小説「イチブとゼンブ」②
ー 大崎弘也 ー
次の日、俺は授業が終わるとすぐに剣道場へと向かった。
思った通り剣道場には人はおらず、礼をして真っ直ぐ更衣室へと向かう。
と、入り口の近くの壁に綺麗に手入れされた竹刀が立てかけてあることに気づいた。
何となく気になって、触ってみる。
なんのことはない普通の竹刀だが、余程大切にされているのか、隅々まで手入れが行き届いていた。
何となく触っているのが申し訳なくなって、元の場所に立て掛けようとしたその時。
「おい」
眉間にシワを寄せた千橋が、下駄箱のところに立っていた。
まずい。そう思ったら、余計に声が出なくなった。
「あーっと、これ、君の?」
なんとか絞り出した言葉が、虚な響きを持って聞こえてくる。何やってんだ、俺。
千橋は、ズカズカとこちらに歩み寄ってくると「かせよ」と言って俺から竹刀を取り上げた。
グーっと頭に血が昇っていくのが分かる。いくら俺が悪いからって、そんな態度はないと思う。
千橋は不機嫌そうなまま、口を開いた。
「俺、この竹刀大事にしてんだ。勝手に触るなよ」
その瞬間、知らぬ間に握っていた拳が、ふっと緩むのを感じた。そっか、そうだよな。
「…ごめん」
「ん。いいよ」
俺は、不機嫌そうな千橋の顔に、少し寂しそうな、暗い影のようなものを見た気がした。
「この竹刀、貰いもんだから」
「そうなのか。誰から貰ったの?」
「…叔父さん」
「叔父さん?叔父さんも剣道やるのか?」
「あぁ。ちょっとな」
「へぇ〜!俺、親戚で剣道やってる人いないぜ」
「まぁ、偶然だよ」
千橋はそれだけ言うと、さっさと更衣室の方へ歩いて行ってしまった。
なんだ。同学年なんだし、もうちっと仲良くやろうや。と、思いながら後を追いかける。
すると、千橋が更衣室の入り口でピタッと足を止めた。
何かをジッと見ている。視線の先を辿っていくと、更衣室の入り口の脇に"打倒 陸奥高校"と書かれた落書きがあった。
「あ、陸奥高校」
俺が言うと、千橋は、そうだなと言って中に入って行った。
「千橋さぁ、陸奥高校になんか思い入れあんの?」
後を追いかけながら、気になったことを聞いてみる。
「昨日、先輩の話聞いたろ」
「あぁ、陸奥高校を倒すのが来海の当分の目標だってな」
「あぁ。うちはさ、4回くらい陸奥高校に決勝でやられてんだよ」
「え、4回?決勝で?」
「そうだよ、昨日先輩たちから聞いたからな。間違いない」
そうか。コイツ、陸奥高校とうちの因縁を調べるために色んな先輩のところを回ってたのか。
「ふーん…」
「結構さ、悔しい思いした先輩も多かったみたいたぜ」
そういうと千橋は、胴の紐をギュッと結んだ。
「そういうの、なんか悲しくないか」
おっ、コイツ意外と熱いところあるのか。と思い、ふと千橋の顔を見る。
真っ直ぐ前を見据えたままの黒い目が、室内の光を湛えて爛々と光っていた。
「俺もそれは思ってたぜ」
防具をつけ終えたので、準備運動代わりに腕をブンブン振り回す。風が腕を撫でていった。
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