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【8つの奇妙な内定】苦しみ辛かった中途での就職活動

  4月から新しい会社に入った。前職を退職したのが、去年の10月末であるから、およそ半年間、無職のまま転職活動をしていたことになる。段々と減っていく貯金額を見ながら、先の見えない転職活動をしていくのはなかなかキツイものがあった。特に、前職はパワハラを受けてほぼ追い出される形で辞めたものだから、前職で受けた仕打ちを度々思い出しては、転職活動で起こる様々な負の出来事に遭遇するので、「だから俺はこうなった」「このままどこも受からないのじゃないのか」など、自分の人生に意味づけをしてしまうのである(ちなみに前職では勤務時間中のトイレ休憩で毎日必ずオナニーをするなど、多少私にも問題はあった。バレていたかは不明)。これに加えて、内定取り消し(前のnote記事参照 https://note.com/bethlehemsteel44/n/n970997a01704)なんてあったものだから溜まったものではない。本当に今の会社に受かって良かったと、心の底から感じる。本当に受かって良かった。

 ところで、俺は転職活動で8つの内定を獲得した。どれも悩みに悩み抜いて、一度はその会社に入って、どのような人生を送るか、どのような力を生かしてどのような方々と関わっていくのか、本気で考えたことのある企業たちである。つまり、俺のあり得たかもしれないもう一つの人生がこの会社たちではあったのだ。忘れないうちにnoteにでも投稿して、皆さんのリアクションでもいただければ幸甚に耐えないと言うものである(ちなみに「幸甚に耐えない」というのは最近覚えた言葉である。大人っぽくてかっこいいだろう?)。

内定① WEBメディアの企業(東京)

 最初の2ヶ月間はライター職を目指していた。文章を書くのが好きであったので、それがベストだと思ったのであるが、段々と就職活動をしていくうちに、この業界の先行きや、身に付くスキルと言うものに疑問を抱くことになる。なので、俺の転職は最初の2か月間のライター職を目指していた時期と、方向転換してIT系を目指していた時期とに分かれる。この福祉系WEBメディアはこの時期に、第一の内定をいただいた会社である。
 福祉系WEBメディアといっても、この会社はなかなか凄く毎月1000万アクセスは獲得し、CMまで出している影響力のあるメディアであった。面接官もフランクで人当たりがよく、とても魅力的であったが、徹底的に性悪説で社員を管理する社風と、ライター職より前職の業務をアテにされている印象があったので、やや不安に感じて内定を辞退。最後には優柔不断に入社に迷う私に業を煮やしてか、社長直々にZOOM面談の打診があったが、もう辞退を固く決めていたので丁重にお断りさせて頂いた。それにしてもたかが中途入社の1社員に対してバイタリティに溢れる社長だ。

内定② 北海道の業界新聞

 ライター職目指していた時期の第②の内定企業。一度の面接で内定を得た。やや志望度の高い企業であったため、団地の屋上で興奮しながらお母さんに内定報告したのをよく覚えている。しかし、勤務地が北海道の僻地に飛ばされるかも知れなかったことと、文章を感性に従って書くというよりかは、ただ業界のデータを羅列する業務が多いことがわかり、悩んだ末に退職。応募した当初は自分の中でゴールデンカムイのブームが来ていたので、北の大地を自動車で駆け抜けながら記者活動に勤しむ自分の姿を思い描いては見たものの、やっぱり寒い場所は嫌だと思って内定を辞退。やはり若いときは本州の方が良いと思った。悪いね。

内定③ 福岡のWEBメディア

 実は内定を考えていた会社の中で寸前まで大いに頭を悩ませていたほど、面白そうな会社だった。福岡のWEBメディアであるが、そこそこ影響力があり、扱うテーマも大手新聞や業界新聞が扱わない独自の記事も多く、努力するには申し分なさそうなところである。この会社に入社して、九州中の財界人たちとコネクションを広げながら、忍者のように記者を続ける自分の姿を何度思い描いたものか。中洲川端の本社に通う姿をイメージしながら、帰りに中洲の歓楽街で一杯傾ける自分の姿を想像するのは、どんなにワクワクしただろうか。しかし、文章を書くのはいつでも出来ること。社長がパワハラ肯定論者だったことでとても迷った。迷った挙句、内定辞退のメールを送ったところ、何度も面接で顔を合わせた人事のお姉さんから「残念ですが、私たちこそ水増しさんと言う素晴らしい方をお知りになる機会をいただけて、本当にありがとうございます。」と感動の返信をいただけて、よっぽど「やっぱり入社しても良いですか!?」と言いそうになったほどだった。そして、後述のIT業界に志望を転換して、憂鬱な気持ちになりながら天神を放浪しているとき、ビルの広告にデカデカとこの会社の広告が出ていて、少しブルーになった。

ちなみにこの会社を受けている最中にアンゴルモア元寇合戦記を全巻セットで購入した。なので、アンゴルモアとこの会社の思い出かどこか紐付けられている気がする。

↓これ以降の会社はライター職に見切りをつけた私が、スキルを身につけられるように考え抜いた挙句、応募をした会社である。志望業界を変えたのである。ところが、前職でのオウンドメディアでの投稿が幸いして、ライター職では書類や面接が安々と通っていたものが、ガラリと通用しなくなる。一言自己PRをしただけで、「あっ、もう私からは質問は以上です」と、5分〜10分で切り上げられることも珍しくはなく、自分が如何に市場価値のない人間か、未経験での転職活動が如何に難しいか、甘くみていた現実を思い知らされることになった。ここからちょっぴり俺は苦労することになるのだ。なので、以下の企業には当初とは希望していた職種での採用ではなかったり、挙げ句の果てには「どこでもいいや」の精神で迷走した結果、応募したものもある。どうかご覧あれ。

内定④ 内定取り消し食らった会社

 詳しくは前述の記事を参照。
 https://note.com/bethlehemsteel44/n/n970997a01704

内定⑤ 作業着を作るメーカー

 一度の面接で内定が出た。福岡の田舎にある作業着のメーカーである。面接場所の本社が、本当に田舎で、面接室も暗くジメジメしていたところであった。もうその時点で帰りたかったが、会長さんが若々しくとても好印象であったことと、社長さん(高齢)が帰りに自動車で博多まで送ってくれて、その中で話した世間話が面白かったことから、印象が変わる。社長さんが若かった頃は筑豊の暴走族の特攻服を受注したりしていたらしい。その他、色々な筑豊伝説を聞いた。その後、電話が来て内定の報告を受ける。前述の好印象さ、前述の内定取り消しからややメンタルが参っていたこともあって、もうこの会社にしてしまおうか迷ったが、当初志望した専門職の採用ではなく、営業職の採用であったこと、残業代が出ないこと、作業着業界が旧態依然としていること、田舎勤務であることが重なって、辞退をすることになった。でも今でもこの作業着メーカーで汗を垂らしながら、各地の工場に頭を下げて、昔気質の社長とイケメンの若会長とのんびりまったり仕事していたかもしれない人生を思い起こす。

内定⑥ テレアポの会社

 一度の面接で内定を得る。大阪の会社。めちゃガツガツしている面接官で体育会系だったが、私のこともフラットに見てくれそうな、いわゆる「少し不安になるが良い体育会系」なイメージがあった。しかし、当初希望していた営業職でなく、テレアポの採用であったこと、大阪への引っ越しをしなければならないこと、給与が見なし残業代込みで20万だったことで、内定を辞退した。ここでは自分がヒイヒイ言いながらテレアポしている姿しか思いうかばかった。

内定⑦ 健康食品の通販会社

 福岡の通販会社。給与もよく、福利厚生も良い。多分今まで受けた中でダントツ。社長が特に私と同じボクシングの趣味を持っていて、通っていたジムも知っていたため、好印象を持ってくれていた。高齢の会長もとても気さくな方で、飲みの趣味も合いそうだった。希望していた職種での採用であり、どれもこれも条件は希望するものだったが、次の⑧の企業に内定を得た後に連絡が来てしまったため、泣く泣く断念。でも良いことが起こるときは、まるで運命が手を加えたかのように、まとめて次々に起こるものだと思った。急に素晴らしい会社の選考が次々に通りだしたのである。

内定⑧ 今の会社(大阪)

 ぶっちゃけ何も考えずに受けたが、面接前に予習して、初めてその偉大さがわかった会社。散々優柔不断に内定を辞退してきた俺が、もう「ここしかないやろ!!!」と言えるぐらい即決で入社を決意した。特定されちゃうので詳しい内容は省くが、まあ今時のベンチャーである。内定の連絡が来たときは本当に死ぬほど嬉しかった。特に、瞑想したり、憂鬱な気持ちにふさぎ込んでいたこともあって身震いした。こんなに喜んだのはいじめに苦し悩みながら大学に合格したとき以来である。世界が一変したのだ。入社して1ヶ月経つが、いまだに入社前とのギャップは変わっていない。

今しがた撮った大阪淀川の景色。元々学生時代が関西だったので戻ってきたことになる。

終わりに

 こうして並べると、自分がいかに無計画で優柔不断な人間であったかがわかり、若干恥ずかしさを覚える。まあ優柔不断に陥ったのはそれなりに理由があるのだが、私の人格、人生を押し図られそうなので詳細は置いておこう。しかし本当にいろんなことがあった。内定以外に受けた企業は合計で恐らく100社近くはいくだろう。受けて落ちて受けて落ちて辞退して…。そのたびに0から戦略を練り直し、また受けていく。悩み苦しみ抜いた半年間である。だが大きな目的に向かって足掻いている時期というのは、時には美しい思い出も残していく。無職期間に遊んでくれたフォロワー。コワーキングスペースで知り合った方々。巡った団地。寂しい気持ちで黄昏た警固公園。大濠公園。FUKUOKA。なぜだろう。苦しかったはずなのに、濾過されたように美しい景色と思い出だけが残っている。思えばブラック部活で苦しんでいた頃も、いじめに悩みながら大学受験で苦しんでいた頃も、就職活動でヒイヒイ言っていた頃も、皆同じように綺麗な思い出だけが残っている。時々、こうした時代の、こうした景色の一つ一つに入っていけたらなと感じることがあるが、戻ったところで、また苦しむ悩むのがオチだろうか。結果オーライというやつだろうか。でもこれらの情景は、俺を強く、勇気づけてくれるのだ。何か大きな目的に向かって、これからも苦しんでいこう。とりあえず今の会社に受かって本当に良かった、、、。

思い出の警固公園…。

P.S そういえば、前職で行っていた職場でのオナニーは今の職場ではまだ敢行していない

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