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知識に溺れてしまった私へ。

行き詰ってしまった日常を変えたい、と思って6年前に色々調べて辿り着いた場所。
私はその日から、知らなかったその世界について前のめりで知識を入れ続けた。
本を読んだり誰かの発信をキャッチしたり。
毎日そのことばかりを追いかけた。
その結果、行動することがもともと苦手な私は、行動することをほぼやめた過去もある。
もちろん、日々の生活があるから毎日布団に入って動かなかったわけではないけれど、いわゆる【棚ぼた】的なことばかりを夢見て・・・
ちょっと良さそうな事が起きると、あれのおかげだとか紐づけまくるから、余計【棚ぼた】を期待していた。

最初こそ、そんなわけあるかいって思っていても、知識を入れ続けたことで徐々にそれが自分のスタンダードになる。
私はインプットすることばかりでアウトプットといえば自分の日々のノートに書きだすくらいだったから、書いて消化して納得した気になり、早い段階で【自分の感覚】が麻痺した結果、ただただ知識を入れることが目的となった。

それでも私はそれで良かったと思って過ごしていたけれど、自分を本気で変えようとは全く思っていなくて、外側ばっかり見てジャッジしてイライラして不機嫌になって誰かのせいにすることを続けていただけの数年だったなあと今は冷静に捉えられる。


この悶々とした数年にストップをかけた衝撃的な出来事。
辛くて泣いてわめいてとことん感情をぶちまけて落ち着いた時にふと頭をよぎった。
きっとこの出来事は私の人生において大きな転換点となるし、必ず自分が思う良い方向へと進むチャンスだと。
私、めちゃくちゃ弱い人間だって思っていたのにいつの間にかちょっと強くなってる・・・!
入れすぎて溢れていた知識を1つ1つ分解してみると、その強さに繋がっていたし、チャンスだと思えたのもこの数年のおかげだったと気付いてさらに驚いた。
実際、その知識をやっと使うようになって、実践して腹落ちして、また実践。
行動することが楽しくなった。
無駄じゃなかった。
あの頃の私が今の私を支えてくれていると思うと、自分にありがとうという気持ちになる。

知識に溺れてもがいていた私を救ったのは、現実に起きた嫌な出来事を本気で自分事として捉えた自分だった。

だから溺れたって良いんだ。
必ず生かせる時が来るから。
これからも。



私のメンターの1人の方が2年前こう言っていた。
「今全て忘れてしまっても、必ず必要な時に思い出せるから」
と。
その通りだった。
ありがとう。


Enjoy!!!!!


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