がんばり屋さんの正体            ~トラウマからの脱却~

がんばり屋さん。
そう。
私はがんばってしまう。

自分を全部捧げて、相手に尽くしてしまうところがある。
会社に尽くしてしまうところがある。

一所懸命やっているから、認められることも多く、それを美徳だと思っていた。
自分は大事な、無くてはならない存在だと
その位置に行けるまで、突っ走るところがある。
、、、いや、あった。

ここのところ、母との関係に取り組んでいたから、ふと思ったことがある。


もしかしたら、ずっと母に認めてほしかったのではないか?

そう思ったら気づいたのだ。
母が認めてくれることは一生ない。
それは私のせいではなく、母の問題。
母の問題なのでは、と思ったのだ。

がんばらなくても、何もできなくても私はこれでいい。
そう思ったら、目標とか熱意とかが消えて、地味な何も成し遂げないような低空飛行の日々が待っていた。

友人に
「お母さんの影響で、こんな自分になっちゃった。」
と話してみたら、
「愛された、っていう影響を受けたね。笑。
 お母さんなりに愛してくれたね。100%の力で愛していたよ。」
そう言ってくれた。


ほんとにそうだ。


一気に、急に一気に母の情景がブアーーーーーーッと浮かんできた。
幼い自分の目から見ている情景だ。

キッチンに立って料理をしている後ろ姿。
内職をしてちょこんと座って衣類の糸切りをしている姿。
いつも忙しそうに家庭を回してくれていた。
子どもを抱っこしたり、話を聴いてくれたりではないけど。

母は確かにいた。
世話をしてくれていた。

幼い頃に両親を亡くし、見たこともない「親」という役割を必死に探り、「親」をしようとしてくれていた。

私の中の消えていた母の存在、記憶が初めて脳裏に広がった。


この日から、なんだか肩の力が抜けたように、がんばり屋さんの自分が消えてしまった。


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