生ワサビご飯と、燃える鼻
「あれ?それ、ワサビじゃない?手伝ってるの?」
その日、私がなじみの居酒屋へ行くと、隣席の常連さんがワサビをすりおろしていた。
「違うよ~。手伝ってるんじゃなくて、おろしたてを食べるの。とっても香りがいいし、うまいんだよ」
常連さんは、鮫皮おろしでワサビをすりおろしながら、そう言った。傍らには、炊き立てのご飯と海苔が用意してある。
「そうそう。今日は生のわさびが手に入ったから、生ワサビご飯を出してるんだ。珍しいだろ?」
店主は、私が注文した日本酒をグラスに注ぎながら説明した。たしかに、生ワサビを自分ですりおろしながら食べるなんて、あまりお目にかかったことがない。
「おろしたてのワサビって、おいしいんだよね~。私も食べようかな」
「はいよ~。かしこまりました」
店主は早速、ワサビと鮫皮おろしを用意しはじめた。
世界の日本食ブームにのって、日本のワサビは、スシやサシミとともに「ワサビ(Wasabi)」として知られるようになったが、英語では
ジャパニーズ ホースラディッシュ(Japanese horseradish)というらしい。
ホースラディッシュだけだと、西洋わさびという、全く別のものになる。こちらは日本のワサビよりも白っぽく、ローストビーフの薬味として知られている。
「はい、お待たせ」
店主が用意したワサビと鮫皮おろしを受け取ると、私も隣席の常連さんを見習って、ワサビをおろし始めた。
「ワサビをおろすときは、『の』の字を書くみたいにするんだよ」
常連さんから言われたように、ワサビで円を描くみたいに、くるくる回しておろしてみた。味見のつもりで、おろしたてのワサビを少し食べてみる。ツンとした香りはするが、ものすごくからいわけではない。むしろ、甘さすら感じる。
「ん~。やっぱりおいしい。でも、なんで、鮫皮おろしなの?」
「おろし金よりも、はるかに細かくおろせるんだ。しかも、ゆっくりおろすと空気を含むから、まろやかになるんだよ」
「へぇ~。そうなんだ~」
ちびちび日本酒を飲みながら、ワサビをのんびりおろしていたら、店主から声をかけられた。
「おろすスピードが違うと、味が変わるんだ。知ってる?」
「え?同じワサビなのに?味が変わるの?」
キョトンとしている私の手から、ワサビを受け取り、店主は高速で「の」の字を書き始めた。あっという間に、ワサビがすりおろされていく。
「はい。全部おろしたよ。これ、食べてみて」
店主がおろしてくれたワサビを、箸でつまんでなめてみる。
「う、うわ~!からい!!」
私は、思わず自分の鼻をおさえた。自分がおろしたワサビはそれほどからくなかったから、すっかり油断していたが、店主がおろしたワサビは、はるかにからかった。ツーンとしたからさが、鼻を抜けていく。
「これはまさに、ワサビ バーンズ マイ ノーズ(Wasabi burns my nose.)」
「え?なにそれ?」
「ワサビがからくて、鼻にツーンときたことを、バーンズ マイ ノーズっていうんですって。直訳すると、鼻が燃えるって意味。たまたまこの前、調べたの」私は、涙目になって言った。
「鼻が燃えるほどからかったか~!」
店主と常連さんは、涙目の私を見て笑っている。
「もう!笑いごとじゃないですよ!おろし方が違うだけで、こんなにからくなるなんて思わなかった~!」
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