もうこれ以上傷つくのが怖かったのかもしれない。

愛した先の未来は本当に幸せなのか。
そうじゃなかったとしたら私はどうなるのか。

本当に好きな相手だからこそ、冷静に考えられなかったし、不安と戦っては泣いての繰り返しで。
辛くて苦しくて疲れてしまった。

傍から見れば、ただの自分の被害妄想と考えすぎだと呆れられるかもしれないが、彼にも原因は少なからずあると思う。
彼が私のことを好きなのか明確なものも無かったから。

「付き合っている = 好き」なのは理解していた。

それよりも聞こえるものや見えるもので示して欲しかった。

「好き」の一言だけ。
「会いたい」の一文だけ。

そんなもので良かった。
たったの二文字と四文字が何よりも欲しかった。

“男女の差”

その一言で片付けられるのも嫌気がさす。

私は高二の春に祖父を亡くした。癌だった。
亡くなる1年前は祖父が居ない世界を想像したことは無かった。

生きているうちに伝えていれば。
もっと沢山会っていれば。
私は後悔してばかりだったから。

私は今ある幸せを大事にすることと、大切な人達に伝えられるうちに伝えよう、会えるうちに会おう。

だから私は人間関係を丁寧に築いた。

でも彼は、そうじゃなかった。
当たり前にこの関係がずっと続くようだった。
何もせず、ただ静かに、続くだけ。
怖いとか寂しいとか不安とか。
1ミリもないようだった。

私には、とても冷めているように見えた。

そんな事ないのかもしれない。
だけど私から見た彼は、私にとっては寂しさでしか無かった。どうしても悲しくなって感情をぶつけた。

どうしてこうなっちゃうんだろう。
どこから間違えたんだろう。
好きなのに全然幸せじゃない。


でも、確かに幸せだったあの時。
そんな事実と思い出があれば生きていけるのかな。
いや過去が美しくて死にたくなるかもしれない。


自分が好きだったということは素敵なことで。
幸せじゃないことも間違いでもなくて。

「何が」とかはないの。
曖昧で、矛盾で、悩んで。
もうそれでいいのかもしれない。
何も間違ってなかった。
間違ってはなかったけど。


私はたぶん、きっと。
好きなあなたと、幸せになりたかった。

それだけの事なんだと思う。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?