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原因を知りたいと思うのは④

「こころの問題を脳の問題にすり替えないでほしい」
私がそう考えていた根っこには「もし心が脳という臓器にあるとしたら、脳に外科的な処置をすることで、心を操作(改変)することが可能になるやん。そんなんコワいわ」という思いがあるのかもしれません。

ずいぶん乱暴な言い方になりますが、身体については「目に見える」ので、手術のように他者によって操作することが可能です。整形手術のように、見た目をキレイに整えることができます。

整形手術(美容整形)を例えに出したので、ちょっとそのまま話を続けると、外見がキレイになることでコンプレックスが解消できたり、自信がついたりという心理的に良い影響が生じることはあります。
一方で、何度、整形しても「こういうのじゃない」という思いが拭えない、あるいは「もっと美しくなれるはず」と、どんどん沼にハマって心の問題が深刻化してしまうという話をどこかで聞かれたこともあるかと思います。

何が言いたいかというと「心というのは身体とは独立していて、身体を触るようには簡単にいかない」と多くの人が感じているのではないか、ということです。少なくとも私はそう考えていたし、今もそう感じている部分があります。

「整形を繰り返したところで、心の問題が解決するかどうかは分からない」そんな他者の立ち入れない部分が自分にはあるということ。それが難しさであり、救いでもある。そう感じていたのです。

ところが「心は脳にある」となると話は別です。

あ、誤解のないようにお伝えしますが、「心の病」の脳科学という本に「心は脳にある」と書いているわけではないし、そう結論づけているわけではありません。この本では「精神疾患の原因の多くが脳に由来する」という脳科学者の考え方を示しています。その考え方を「心は脳にある」と言い換えるのはずいぶん荒っぽいやり方になるので、その旨、付け加えておきます。

で、何が言いたいかというと、脳に限らず、ある臓器(ある細胞、ある遺伝子)に私のこころが属しているとしたら、他者による人格改造というSFのようなことが起きてしまうのでは⁈という、本能的な恐れみたいものを私自身が抱いているのかもしれない、ということです。なので、無意識に「こころの問題を脳の問題にすり替えないでほしい」と感じていたのかもしれません。

「他者による人格改変」という私のSF的な恐れをもう少しつまびらかにすると、たぶんそこには「善き人間」みたいなスケールが合って、脳をいじることで「善き人間 量産計画」みたいな流れになることへのコワさがあるんですよね(書いていて、自分でもバカバカしくなってきましたが・笑)。
「善き人間量産計画」と「悪しき人間排除計画」は同じカードの表裏です。ほら、コワいでしょ(笑)。
でも、これは笑い事ではありません。「差別」とか「優生思想」と簡単に結びつくものだからです。

もしも私と同じような恐れを感じている方がいらっしゃったら、そういう人にこの本を読んでもらえたら…と思います。
なぜなら、この本に出てくる研究者の方々は、懸命に原因を追究する一方で、倫理的な問題をとても慎重かつデリケートに扱いながら研究を進めておられることが分かるからです。

脳の神経細胞、伝達物質、遺伝物質といった、これまでの科学では見ることが出来なかった微細なものを取り扱いながら、その集合体である“ヒト”に対する尊厳を忘れずにいる―この姿勢に感服し、また安心するのです。
市井を生きる私たちの「生きづらさ」を脳科学でいかに安全に減らしていけるのか、ということに真剣に取り組んでおられるのです。

たとえば、これまでの精神疾患は原因がよく分からなくて、でも、どうやら脳内の神経伝達物質の問題ではあるらしい、という知見のもとに治療薬が処方されていました(今もそうです)。けれど、不具合を起こしているのが脳のどこなのかが判明していなかったので、脳全体に作用する薬を使うしかなかったんですね。

たとえば、ある臓器に腫瘍ができた時に、抗がん剤を使うと腫瘍のある臓器だけに効果があるのではなく、全身に効果が及ぶので髪が抜けたり、貧血になったりする副作用が出てしまうということがありますよね。そういうのと同じように、脳に何らかの不具合がある時、ピンポイントに作用させることができない薬では思わぬ副作用が出てしまうことが多いんです。

そこで、この本を書かれている研究者たちは、この精神科治療における“ピンポイント”がどこなのかを明らかにすることで、ピンポイント治療ができないか(そのほうが要らぬ副作用から患者さんを守ることができる)という考えで研究を進めています。

がんの治療も現在、分子標的薬という腫瘍細胞をターゲットに作用する薬が開発・導入されていますが、そこには「がんの仕組み」の基礎研究があり、完全とまでいかなくても、分子レベルでがんの仕組みが解明された背景があります。それと同じ考え方、同じ流れで、精神疾患領域でも研究が進められているということなのです。

どうやら人格や性格、個性といった“こころ”そのものをターゲットにするものではないらしい、ということ。
脳内のさまざまなバランスを取り戻すことで、むしろその人の本来の性格や個性が発揮できる状態に整えていくものらしい、という理解まで進んで、私はようやくSF的コワさを手放すことが出来ました。

精神疾患とひとくくりにすることに対しても、この本は慎重に取り扱っています。疾患によって遺伝的要素の影響が異なることも研究結果をもとに述べられています。そういう意味で、安心して読み進めることができました。

(つづく)



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