見出し画像

言葉は救う(病院にて)

この夏、左の耳たぶに違和感があり、触っているうちに、どんどん腫れてきて、遂には首まで腫れが広がり、痛みと熱で夜眠れなくなった。

この10年余りで2回、大きな病を得ている。2回とも8月だった。…今度は何?

取り敢えず皮膚科に行く。覚悟はしていた。過去2回の経験で、診断が下されても自分が余り動じない、ということはわかっていた。

「菌が回りましたね。抗生物質と塗り薬を出します。2週間で治ります。」

とびひ。大人はあまり罹らないけれど、罹れば子供より症状が重くなるとか。

この皮膚科にお世話になるのは2度目だった。3年前、旅先で転んで、全体重を右頬骨で受けてしまい、翌日には青タンでとんでもない顔になった。

「見かけほどひどい傷ではないですよ。2週間で元に戻ります。」ミカケほど…

この医師の信頼できるところは、見立てと治癒の見通しを即座に伝えてくれ、本当にその通りになること。

気休めの言葉は一切無し、とてもシンプル。でも不安が一気に吹き飛ぶ。

11年前の8月、小さなシコリに気づき、初期乳癌の手術を地元の病院で受けた。術後の放射線治療は当時の職場の徒歩圏内にある都立駒込病院への紹介状を書いてもらった。

そこで主治医となった放射線科の若きクールビューティ。手術痕を見て、「きれいに縫えてますね。」そ…そうですか?「上手です。」

小さいキズで良かったと思っていたけど、医師のお墨付きは嬉しかった。

放射線の外来受付時間は3時まで。どうしてもその時間に間に合わない日がある、と当時の仕事事情を話すと、「ちょっと相談してきますね。放射線技師の人たち、優しいから大丈夫と思うけど。」入院患者の治療時間帯である4時までOKとなった。

治療期間中、主治医の上司で放射線科の重鎮医師の問診が2回あった。

1回目。「Stay hungry、と Steve Jobs  は言いますが、あなたには Stay lazyがいいでしょう。」のんびり行け、と理解した。

治療が終了した2度目。「これで貴女は100歳まで生きられますよ。」そこまでは望まないけれど、何だかホッとする言葉。その後地元の主治医の元で、ホルモン治療が続くことになっていた。受けないわけにはいきませんか、と問うと、

「ただ生きる、ではなく、より良く生きることを考えなければなりません。私どものこれまでの経験で、それが最良の方法だとお勧めします。」

患者の不安や言葉をきちんと受け止め、言葉を尽くして話してくださった。有り難かった。

仕事終わりに4週間、歩いて20分の道を毎日通院したが、一度も辛い、行きたくない、と思わなかったのは、放射線技師たちの、丁寧で不安を感じさせない対応故であったと思う。私はとてもラッキーだった。

そして6年前。今度は開頭手術を受けることになった。

めまいが時折あり、耳から来るものと思い、耳鼻科に行くと、精密検査を受けるように、とその場で紹介状を持たされた。大学病院でMRIを受け、左聴覚の神経を圧迫する腫瘍が見つかった。

耳鼻科の医師に会ったのはその時一度きり。こちらの不安がつのるような物言いで、印象は良くなかったけれど、見立ても対応も素早かった。集合住宅で親しくしている方も、同時期、この医院を通して初期治療につながった。地域にこのような医師がいるのは心強い。

脳神経外科のK医師が執刀医となったが、ひどく無愛想で、不安な患者にそんな言い方しなくても、と言い返したいくらい辛口の言葉を投げかけてくる。承諾書にサインする時は、たとえ死んでも文句は申しません、と書かされている心地だった。

救いだったのは、執刀チームの2番手の若いM医師が(近頃、"聴く力"が特技と仰る政治家が出てきたが)こちらの不安をよく受け止めて下さり、診断や手術の流れを丁寧に時間をかけて説明して下さったこと。形状から良性のものと思われる。他の病院でセカンドオピニオンをとって、また戻ってきてもいいですよ、と言ってくださった。

もう1つの支えは、K医師の執刀技術の高さを来訪者が噂していたこと。患者としては、すがる思いで信じたかったのだけれど。

左耳後ろに穴を開けて8時間の手術から数日経って、執刀医から術後のお話。腫瘍は良性だった。「めまいは?」「痛みや痺れは?」  大丈夫です。

K医師の晴れやかな顔を初めて見た。                「こんなに術後の経過が良好な患者は珍しい。」嬉しくなって、あと30年はいけますか?  と言うとカルテで私の歳を確認、「25年はいけますよ。」              きざみますねえ。

こんな軽口をK医師と交わすことになるとは。

気を張る仕事なんだろうな。時に深夜に及ぶ手術もあった。朝の回診で、M医師の髪は時々寝癖がついていた。

いろんなことがあるんだろうな。私も身辺整理をして手術に臨んだけど、医師だって怖くない訳がない。命懸けの覚悟でメスをとるのだろう。心底有難いと思った。

包帯が取れてから、スタスタと歩いて帰宅。今度もラッキーだった。

それでも、やっぱり、願いたいのである。患者は生きる希望を与えられたい。そういう言葉をかけてほしい。竦む患者の気持ちをわかる医師であってほしい。

その後半年ごと、3年目からは1年に一度、MRI検査を受け、診察はM医師が担当してくださった。遠くの病院だが、行くのは全く苦ではなかった。

人を元気にもするし凍りつかせもするのが言葉。

自分も心して使わねば。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?