生きづらさの鋳型

 2018年、個人的にちょっと気になったことばが「生きづらさ」だ。
 この使用例は文芸作品のみならず、ネット上の記事やサロンの形成など、で個人や組織など単位はさまざまに言及されてきたが、ぼくにはなんとない違和感がある。
 最初にいっておくと、もちろん、そうした発言や活動のすべてを否定したいわけじゃない。この問題は「個人の実存」と切っても切れない側面があり、ことばを少しでも謝れば「死んだら負け」みたいな強者の論理をふりかざすことになり、やはりそういうことはしたくない。それはひとつの暴力であり、いたずらにテクストに対して「(技術的な)強さ」を求めすぎることは正しさを損ないかねず、無限にかなしい状態をつくってしまう恐れすらある。
 個人とシステムの狭間で生じるなんらかの不都合について、これはいうまでもなく深く検討されるべきで、そうした声をあげやすくなっているのはネット時代ならではの健全なありかただとおもう。しかし、その一方で「生きづらさ」を貨幣とするような市場が形成され、世の中に「生きづらさ」が蔓延し、すべての「生きづらさ」が理性的な検討をじゅうぶんにされないまま承認されるのはちょっとちがうんじゃないか、とおもった。

 そこでこんなツイートをした。


 いろいろある問題のありかたのうち、ぼくにもっとも近いのは文章表現に関するもので、だからこそ今年の終わりにちょっと考えてみたかった。すると、芥川龍之介『歯車』と19世紀に活躍した劇作家アウグスト・ストリンドベリ『地獄』を比較し、フィクションの読みかたと自伝的文章のありようについて詳細に議論された文献『僕はこの暗号を不気味に思ひ…芥川龍之介『歯車』、ストリンドベリ、そして狂気(マッツ・アーネ・カールソン)』を紹介してもらった。

 この批評が極めて優れている点は、ここ100年ほどの日本の文章のありよう、芥川以降の近代文学の文脈と現代にいたる影響を的確に整理したものだというところだ。

 ぼく自身の話をすると、ぼくの人生にはいままでのところ、特に大きな「生きづらさ」を感じてはいない。実家は裕福とはいえなかったけれど慎ましく生活をしていればなにも困ることはなかったし(月並みだが、このことはほんとうに両親に感謝しないといけない。子どもができてからほんとにおもう)、友だちもそれなりにいた。
 進路の選択においてたびたび一般的な判断から逸れるシーンはあり、その瞬間だけは少数派であることのしんどさを感じたことはあるけれど、学問の世界にしろ文章の世界にしろ(新人賞、まじつらいよね)、けっきょくのところ健康的な意味で実力がものをいう世界だったので、じぶん自身が「強くあらねばならない」という意志をきちんと持てるかだけが問題だったし、いまはなんだかんだで評価してくれるひとが少しずつ増えてきて、なんとか生きていける程度の仕事はもらえている。家族もいて、妻は「文章以外のぼく」に対して一定の理解を示してくれている。ぼくのいまの生活はそうした「満たされた」状態だ。ざっくりと、ぼくは個性的な特徴を有さない「ふつうのひと」に該当するといえるんだとおもう。

 京都で学生をしていると、とくに京都大学でおなじみ(!?)の「変人=優れた創意を持つ人間」という思想とたびたび出くわすことがある。実際に京大生の99%は(おそらく)変人でもなんでもなく、ただただ真面目に勉強し、外部や自身によって課せられたハードルを適切に飛び越えてきたひとたちなのだが、その平凡さを自覚しているからこそ「変人崇拝」のようなものにハマるひとも一部いる。「変人」たるための他者との差異を見つけ損なったひとが、みずからの「弱さ」を見つけ出そうとし、手にとったそれを「欠落」という文学キーワードのようなものと結びつけ、そこに人間性を捏造しようとすることもたびたび見てきた。ぼくはこうした構造を「生きづらさの鋳型」と呼んでいる。
 もちろん、こうした論理をいたずらにふりかざすのは躊躇われる。みずからの「弱さ」や「欠落」の意識にほんとうに悩み苦しんでいるひともたくさんいるし、そうしたものと限られた人生の時間のなかでいかに向き合い、乗り越えるか承認するかの切実さは極めて重要なのはいうまでもない。だけど、ぼくのもやもやは「生きづらさ」というキーワードが氾濫することで、「弱さ」や「欠落」が剥き出しのものとして現れてしまったのか、それとも「生きづらさの鋳型」により大量生産されてしまったのか、判別がつきづらくなっているということだ。
「生きづらさ=人間らしさ」が過剰に肯定されすぎてしまうと、表現の世界において「満ち足りたひとびと」が「生きづらさ」を感じ、技術を否定して新たな「生きづらさの鋳型」を手にせざるを得ないなら、それはほとんどディストピアなんじゃないか?表現が表現者の承認や肯定のみに縮退してしまうことは、少なくともぼくにとっては好ましくない。そんな不自由な世界はふつうにいやだな、とおもう。

 ここでカールソンの批評に戻る。

そして、いうまでもなく、前に例のないような小説を書くというのはもはや不可能に近いことに違いありません。文学の歴史は小説家が文学的な影響を他の作品から受けることと、他の作品と応答し合うという例に満ちています。ある文学作品を書くということは、限りなく無限で多様な、他の作品と参照し合う対話に入りこむということです。
十九世紀の終わりにはヨーロッパでは天才と狂気の違いは紙一重だという信念の全盛期でした。そうであれば、すばらしい知性の才能に必要なものは異常な精神状態であるといえるでしょう。この風潮はブルジョアの正常さに対抗するボヘミア文化の出現によって拍車をかけられたのでした。現代芸術がブルジョアによって狂気と診断されるとともに、狂気というものも社会への反逆の文化として何か願わしいものとしての地位を得たのでした。混乱した感情の動きを経験することは狂ったという印であるのみならず芸術的才能と見られたのです。狂気が精神の市場での流行の商品となった訳です。ストリンドベリは意識的に文学の枠組みの中でのみならず私的な生活でも狂人になる準備をすることによってこの流行をどのようにして自分に優位な方向にするかを知っていました。彼は神秘主義を肥やしとして狂気のイメージを育んでいったのでした。

 この批評では、先に言及した通り芥川以降の日本近代文学の「狂気」を肯定する歴史的潮流について考察されているのだが、その構造はまさに「生きづらさの鋳型」そのものにおもえた。
 芥川がストリンドベリ他、19世紀ヨーロッパ文学から輸入し、その影響を受けた芥川作品の読者である後年の日本作家によりさらに拡散されたと考えるのはぼく個人として腑に落ちるものだ。翻訳の向上にともないさらに雑多な海外作品の影響を受けるその影響がうすい現代作家の作品よりも、いまなお近代文学作品は広く読まれている(これはぼくは実感だ)ことを考えれば、たしかにいまなお狂人信仰のようなものが流行する理由も頷ける。念のためだけど、精神的な不安定状態で苦しむひとたちのことを「狂人」と呼ぶつもりはまったくない。
 個人的に日本近代文学によくある私小説的なものはずっと、そしていまも苦手だ。小説によくある「人間が書けていない」という批評は、「生きづらさの鋳型」をフォーマットとした小説観に由来するものと考えられ、そういうのがいやだからこそぼくは小説を書きたい。

 ともあれ、このエッセイ集のタイトル『サッカー部がきらい。』も「生きづらさの鋳型」を利用したものであることは否めない。ぼく自身にとってこれはとても大きな問題で、みずからのマイノリティ性でなくマジョリティ性にもっと目を向けて文章をやらなくちゃならない。ぼくはしがないマジョリティでしかないのだから。

(追記)
 この記事に関して、ぼくが保留し、言及を避けた部分や「言及を避けるという態度」についての記事があります。ぜひ合わせてお読みください。


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大滝瓶太

サッカー部がきらい。

独断と偏見でリア充に言いがかりをつける卑屈なエッセイ集。
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