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バイリンガル教育(4-1)~ドイツで実践中~

(3)ではドイツに住む日本ハーフの子どもを取り巻く言語環境について、書きました。ここでは、その子どもたちが2ないし3言語を習得していくうえで考慮すべきこと、必要なことについてまとめていきたいと思います。

1.親の覚悟とたゆまぬ努力

しょっぱなから、正論です(笑)。
でもドイツに住み、ドイツ語や英語を第一言語とする子どもが日本語を習得するには、本当に、これがすべてだと思います。

親がどれだけの覚悟をもって、子どもの言語習得に日常的・継続的に取り組むか、これに尽きます。

子ども4人を全員東大にいれたママとして有名になった佐藤亮子さんがおっしゃっている「勉強を日常にする」ということは、まさにバイリンガル教育にも当てはまります。
ドイツに住む日本ハーフの子が日本語をきちんと習得するためには、彼らにとって日本語が日常であることが最も重要なのです。

私は日本人が英語が身につかない、というのは結局、「英語を日常のものにできないこと」に原因があると思っています。学校の英語の授業、週に1回の塾や英会話学校、そんな切り取られた時間だけ、さあ、英語をしましょう、とやってみたところで、その時間が終わればすぐに頭が日本語に切り替わってしまうようでは、身につく、というところには至りません。

私は大学でドイツ語を専攻し、大学3年の夏に短期留学しました。外国語を身につけるためには留学すべしとは必ずしも思っていませんし、実際、私がその数週間でドイツ語が身についたかと聞かれればNOです。ただ、ドイツ語を日常のものと捉えることができるようになった、ということは言えると思います。つまり、日本で友だちと話しているときや、自分の頭の中で考えていることを、ドイツ語で言うとしたらどんな文章にすればいいかな、ということを頻繁に考えるようになりました。これは、外国語を身につけるというプロセスの第一歩だと思います。

さて、では、ドイツにいながら日本語を日常に感じるにはどうしたらいいか

これは実は難しいです。
確かにドイツにも日本食レストランや食材店はあります。日本人が多い街ではさらに、日本人の経営する美容院や日本の書店もあります。
外国人受けがいいという意味では、日本の漫画やアニメを特別に扱うお店などもあったりします。盆栽を売るお店も見たことがあります。
最近、ベルリンは日本人が増えてきたのか、この数年で一気に日本人の経営するお店が増えたように思います。また、日本食ブームなのか、ヘルシー志向の高まりなのか、普通のスーパーでも、アジア食材コーナーなどで日本食材を目にすることも多くなりました。日本人に偶然遭遇する機会も増えました。
道を歩いていて、日本語の書かれたTシャツを着ている外国人を見かけることもありますし、誰かと話をすれば、日本に行ったことがある、なんて話になったりもします。
それでも、とりわけ子どもが、ドイツで普通に生活していて、家庭以外で日本語を身近に感じる、ということは稀だといえます。
街を歩いていて、看板を見て、「これ、なんて書いてあるの?」と子どもが聞いてくる、なんてことは、ドイツ語ではあっても日本語では起こりえませんし、スーパーでかかっていたり薬局から流れてくる日本語の歌の歌詞を自然と口ずさむ、ということもありません。つけっぱなしのテレビから絶え間なく日本語が耳にはいってくる、なんて日常もありません。

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では、どうしたらいいのか。
親が意識してその日常に近い状態を作ってあげるしかありません。
つまり、日本人の親が徹底して子どもと日本語を話すこと、です。

これ、当たり前のようで、結構難しいんです。
(3)でも書きましたが、日本人の親がドイツ語がすごくできる人だったり、子どものわかりやすい言語で手っ取り早く伝えたい、となると、なんだかんだと親子間で子どもの第一言語(在独の日独ハーフだとドイツ語が多いはずです)を使う割合が増えてしまいます。

また、文法は日本語で、単語はドイツ語、というごっちゃまぜの文章をしゃべってしまうことも頻繁におこります。
例えば「Socken、anziehen して。」など。意味は「靴下、はいて」です。
※ちなみにこの時、本当に日本語を意識するなら、「てにをは」をきちんと使った文章-「靴下はいて」-を親が日ごろから使ったほうがいいです。

それから、訳しずらい言葉や、ドイツ語のほうが簡単な言葉、在独日本人同士のやり取りの中でもドイツ語のままで使用してしまっている言葉などは、わざわざ日本語に訳さなかったりします。
例えば、「保育園」。
ドイツ語では正式には「Kindertagesstätte」ですが、ドイツ人も含めて皆、その略称の「Kita(キタ)」を使います。子どももその言葉を知っていて、すぐに通じるし、短くて簡単なので私もついキタと言ってしまっています。

このように、少なからず避けられない「ごちゃまぜ」状態を、どこまでOKとするかは、それこそ、親の覚悟と目標次第です。
ただ、完全に徹底して言い直している親は見たことがありません。おそらく、日本人夫婦の家庭の会話の中にも、ドイツ語の単語は混じっていると思います。

私も、自分が自分のドイツ語の文章を誰かにいちいち全部なおされると話す気がなくなってしまうので、子どもにも同じことはできないということと、単語にいちいちつっかっかって、子どもが伝えたい内容を受け止めてあげられないような状態にならないように、子どもを尊重する部分を忘れないように、という意味で、多少のごっちゃまぜはOKとしています。

基準としては、例えば上の例の「キタ」の場合、日本語の「保育園」という語彙がどこまで大事か、ということを考えました。おそらく、「高床式倉庫」よりも使用頻度は高いけれど、「けしごむ」よりは低いのではないか、と思ったら、「保育園」を覚える労力を、「けしごむ」「えんぴつ」「ものさし」の3つを覚えるために使うほうがいいのではないか、と思いました。ただ、「保育園」という語彙を覚える可能性を完全にシャットダウンするのではなく、それとなく機会をみて、「Kitaは日本語では保育園ていうんだよ」とさらっと言っておく、ということもしています。子どもが自分からは「保育園」という言葉を口に出すことがないとしても、「保育園」と聞いたときにそれが何かということがわかるくらいではあってほしい、と思うからです。
ただし、これは私の老婆心かもしれません。子どもの吸収力の高さやキャパシティーの多さは想像を絶するものがあるので、大人がごちゃごちゃ考えてセーブしたりせずとも、どんどん学ばせればいいのかもしれません。私の場合は、自分の怠惰への言い訳、という部分もありますね。反省。

子どもと接していて、親の気持ちが折れるとき、もあります。
子どもは一歩外にでれば、そこには日本や日本語とは関係のない世界が広がっています。保育園や学校では日本語は必要ありません。日本語は、いってみればママとの言葉なだけ。
そして、子どもはあるとき思うのです。ママがドイツ語を話せばいいじゃないか、と。

これは完全に個人的な意見ですが、子どもは乳児の間は、ママやパパが種類の違う言葉を話しているということに、あまり着目していないのではないか、と思っています。私が「大好きだよ(=💛)」、夫が「Ich liebe dich(=💛)」と表現するその言葉の違いは重要じゃなくて、内容としての💛を理解しているだけなのではないかと。
それが、大きくなってくると、言葉の違いがわかってくる(=ママはパパとはドイツ語を話している)&保育園などに通い始めて第一言語の習得が進み、聞くにしても話すにしてもドイツ語のほうが楽だと思うようになることから、じゃあ、ぼく/わたしとだってドイツ語を話してよ、となるわけです。

私もとうとう、ある日、言われてしまいました。「ドイツ語できるでしょ。」「ドイツ語で話してよ。」
とうとうきたか、と思い、丁寧に「ママの言葉は日本語だから、あなたとも日本語で話したい」ということ、それに「日本語はあなたの言葉でもある」ということを伝えました。それで納得したのかどうか、よくわかりませんが、思ったよりも簡単に引き下がってくれ、それ以降は今のところ、同じことを言ってくることはありません。

もう一つ、親の気持ちが揺れる瞬間としては、子どもが言葉のうえでぐっと成長したとき、というのがあります。特に第一言語であるドイツ語は、明らかにぐっと伸びるときがあります。そんなときには、どうしても子どもが日本語を使う頻度がさがってしまうため、親は不安になります。このまま日本語がフェードアウトしてしまうのではないか、と思ったりします。または、もう日本語には執着しなくてもいいのではないかと迷ったりします。日本語に執着するのは単に親のエゴなのではないか、と考えたりします。

でも、一方の言葉が伸びているときは、別の言葉にとってもチャンスなのだ、と日本語補習校(※別途書きます)の先生に聞きました。
つまり、ドイツ語が伸びているときに日本語を頑張ることで、日本語の伸びにもつながるというわけです。
確かに日本語もドイツ語ほどではありませんが、くぃっと成長するときがあります。特に今回のコロナ禍のロックダウンで、私との時間が多くなったときにはやはり日本語がずいぶんと上手になり、このままでまた保育園に戻ってドイツ語が大丈夫だろうか、などとドイツ語の心配をしたりしました(笑)。

親はいつだって、不安だし、悩んでいます。それは仕方のないことだけど、怠けたり、さぼってはいけない、と思います。言葉は、いくら子どもがその国の国籍をもっていようとも、その国に親戚がいようとも、または子どもにその国の血が流れていようとも、親が何もしなくても身につくなんてことはないはず。親が覚悟を持って、日々、子どもと一緒に努力することが大事だと思います。

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