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あいちトリエンナーレ/のっぺらぼうを見つめる

あいちトリエンナーレに行ってきました。
再開された「表現の不自由展・その後」や、同時にボイコットしていた作品についても鑑賞してきたので感想を残します。

(1) 不自由展の感想と騒動について

 展示が再開されたのは10月8日。私が訪れたのは翌日です。入場回数や人数は初日から大幅に増えて、午前中の抽選にはおそらく220人程度が並び、この日の当選確率は3倍程度でした。幸運にも当選した私は、不自由展を鑑賞することができました。

「表現の不自由展・その後」

 大きな騒動を巻き起こした展示でしたが、感想を一言でいえば「何てことのない展示だった」ということです。個々の作品はレベルにかなり差があって、良いものも悪いものもありましたが、報道やネットで話題になるようなセンセーショナルさや過激な演出が目立つようなものではなく(作品としてはショックに感じるものもある)、資料のように並べられた博物館的な空間でした。表現の不自由展・実行委員会メンバーの経歴をみても、主に社会運動の延長で美術を捉えているように想像します。作品数も多いですがテキストの量も多く、一つ一つの作品を理解するのに時間がかかる展覧会です。

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情報量多すぎな年表

 良かった点は、日本を代表するような美術館で表現が取り除かれてきた事実を知れたことです。これには大変驚かされました。「福島・原発・放射能」「天皇」「ある国への差別」などに該当する作品は、些細とも思える箇所に過剰な防衛がありました。

 心配されていた安全面については、大幅に強化されていました。①抽選 ②身分証の提示・同意書の提出 ③荷物を預けると続き、展示会場の入り口前で ④金属探知機の検査を受けました。また鑑賞の理解を促す工夫が加えられたことが印象深く、新たに設置されたパネルを読むよう促されたり、問題となった大浦信行さんの映像作品は全員揃って始まりから終わりまで視聴しました。

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再開で新たに設置されたパネル ものすごく易しい説明

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少女像についてのパネルも追加されていた

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世界の芸術祭の動向を紹介 社会的・政治的な問題を扱う傾向にある

 案内はとてもスムーズに行われていて、また穏やかな雰囲気でした。テキストでみると厳重に感じますが、空港の手荷物検査のようなピリッとしたムードはありません。鑑賞中のトラブルはなく、それぞれが真剣に見入っていた印象です。口頭での解説はありませんでしたが、表現の不自由展 実行委員会のメンバー(3人のみ)や、キュレーター(そう書かれた札を首から下げていた)が在廊しており質問に応じていました。ほぼ全ての作品で写真撮影が可能(SNSの投稿は展覧会終了後に限定)で、私は少女像とツーショット撮影をしました。40分ほどの鑑賞時間はあっという間に過ぎて行きました。

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展覧会の入り口 金属探知機の検査を行った場所

 ただ問題となった「遠近を抱えてPartII」の映像作品については、作家のメッセージが明確に伝わるものになっていないと思いました。現代美術に難解な読み解きがあることは当然ですが、それを踏まえても何が描かれてるのか理解しづらい。鑑賞者は謎だらけの中で、肖像の燃える映像を繰り返し見ることになります。
 理解の手がかりになるのは同じシリーズの版画作品です。作者はそれについて、このように語っています。

「天皇と自己を重ね合わせることを思いついたんです。自分の中に無意識にあるだろう“内なる天皇”というイメージですね。自分の中に無意識に抱え込んでいた“内なる天皇”を自画像を描くなかで描いてみたいと思ったんです」

 ニューヨークでアーティスト活動をしていた大村は、自画像に向き合う中で、遠く離れた祖国に自己のアイデンティティを発見しました。逃れられない内なる天皇は、ニューヨークで新しい芸術に触れていた彼と対照的です。

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「遠近を抱えて」(大浦信行)

 作者が版画作品で描いたものは自画像であり、自己のアイデンティティに棲まう昭和天皇を想う気持ちと、そこから自立したい葛藤(遠近)を心象風景としてコラージュした作品だと読み取れます。統合できない自我を表現するにはバラバラになった図像をイメージ群として配置する必要があったのでしょう。またその分裂は日本人全体に普遍化できると考えているのではないでしょうか。
 映像作品の中で消えゆく肖像画は、天皇を求めてしまう自我の弱さからの決別が描かれてると解釈することができます。しかし、天皇と共にある自我を否定(焼却)しなければならいという作品の意図と、天皇批判ではないとする作者の弁にはズレが生じてしまっていて、ミスリードを起こしても仕方のない表現になっていたと思います。

メディアと現場のギャップ

 想像していたもの以上に意外だったのは、加熱した報道と比べて現場が穏やかだったことです。現代では作品そのものの理解よりも、ネットやテレビでの報道の力が大きく、現場は常に過剰な情報量で拡散されます。ちょうど、不自由展の隣の部屋では「アメリカの監視―その知られざる歴史」(CIR 調査報道センター)というメディアと規制の問題を扱った映像作品が流れており、こんな言葉が流れていたのが印象的でした。

 「歴史は繰り返す まず 危機が過度に誇張され …(中略)政府はスパイ計画を自国で実施 …(中略)全部明らかになるまで続く これらの行為は完全違法です」

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アメリカの監視―その知られざる歴史(CIR 調査報道センター)

 今回の騒動も、誇張されたメディア報道が助成金の不交付決定など表現への介入とも取れる決定に繋がったとすれば、この作品の警鐘に耳を貸す必要があるでしょう。

検閲の議論について

 今回の騒動において、私は検閲があったか無いかの議論に度々すれ違いを感じていました。海外と日本のアーティストの対応が別れた一つの要因だったようにも思いますが、いったい何が原因だったのでしょうか。
 あいちトリエンナーレ2019国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の議論で知りましたが、英語と日本語では「検閲」という言葉の意味に開きがあるのだそうです。日本語の検閲という言葉は即憲法違反に当たる強い意味がある一方で、英語の censorship は広く表現規制を指す意味があります。これらのことは、「検閲」という言葉で表現規制を批判する難しさを考えさせます。censorship に相当する日本語を作るべきではないでしょうか。

(2) あいちトリエンナーレ全体の感想

  私がこれまでに見に行った芸術祭は、大地の芸術祭(越後妻有)、瀬戸内芸術祭(瀬戸内海の島々)、Reborn-Art Festival(宮城県の牡鹿半島と石巻市街地)、横浜トリエンナーレ(横浜)…などなどです。あいちトリエンナーレ(以下あいトリ)は初めての参加で、2日かけて全体の7割くらいの作品を鑑賞しました。とても良い芸術祭だったと感じています。

「情の時代」というテーマ設定の効果

 他の芸術祭に比べてあいトリは、社会的政治的なテーマを扱う作品が多いと思います。「表現の不自由展・その後」が強い政治性を持つとして批判されていますが、この芸術祭全体の中で見れば多少目立つ程度にしか感じませんでした。また同展示が結果的に分断を煽ったという見解は否定できませんが、むしろ他の多くの作品は、政治的・文化的な分断を乗り越えよう、もしくは分断の事実を知らせようとするものでしたこれらの特徴は芸術監督がジャーナリストであるからこそ実現できた、日本における挑戦的な芸術祭だったのではないでしょうか。このような特徴のある芸術祭であるがため、今回のトラブルに作家が敏感に反応したことは大変納得いきました。
 またこのようにテーマ性が強く押し出された芸術祭で先例となるのは「Reborn-Art Festival」です。膨大な作品が展示される芸術祭は全体像がぼやけがちですが、「震災」という強いテーマを設けることで鑑賞者にとって理解しやすくなったという利点があります。これは現代アートに触れる機会の少ない市民が多く訪れる芸術祭に則したメリットだと考えます。  

作品紹介: 「10150051」 タニア・ブルゲラ

 ここで作品を2つ紹介します。まずは大評判だったタニア・ブルゲラさんの「10150051」という作品。メンソールが充満した部屋(ガス室に似ている)に鑑賞者が入ることで強制的に涙を誘発させる作品です。壁には2019年に国外へ無事に脱出した難民の数と、国外脱出が果たせずに亡くなった難民の合計の数が記載されていて、説明にはこうあります。

「この室内は、地球規模の問題に関する数字を見せられても感情を揺さぶられない人々を、無理やり泣かせるために設計されました」

 もはや難民の悲しいストーリーはありふれた話題のように通過していきます。作者は私たちの鈍感な心に見切りをつけて、代わりに身体を乗っ取ります。自らの涙によって、無関心を振り返らせようとするのです。

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ガス室に似た部屋にメンソールが充満している

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入り口で難民の数を刻印される 囚人のよう(数は毎日増加する)

作品紹介: 「Translation Zone」 永田康祐

 また、永田康祐さんの映像作品「Translation Zone」は、テレビ番組のようなキッチンで料理を作る様子が写っており、それに興味深いナレーションが加わっています。ナレーションでは、料理と翻訳を例に世界の文化が混ざり合いながらも個々の固有性を獲得している矛盾をユーモラスに語ります。

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 例えば、アジア各国で様々な呼び名があるNasi gorengや炒飯などは全て「fried rice」という意味の料理で、炒飯に由来しながら各地で影響を受け発展した料理です。けれども、例え同じ訳語を共有しているレシピであっても、私たちは自国の料理名を変えることはできません(Nasi gorengを炒飯と呼ぶのは難しい)。それは各々の文化に深く結びついた固有性によるものです。
 他にも、ある国のレシピが他の国で軽々と作り変えられてしまう事例をあげます。そしてその改変は、材料が手に入りにくいとか太りたくないとかいった日常と結びついた理由によって行われていきます。文化や思想の交流や交錯は、大きな歴史の共有や論争ではなく、むしろそこから外れた「小さな歴史」にこそありえるのだというメッセージです。

 作品は数多くありますが、こうした二作品の例からも、政治的・文化的な分断、またその橋渡しを、アートでしかできない表現によって体感的に理解できる芸術祭だと思えました。
 

都市型芸術祭のモデルとして

 ところで、一般的に芸術祭は町興しを動機にすることが多く地方の静かな町で開催されることが殆どです。よって、作家はその土地と結びついたテーマを探しますし、ホワイトキューブを緑の風景に変えることの妙などが魅力です。「大地の芸術祭(越後妻有)」、「瀬戸内芸術祭(瀬戸内海の島々)」がその典型例です。
 一方で、あいちトリエンナーレは都市型の芸術祭です。社会性政治性を扱う作品が多いことは、政令指定都市でもある名古屋に相応しい都会的な感覚を持つ市民に訴えかけるものだったのではないでしょうか。アプリや冊子なども大変見やすく設計されていました。また現代アートは専門知識がない鑑賞者を締め出してしまう欠点がありますが、社会問題は関心が向かい易く、ハードルを下げることにもなったと思います。

のっぺらぼう、現実を覆い隠す日本

 あいちトリエンナーレで話題になった作品の1つに「旅館アポリア」(ホー・ツーニェン)があります。会場の喜楽亭は、大正期から昭和期にかけて使用された料理旅館で、神風特別攻撃隊の草薙隊の幾人かの隊員が最後の夜を過ごした場所でもあります。
 映像作品の中に出てくる人物たちは一様に顔だけが消され、「のっぺらぼう」になっています。ところが、突撃した特攻兵達の顔写真はそのままです。映像で語られた戦前の日本人達は少なくとも戦争について考えているようでした。彼らは戦争を体験し、それについて語る顔を持っていた。けれども戦後、それを振り返ろうとしない者たちは、語る顔を持たない匿名的なのっぺらぼうなのです。作中で流れた小津安二郎の映画のセリフ「負けてよかったじゃないか」は、その一言だけで全てに蓋をしてしまっているようです。
 戦後の日本は、自分たちが戦時中に何をしたのか、その自画像を振り返ることを拒絶してきたと言えるでしょう。その態度は75年を経た今なお残っているように思います。
 日本は何を求めて戦ったのか、被害者は誰か、プロパガンダと芸術、自国内での規制、慰安婦の問題…、私たち日本人は、この歴史を自ら責任を持って振り返るのではなく、あたかもなかったかのように蓋をして忘却してきました。今回の騒動も、そうした日本の戦争と責任のリアルを突き付けられることに対する拒絶反応として、過剰なヒステリーが巻き起こったようにも思えます。

 旅館アポリアで描かれたのっぺらぼうは、大浦信行が描いた自画像を見つめられなかった人々です。不自由展にまつわる騒動は、歴史を直視するのではなく、匿名的な言葉が飛び交って問題に蓋をしようとした、不自由展をめぐる日本のヒステリーを、こののっぺらぼうに私は見ました

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 「平和の少女像」(キム・ソギョン/キム・ウンソン)

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