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【ネタバレ】男女のこととかあるけど、人間って悪くないかもね/「バービー」

こんばんは、瓶宮です。
この前風邪を引いてしまい、教習所に行くやる気を完全に遮断されてしまいましたが、ようやく最近通い始めることができました。どうしても、咄嗟に教習所のことを言うときに、「くるまのがっこう……」と思って「車校」と呼んでしまいます。私の住む地域では「教習所」派が多いので、「俺って異端か?」ですね。


「バービー」を観たぞ!!!

公開前から海外の原爆に関するミームで世間を騒がしまくった「バービー」。作品自体に問題はないのに、「バービー観たい!」と声をあげづらかったことが記憶に新しいです。
そして、公開後もさまざまな感想が波紋を呼び……。どうやら、作品自体にもでかい何かがあったのでしょう。うおお、そそるぜェ……。

この作品を手がけたグレタ・ガーウィグ監督ですが、個人的に「ストーリー・オブ・マイ・ライフ わたしの若草物語」や「レディバード」、「フランシス・ハ」を観ていることもあって、今作もかなり楽しみにしていました。彼女の作品には共通して「人生には多くの苦難が立ちはだかるけど、それでも生きることって良いかもしれないよね、そっちに賭けてみようぜ……」的なメッセージを感じることができます。だから、ミームのこともあったけど、グレタ・ガーウィグを信じてみたいという気持ちのほうが強かったです。

以下、ネタバレあります!!!!!!






これでもかというくらい、男女の力の違いが描かれている!
バービーランドと人間界を対にして、性別のいざこざを表現するのが本当にうまいな、と感じました。バービーに女性を当てはめることもできるし、男性も当てはめることができる。そのまた逆もしかりで、ケンに男性を当てはめることもできるし、女性も当てはめることができる。そして、それぞれ上に立っているときは、自らの持つ力の強さに気づくことは難しいけれど、下に落ちてはじめて上にいたときの強さが浮き彫りになるということも分かりやすく示されていて、ちょっと恐ろしささえ感じてしまいました。

特に、サーシャママの熱弁シーンがすごいよ~~!!と思いました。ケンに家や国を乗っ取られてバービーが世界の終焉を目の当たりにしたレベルでへこみまくっている場面でママが彼女を励まします。ここでは、人間界においての性差別を語っているのですが、その後言葉を言い終わってママが泣かないという部分にすごい!!!!!!!!と感心しました。というのも、あんなに理不尽なことを言語化してサラサラ口に出すことって、ある意味その理不尽は存在する/認めるということと同じじゃないですか。言っていて「なんであーしはこんなカスみてーな世界で生きなきゃいけないんだよ!?!?!?!?!?」ってなっちゃうじゃないですか!?しかしそこで、サーシャママは泣かなかったんです。絶望という諦めで終わらせなかったのがよかったな~と思います。

バービーランドを取り戻したところでは、ケンが報われないじゃないかとハラハラしていましたが、ケンとバービーは対話というコミュニケーションによって和解をすることができました。こっちの世界もそんな感じでいけばいいけどね……。

というのが観た直後の感想。もしよければフィルマークスのほうも読んでみてください。
バービーの瓶のネタバレレビュー・ 内容・結末 | Filmarks映画


私はこの作品を観て、人間賛歌だなあと思っていたのですが、他の人の感想を見てみるとさまざまな解釈があってフゥ~ンという感じで楽しく読んでいました。
その中で、「この作品はフェミニズム映画ではなく、アンチフェミニズム映画だ」という解釈を見つけ、これには衝撃を受けました。ど、どこがだよ~~~~!?!?!?!?!?明らかに女性の権利とかを言ってるじゃないのよ~~~~~~!?!?!?!?!?

映画『バービー』は史上最高のアンチフェミ作品|小山(狂) (note.com)

こちらのnoteを読ませていただき、た、たしかに~~~~~~~~!?!?!?!?!?となってしまった。そうなんですよ。手のひら返しすぎて申し訳ないのですが、作中でもそういう示唆があったかもしれません。たとえば、バービーランドにおけるケンって人間界における女性の立ち位置を担っているキャラクターで、彼が一時は男性にとって居心地がよい国(ケンダムランド)に塗り替えるのも束の間、またバービーに取り返されてしまうという話は、バックラッシュを連想してしまいます。結局、もともと上に立っていた側のほうがえらいんかい、みたいな。

フェミニズムというのは、いわゆる女性の権利を認めんかい!運動だと捉えていて、もちろんそれはそうなんです。そうなんですけれど、女性の権利を認めんかい!という言葉の裏に、じゃあ男性のすべてを否定してもよいのか?女性優遇と称して履かせてもらった下駄を脱ごうとせずに男女平等をうたうのはどうなのか?という気持ちがあって。このへんをうやむやにしてしまうのは女性にとっても男性にとっても、不利益になってしまうのではないでしょうか。

そうしたときに、この作品は「対話」という可能性を提示してくれたんだと思います。相手の言いたいことは何か。自分の言いたいことは何か。相手を理解しようとする気持ちが大切で、そんな「対話」というコミュニケーションを持つ人間って悪くはないかもね、というメッセージを私は受け取りました。

結局のところ、フェミニズム映画であるということに間違いはないし、アンチフェミニズム映画であるというのも間違いではないでしょう。バービーが人間になるまでの話でもあるしね。どっちがどっちというところよりも、そういう複雑な部分があるよねということの気づきを得られる作品として観ることができる映画なのだと感じました。
グレタ・ガーウィグを信じてよかった!!!!!



おまけ
しょっぱなのシーン、「2001年宇宙の旅」のオマージュとしてモノリスの代わりにバービーのめちゃめちゃでかい足がスン……って立っていて笑いました。おもしろすぎて一緒に観に来た恋人に言ったし、フィルマークスにも書きました。このように説明すること自体が力を持つ側の行動であるため、見事に罠にかかりました。出直します。さようなら。

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