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南アフリカの特異性②~南アフリカの個人市場(消費者市場)をどう捉えるか?

初めましての国を訪れると、他の国との類似点や相違点が気になる。感度高くいると数日でも色々気づくことができる。

多面的に捉える

これまで、一年以上居住した国はウガンダ(7年)、ケニア(合計1.5年)、インド(1年強)など。そして、生まれてから30年近く暮らした母国の日本。

日本を離れた当初は比較軸が日本しかないので、日本からみた異国の違和感でしか考えられなかったことが、複数の国で過ごすことで、世界をより多面的に捉えられるようになった。

初めて海外に駐在する人が、その国の商慣習や働き方に対して苦言を呈すことがある。特に相手が途上国だと、さも自分たちのやり方(常識)がグローバルスタンダードだと疑いもしない。
しかし、多くの場合、日本が世界からズレていることも多い。もっといえば、世界は多様でグローバルスタンダード自体が幻想だったりする。

短期で国を訪れて、その国のことを分かったつもりになるほど愚かではないが、せっかく訪れた国。短期滞在でも理解を深めるために考察を続ける。前回はそんな思いも込めて、滞在数日だが気になった点を整理、文章に落としてみた。

個人市場を捉える~マーケティングの前に

異国で事業の立ち上げをしていると気になるのが、この国にはどういう属性、タイプの人間がいるのだろう?ということ。

所得の違い、文化背景、人種、地域差、都市地方の違いなど、どう捉えるのか?は興味深い。

ちなみに事業的には個人消費者相手ではないので、直接は関係ない。(農業分野かつB2Bなので)
ただ、その国をもっと知りたいという好奇心がある。

その国の歴史、社会的背景を深ぼる一つの方法として、複数の業界が、現在、市場をどうセグメントしているか?は良い手掛かりになる。

以下、現時点での備忘録として。

1)所得階層

インドもウガンダ、ケニアも、日本よりは遥かに所得格差がある社会。南アフリカも世界トップクラスの格差社会だ。

歴史的背景

特に南アは、17世紀にポルトガル、オランダ系の移民が入植して、17世紀初頭にイギリスが植民地にし、第二次大戦後に他アフリカ諸国が黒人国家として独立する中で、その独立を阻止し、1994年の民主化まで、最後まで白人特権の国を築いた国。

さらに、白人の中でも分かれる。大きくは、最初に入植したオランダ系、後からきたイギリス系で格差、差別の歴史がある。

アパルトヘイト政権の原因の一つは、元からいたオランダ系白人が貧しくなり、イギリス系に富が偏ったと言われる。

そして、現代でもいまだに汚職は大きな問題で、政府の要人が多額の国家予算を使い込み、そこに大企業が紐づいている構造が残っている。
(とくに、ズマ政権が終わる2018年までに、国家収奪(State Capture)と言われる、世界でも稀に見る大規模長期間の汚職スキャンダルがある)

4つの階層

そんな南アフリカをざっくり分けると以下のようだ。
人口ざっくり5000万人の国で、

①国の支配層:1%未満と言われる人たち(50万人もいないと思われる)。

②高所得者層:9%程度?。ヨーロッパ水準の給与を貰い、都会だと治安のよい大型モールのあるような住宅地で生活する人たち。
(所得水準は年収数百万円以上?)

③中所得者層:30%くらい?
最低賃金の月収150ドル(年間50万円くらい?)よりは高い給与を得ている人たち。(フォーマルセクターと言えるのかな)

失業が多い南アで、一人の給与がたくさんの人を支えている可能性もあるので、被扶養者を含めた所得にすると大幅に下がる可能性あり

④低所得者層:60%くらい?
最低賃金ギリギリか、それ以下で雇用されている被雇用者、日雇い、インフォーマルセクターでサバイバルのための商売をしている人、無職など。

南アの人種分布は、ざっくり白人10%、カラード(混血)10%、黒人80%。

長い差別の歴史、アパルトヘイトを経て、高所得者層の多くは白人。中低所得者層の多くは黒人。

各層の人種比率までは調べていない(興味あり)

※ちなみに、ケニア、ウガンダだと、この高所得者層の割合がぐっと低く、低所得者層がもっと多くなる。
→だから、多くのサブサハラだと、購買力のある層に限りがあり難しくなる。

※南アが他アフリカ諸国と大きく違うのは、この低所得者層の存在だろう。

インフォーマルセクターの存在

ウガンダなどは、貨幣経済に依存しないで生きる農村の人たちは先祖からの自分の土地があり、そこで自給自足している人も多い。

でも、南アは、アパルトヘイト政権時代に、強制的に住んでいる土地を収奪されて、狭い地域に隔離された歴史を持つ。(9割の人口の黒人を10%程度の土地に追い込んだとか)

なので、他アフリカ諸国と比べて、インフォーマルセクターで生計を立てる機会が限られている。

企業の雇用以外の手段がないのは大きな違い。

※インドだと、高所得者層が6%、中所得者層(上位中所得者と海中所得者でかなり差はある)が40-50%くらいの記憶。

→だから、インドだとC向けの大規模スタートアップも下位中所得者層にリーチするところで成長が止まってしまうケースが多い。

誰のためのサービス?

南アのスタートアップは、9%の人たちが始めることが多いそう。(サバイバルのための事業は別。こちらは低所得者層に多い)

その9%の人が、同じ9%に向けたサービスや製品を提供する。でも、500万人程度と市場規模(TAM)が小さすぎるので、スタートアップの描く成長曲線に乗らない。
このマーケットだけではVC含めた投資家に魅力を感じてもらえない。

そこで、他国展開を考えるも、他アフリカ諸国では、そもそもこの層に相当する人数が圧倒的に少ないので、成長が止まってしまうというのは良くある話っぽい。

【スタートアップの良くある苦労】
余談だが、
外部から投資を得ている場合、特にスタートアップでは、常に一定レベルの高い成長を求められる。成長が止まると次のラウンドが組成できない。それゆえ、シリーズBやシリーズCを迎えると、急に他のサービス・プロダクトを作るようになる。
丁寧に顧客のニーズを拾い上げたサービスではなく、必要に迫られて急ピッチで作ったサービス。かつ、短期での大きな売上を求められるので、小さくピボットしながら育てることもできず、急に大きなお金を入れてトライする。IPO前に苦労しているスタートアップの典型だろう。

一方で、他アフリカ諸国では高所得帯をターゲットにしたモデルは市場規模が小さく基本的には難しい。そこで、中所得帯以下をターゲットにするのが典型パターンである。

ここは、他国と同じだが、一般的に大きく2つの課題を解決する必要がある。
一つは、(人数は多いが)低い購買力。もう一つは生活習慣(高所得層とは異なる購買嗜好、生活スタイル)の違いで苦労する。

ケニアでもウガンダでも良く耳にするが、先行した事例が多いのはインドだろう。インドは14億人の人口と開かれた市場から、世界で最も注目される成長市場の一つだ。インドのスタートアップは、欧米など外部からの得た大きな資本の力を使い、ダイナミックに試行錯誤している。
宅配、ライドヘイリング、教育、金融、医療、EC、ゲーム、メディアなど、様々な業界で、この課題を乗り越えるべく、メガベンチャーが試行錯誤している。

中間層へのプロダクト・サービスが上手くハマれば、近隣諸国(南部アフリカ)や他アフリカ諸国、東南アジアなどにも広げられる。

2)世代ギャップ

他アフリカ諸国と比べて、より顕著に南アフリカの特性が表れるのが世代ギャップだろう。

一般的な、プレミアム世代、Z世代という分け方も有効だが、それ以上に、【1994年のアパルトヘイト以前・以後】が重要になる。

特に人口の8割を占める黒人の方々は、1994年以前はあらゆる面で権利が大きく限定されていた。住まいの自由も、教育の自由も、行動の自由も、各種サービスへのアクセス機会も圧倒的に制限されていた。

人材面およびライフスタイルで大きいのは、教育面だろう。
1980年代ー90年代生まれが、この教育の移行期にあると言われている。

1980年生まれは、1994年時点で14歳。同様に1990年生まれは4歳。1994年からの教育改革で、質の良い教育へのアクセス、職業の自由などを受けてきた世代だ。

3)都市・地方の差

日本でも都会と地方のギャップが謳われるが、アフリカ諸国を見ていると日本の差が小さく見えるほどのギャップがある。

私が良く知る東アフリカのケニアも、ウガンダも、タンザニアも、ルワンダも、首都・地方の主要都市・それ以外(農村など)で全く異なる。

まず、貨幣経済の浸透度合いが大きく異なる。
他にも例を挙げれば尽きないが、道路も舗装された道路かどうか。スーパーのようなフォーマルセクターの流通へのアクセス、電気や水道のアクセス度合いなどなど。

南アフリカにおける、都市・地方ギャップがどれほど多いか正直分からない。
この10日で見たのは、首都のヨハネスブルク、北西州の州都、ケープタウン(圧倒的な経済・観光都市始まりの街)の3か所だけだ。

南アフリカの地方都市は、ウガンダやケニアと比べるとずっと発展しているように思えた。

僕がいったのは、ボツワナ国境のMafikeng(North West州の州都)だけど、整備されたインフラ、大きな近代的なモールが複数、大きなスーパーが複数ある町だった。

初日に、シェアカーのドロップでMafikengから車で30分のいわゆる農村に立ち寄った。その一軒だけだが、いわゆるケニアやウガンダの農村よりは良い暮らしをしてそうな雰囲気もあった。(実際は不明)

インドの都市・地方格差

補足として、インドの都市・地方格差を紹介したい。
インドも都市(Urban)と地方(Rural)は全く異なる。ただし、都市はさらに4つに分かれる。それぞれ大きく違った世界だ。

Tier1都市(500万人以上の大都市。6-8つ)
Tier2都市(200-300万人以上の都市)
Tier3都市(80万人前後以上の都市。Tier1とTier2の幹線道路沿いにある町)
Tier4都市(数十万人以上の都市)
農村(Rural)

都市(Urban)という表現が難しい。
一般的な日本人が、インドのTier3-4都市に出向くと「田舎」に分類してしまう。
インド内で日本人が一般的に購入するプロダクト・サービスを提供する場合、大抵はTier1-2の都市のことしか見えない。Tier3-4でさえ目が向かない。

しかし、インドは世界でも都市化が遅れている国の一つで、都市人口は14億人のうち4億人弱と言われている。Tier4まで含めても4億人もいない。
残りの10億人近い人口は、「Rural」に定義された場所に住んでいる。

4)地域差

今回の滞在だけでは地域差も良くわからない。
ただ、事業をする上で、南アフリカの国土は広いけど、人口は5000万人だ。ある程度の地域差はあれど、ビジネスとしては全国規模をカバーすることになるだろう。

9つの州と、11の公用語

南アフリカには公用語が11言語ある。最も通用する言語は圧倒的に英語である。しかし、母語を英語とする人の割合は1割に満たない。
9つの州があり、母語の割合でいえば、ズールー語がトップの22%。コサ語が16%、アフリカーンス語が13%と続く。

日本やヨーロッパのように長い間歴史を積み上げて各民族が混ざり合ってきた地域ではない。
南アフリカは、ヨーロッパ人が入植した16世紀以降300年。もっと言えばアパルトヘイト政権が始まった1948年から50年程度で人為的に変わった部分も大きい。

僕が訪れたヨハネスブルグとケープタウンという2大都市でも大きく異なる。

140年前にゴールドラッシュで生まれたヨハネスブルグ

・ヨハネスブルグは、元々はサバンナだった土地に、1886年に金鉱脈が発見され、ゴールドラッシュで作られた街だ。まだ140程度の歴史の浅い街である。

標高は1700mと高く海からも離れている。近代になるまで、人が住みやすい場所ではなかった。
金が発見されたことで多くの人とカネを集めた。

金鉱脈の採掘には莫大なお金がかかる。大きな山を掘り返し、最新鋭の機械を調達する。さらに掘り起こした金を取引する。
そのため、世界の資本が集まり、金融街として発展した。
ヨハネスブルグがアフリカのウォール街と呼ばれ、現在でもアフリカ金融市場の玄関として君臨するのは、金の取引が起源である。

アフリカ最大の銀行、Standard Bank。
僕もウガンダでお世話になった銀行だ。(ウガンダ内で最も信頼性が高く、安定したサービスの一つがStanbic bank。Standard Bankのグループ会社)

ヨハネスブルクのSimons Streetには、スタンダードバンクのマークがついた重厚がビルがずらりと並び圧巻だった。

アパルトヘイト前までは、一部の人が独占、統治していたこともあり、治安のよかったヨハネスブルグ。
アパルトヘイト時代は500万人の白人のための経済の国だったものを、4000万人の国にするための移行で大量の失業者・困窮者が町に溢れ返り、さらに隣国から多くの求職移民が入ってきて治安が悪化。世界で最も治安の悪い都市が出来上がった。

南アフリカの歴史

さて、ケープタウンの歴史も紹介したい。
ケープタウンの歴史こそが南アフリカ共和国の歴史ともいえるので、少し長くなるが、ケープタウンを発端にした歴史を紹介したい。

これまで述べてきた、黒人の人種差別に加え、白人同士の争いがなぜ生じたか?理解できるだろう。

世界の貿易の要所ケープタウン

ケープタウンは、世界の貿易の要所である喜望峰(Cape of Good Hope)のあるアフリカ大陸の南端に位置し、大西洋とインド洋が交わるTwo Oceansと呼ばれる場所にある。

元はコイ族(遊牧民)、サイ族(狩猟民)が暮らしていた地域に、大航海時代にヨーロッパ人が入植する。

1488年、ポルトガル人が最初に入植する。
15世紀末、ヨーロッパの列強諸国は、高値で取引できる香辛料(スパイス)を求めて、インド洋航路を開拓する。

1869年に、スエズ運河が開通するまで、ヨーロッパとインドの往来は、アフリカ大陸をぐるっと回る必要があった。ケープタウンはその絶好の場所にある。
ケープタウンを制する者が、スパイス、しいては世界の貿易を制するとなり、政治的にも貿易的にも大変な要所となった。

1652年にオランダの東インド会社が入り、統治を始める。最初の数年は現地民と何とか分かち合っていたが、入植者がどんどん領土を拡大する中で衝突。白人が占領を始める。

白人同士の対立

その後、英仏戦争などを経て、ケープタウンの主権はイギリスに移る。
(英仏の平和条約で1802年にオランダに返還されるも、戦争が再開。ブラウベルクの戦い(1806年)でイギリスが再征服する。1814年のウイーン条約でオランダに600万ポンドを払い正式に取得する。)

1800年当時は5000人程度だったイギリス人も、一気に急増する。
先に入植していたオランダ系白人のブール人を圧迫するようになり対立。
植民地政策の一環で、英語を公用語として強制し、オランダ語から派生した現地の言語アフリカーンス語の使用を禁じた。

当時、世界で奴隷制度の禁止が叫ばれていた。
1780年に奴隷貿易がピークに達する中、人権意識の変化などから1787年頃から奴隷解放運動が始まる。イギリスは1807年に奴隷解放の法案を成立させる。
そこから24年後、1834年にケープタウンの奴隷制度を廃止する。
当時、ブール人達は大農園のプランテーションを経営しており多くの黒人奴隷を使役していたことで不満が爆発。(ここはアメリカの南北戦争と似た背景)

そこからブール人は、ケープタウンを出て、北方に新天地を求めていく。トランスヴァール共和国・オレンジ自由国を建設した。
一方イギリスは、自身の植民地支配を強めるため、両国の併合を目的に1899年から南アフリカ戦争(ボーア戦争)という帝国主義的な侵略戦争を行う。

ダイアモンドの発見

この頃、1866年にオレンジ川とバール川の沿岸でダイアモンドの原石が発見されたことにより発掘ラッシュがおこる。
農場主の息子(ジェイコブス)が発見したが、当初は誰もそれが高価な石とは信じなかった。

ちなみに、この付近に、デビア兄弟が有する農場があったそう。
お気づきの方もいるとおもうが、現在でも世界最大のダイアモンド産出会社のデビアスはこの兄弟の名にちなんでつけられた。

1871年になるとダイアモンドの価値が大きく取り沙汰される。キンバリーという不毛の土地に5万人の人が押し寄せたようだ。(現在のレソトの西側あたり。南アフリカの中央)

そんな金山で一人のイギリス人の若者が南アフリカで巨万の富を得ることになる。名はセシル・ローズ。後の南アフリカの植民地首相となる人物だ。

キンバリーの鉱山でお金を溜めていった青年はロスチャイルド家の支援を得て、デビアスの採掘権を手に入れる。1888年までに、キンバリーのダイアモンド鉱山をすべて買い取る。

上記のデビア兄弟の名からつけた、デ・ビアス鉱山会社を設立。デビアスの創業者であり、初代統帥となる。
オレンジ自由国(南部アフリカ)で発見されたダイヤモンド鉱山、トランスヴァール共和国の金鉱山を独占する。

巨万の富を得て、南アフリカの植民地首相となるセシルローズだが、帝国主義思想で、冷徹非道な植民地主義者と言われている。

母国、大英帝国の発展のために、アフリカ中をイギリスの植民地にすると宣言する。
彼の名前が付けられた国が、ローデシア。現在のジンバブエである。

ケープタウンとヨハネスブルグの地域差を説明するつもりが、南アフリカの歴史になってしまった。
上の歴史をみれば、なぜ、白人同士で争ったのか?が分かるだろう。

※さらに、この白人間の格差が、間接的にアパルトヘイトに繋がっている。

最後にソウェトの歴史も紹介し締めくくりたい。

ソウェト(旧黒人居住区)

ソウェトは、ヨハネスブルグ南西地区のある旧黒人居住区だ。

ヨハネスブルグの炭鉱には奴隷を含む多くの労働者がかき集められていた。1905年、ペストが発見される。
黒死病とも呼ばれ、14世紀にはヨーロッパの人口の60%が亡くなったとされる疫病だ。
ヨハネスブルグでペストが発見されると、炭鉱労働者である黒人を都市部から追い出した。ヨハネスブルグの南西に隔離された黒人移住区を設けた。

さらに、1948年にアパルトヘイト政権になると、南アフリカ国内で、白人と黒人が共存していた地域に住んでいた黒人が強制移住させられる。(分離政策)
黒人は強制連行されて、南アフリカの国中から家を奪われて、ソウェトに移された。その頃に、人口が急増する。

ソウェトという名前は、1963年に名付けられたそうだ。
ソウェトが有名なのは、アパルトヘイトへの抵抗の結束の場所だからだ。ネルソンマンデラ氏の本拠地でもあった。
1976年のソウェト蜂起では、176人の生徒や学生が警察に殺害された。
1980年代にボイコット運動をおこし、白人政権に家賃や電気、水の支払いを拒否した場所である。

今回は、マーケティング的なセグメントから、南アフリカの歴史に至ってみました。




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