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泳がない魚は頭から腐る 

 週刊文春の報道によるダウンタウン松本人志氏の性加害疑惑等が波紋を読んでいます。性加害が事実であれば言語道断の犯罪ですが、私にとって、あーあ、やっぱりか、という思いは、性加害そのものではありません。

 魚は頭から腐る、という諺があるそうです。つまり、人の組織や集合体にヒエラルキーができた時、そのトップにいる人間から腐ってゆく、という、人間の本質を突いた諺です。

 1990年代以降「いじり」で圧倒的な人気を獲得し、お笑い界のトップに君臨したダウンタウンですが、その時点で、松本人志氏の心を「自分は芸人の中でもトップの人間だ」という驕りが支配したのではないでしょうか。
 さらに、テレビでいくつもの冠レギュラー番組を持ち、高視聴率を取ってきた松本氏は、マスコミの人間からも持ち上げられ、おだてられ、もはや自分はお笑いやバラエティーの世界でのヒエラルキーの頂点、つまり権力者であると錯覚してしまったのではないでしょうか。そして、「権力を持った人間は何をしてもいい」という思考に陥ってしまったのではないか、というのが、私は残念なのです。

 この「残念」な意味は、松本氏も醜い人間の本質のアリ地獄にはまってしまったか、という意味で、つまり、人間存在の本質への落胆と言ってもいいかもしれません。
 
 一部の松本氏のファンからは「松本人志氏はお笑いの天才である。そんな天才を、一般人の常識的な物差しで測るのはおかしい」という主旨の擁護論がありますが、それこそ、「権力者は何をしてもいい」という暴論を庶民が許してしまう大きな誤りです。

 確かに異才・天才の発想や行動には、時に一般庶民には理解しがたいこともあります。時に「奇行」ともいえる突飛な言動やファッションも、過去に天才と呼ばれた人たちには、確かにありました。だからといって「何をしてもいい」という飛躍にはつながりません。天才、異才と「権力者」とは、本質的に違うのです。そこを勘違いしてはいけません。

 つまり、松本氏は芸人として天才なのかもしれません(私はそうは思いません)が、決して「権力者」になってはいけなかったのです。誤解を恐れずに大胆に言えば、松本氏は、
権力者」になったと勘違いした時点で、ヒトラーやプーチン、習近平、金正恩と同じなのです。「権力者」はヒエラルキーの頂点に立ち、自分の思うままに人々を動かし、時に弱い立場の人を痛めつけ、いじめどころか大量殺人まで平気でします(部下にやらせます)。それは過去の歴史を見れば明らかですし、現代の今現在も、現実に起こっている事です。

 人間は、とかく群れ・組織を作りたがる生き物です。そのトップがみな必ず「権力者」かというと、決してそんなことはありません。組織や群れ、グループ、団体のトップは、そのメンバーを率いていく能力がある人、つまり「リーダー」です。「リーダー」=「権力者」では決してありません。

 私が今までに取材させていただいたり、お話を聞かせていただいた各界の「リーダー」の人たちの多くは、大変謙虚な方々でした。中には二度と顔も見たくない程、いけ好かない人もいましたが、大半は人を惹きつけ、思いやりのある、まさに「リーダー」にふさわしい人でした。
 その人たちの共通点は
変なプライドを持たない(自分が偉いと思わない)
自分が今あるのは周りの人々のおかげだと信じている
性別、年齢、人種、肩書、学歴などで人を差別するような偏見を一切持たない
 という点です。

 まして、これからは、組織というものが形骸化し、個々の人間の本質が問われる時代です。そして今年は、「土の時代」から「風の時代」への転換期だとも言われます。
 
 組織は次々と風化、分解し、人々は一つの肩書や組織に囚われずフリーな人材として、プロジェクトに応じて有機的に集まったり、解散したりして、社会が進んでいく時代になることでしょう。
 そのプロジェクトごとにふさわしい人が「リーダー」になり、その「リーダー」は、プロジェクトごとにどんどん変わっていくことでしょう。そうした流動的な社会こそ、行き詰まった世界の政治経済を解決できる、唯一の処方箋かもしれないと思うのです。

 次々に「リーダー」が変わっていくということは、頭が次々に変わっていくわけですから、腐って行くヒマがありません。また、腐らせるのは、自ら何も考えず「リーダー」に追従し、おべっかを使い、そのおこぼれをもらおうとする、
卑屈で強欲な人間が、自らの保身のために「頭」を変えようとしないからです。リーダーが変わらないところへ、卑屈なおべっか野郎がいたずらに持ち上げるから、リーダーが自分を「権力者」だと勘違いしてしまうのです。そして「権力者」やおべっか野郎たちは、自分たちの地位保全のために、その支配する組織をずっと守ろうとします。
 逆に言えば、そうした周りのおべっか野郎たちが「権力者」を作ってしまうのが、人間社会の悲しい本質なのです。

 もういい加減に、「権力者」にくっついて自己保身を図るような、下衆な生き方はやめましょう。あらゆる組織や団体やプロジェクトが有機的に集散していけば、腐る頭はできません。組織やプロジェクトを魚に例えるなら、リーダーが次々と交代したり、組織が変わっていく事は、常に新鮮な水をかき分けて泳ぐようなものだから、そういう魚の頭は決して腐らないのです。一つの組織や価値観に囚われ、それにしがみついて王様気取りでいる「権力者」、それは泳がない魚、だからこそ、頭から腐るのですね。・・・ちょっと比喩に無理があったかな。

 文責:映像作家 増田達彦 2024.1.26.