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陽(HIKARI) セルフライナーノーツ

※セルフライナーノーツ
「ライナーノーツ」というのは、そのアーティストの経歴や、収録されている曲について書かれた解説文のこと。 アーティスト以外の人間が書くことが多いので、本人が文章を書いた場合は「セルフライナーノーツ」と呼びます。(コピペ)




この記事を書いているのは韓国旅行から帰って来た、次の日。


大阪在住の韓国人の友達(カンちゃん)の姉ちゃんの結婚式に出席させてもらえる事になって韓国へ2泊3日で行って来た。


滞在していたのは首都ソウルから高速バスで4時間、南に下った町の光州(グァンジュ)。2日間ともグァンジュにあるカンちゃんのオンマ(お母さん)の家で極上の家庭料理をご馳走になりながら皆で飲んだ。

言葉の壁を含め、最近の自分はコミュニケーション能力が低いと感じる事も多く、オンマとは上手く会話は出来なかったように思う。

でも皆で雑魚寝していた夜に日本人の友達(ヨシヒロ)のイビキがうるさくて、次の日に耳栓を使おうっという話の流れで「この耳栓を鼻に突っ込んだ方が早いんちゃう?」のフレーズをカンちゃんが通訳してくれて、オンマが良い感じに笑ってたのが印象的だった。文化や言葉の違いなど関係なく鼻耳栓を想像するとやっぱりオモロいらしい。


結婚式も、とても良い雰囲気で、日本との違いや、逆に同じ所を感じたり、色んな感情が入り混じった。人生の思い出になったグァンジュ。


到着した日にプラッと町に出かけたらAsian Culture Center(アジアンカルチャーセンター)という建物があった。その建物を見ていた時に数日前に前入りしていた、ヨシヒロが教えてくれたのが「タクシー運転手 -約束は海を超えて」という映画。ここグァンジュの、この場所が舞台になった映画があるらしい。イビキはウルサいが、ヨシヒロは本当に何でも知ってる。

日本に帰って来た、次の日に見た。

1980年にグァンジュで起きた光州事件。
軍事政権に対する民主化要求の反政府蜂起で多くの死傷者を出した。(簡単に言えば無茶苦茶な軍や政府に人々がブチギレて武力も使って戦ったってこと)蜂起で多数の死傷者を出している状況を政府が隠し、言論統制され、グァンジュの街ごと封鎖、情報は外部に漏れないようにされた。そこに無理やり入り込んだドイツ人記者とタクシー運転手の実話の物語。

民衆が立ち上がり、自分達の力で自分達の世界を変え、そして、その実話が韓国の人気俳優主演によって映画化されている。見終わった後、韓国滞在中に感じた人の元気さがなんだか腑に落ちた。ネガティブな事件を受け入れ、前に進んでるんだなと。


光の州と書いてグァンジュ。
映画の内容。

今日、セルフライナーノーツで書こうと思っていた曲のタイトルが「陽(HIKARI)」
そして曲の内容。

なんの偶然なんだろう。
考え過ぎか。



では「陽(HIKARI)」の話をしようと思う。

爺ちゃんが残してくれた農機具用の倉庫を片付け、中に小さな部屋を作り、職場兼スタジオのようにしている。その部屋で夜中に最近めっきり調子の悪いノートパソコンを開いていた。

X(twitter)で「イケてるトラックを誰か送ってください」と呟いてみたら大阪在住のトラックメーカーSoul Bangazから大量にトラックが届いた。彼もトラックメーカーとして遅めのスタートで、気持ちでも送ってくれた事に自分も応えたい思った。その中で気になるトラックを、何度か聞いている内に昔に書いた歌詞のフレーズが久しぶりに頭に出て来た。


Pussyhole  ova  deh suh, We right yahsuh
(クソ野郎はあっち、俺らはここ)
Badmindはあっちで 俺らはここ

久しぶりだけどずっと思っていた。
この歌詞のフレーズのきっかけは自分の中に生まれた小さな疑問だった。


ONE LOVEとは何なんだろう?


ネットにはこう書かれている。
人類愛。人種や肌の色を問わず、全世界の人を愛し、尊重することを表す


らしい。


本当にそう願っている人が沢山いれば素晴らしい世界になると思う。
本当に最終目標はそれで良いんだと思う。

でも自分の腹を満たす事、今の自分の立場を守る事ばかり考えている人間が存在する世界で、1つになろう、尊重しようとすると奴らは俺らを食い物にする。それは国同士でもそうだろうし、政治家と俺達もそうだろうし、 SNSでの誹謗中傷でもそうだろうし、単純な人間関係でもそうだと思う。


どうやっても合わない人だって存在する。
時として距離が必要だし、戦う姿勢を見せる事も必要だと思う。



そういう思いからそのサビを書いた。


誰かを敵視することは、それなりに代償を払う事になる。自分の精神的健康上にも良くない事もあるのは分かってる。でもどうしても、そう考えるのが必要と思っていた。今の自分の幸せだけを考えて良いのか、その結果が今なら考え直す必要があるんでは無いか。


後、サビの後半部分

この地と己をただただ誇る
陽はいつも俺らの物


話は日本の事になるが、このまま日本が無くなってしまうんじゃないかと、よく思う。「自分達の文化」や「アイデンティティ」を誇る教育を受けてこなかったせいか真っ直ぐに愛すことが難しく、その感覚が当たり前になっている気がする。それが戦争に負けた国の宿命なのか、それともただ自分達で自分達の世界を変える行動を取らなかったのか。

でも自分は日本人としての誇りを持っている人間になりたいと思うし、そんな子供達が増えれば良いと思う。


国境なんか本当は必要ない。


でも愛国心は郷土愛であり、郷土愛は家族愛、自己愛にも通づる所があると自分は思っている。


戦争は絶対反対だし、争いたくは無いけど、何か大きな力に殺されるぐらいなら対抗する気持ちは持っていたい。


そんな思いで書いた「陽(HIKARI)」
漢字で「陽」で「ヒカリ」と読むようにした理由は日の丸を感じるようにしたかったから。日本では聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、日本を"日出ずる国"とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する


日の出が上がるみたいに明るい未来が待っていればえーなー思う。


今の自分には、そんな聖徳太子の言葉
「和を以て貴しとなす」がしっくり来る。
お互いの違いを理解し、話し合い、時には距離を取り、それで調和・協調する。



そんな気持ちで生きて行きたいですもんですわ。



「陽(HIKARI)」のライナーノーツのつもりがサビ誕生話というか、頭の中を見てもらっただけの様な文となりました。

おぼつかない文ですが、いつも読んでくれている方々ありがとうございます。活動を応援してくれてる人達もいつも有難う。



最後に。
韓国の2日目の夜。もう1人の友達が言ってたけど、その日の夜は俺のイビキも相当だったらしい。

イビキの大きさを理解し、話し合い、耳栓で対策し、調和、リビングで雑魚寝し、時には自分もイビキをかく。



「まるでハーモニーだったよ」って言ってた。


おもろ。


「和を以て貴しとなす」とはそういうことです。


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