見出し画像

【エッセイ】安藤ゆきさんの世界

 このnoteのどこかで書いた記憶があるんですが(おぼろげ)、僕は、あまり熱心な読書家ではありません。熱心な、というか、どう考えても、全く、読書家とは言えない。近年だと、三年くらい前に、西加奈子さんの「漁港の肉子ちゃん」を読んだけれど、以降、活字らしい活字はまるで読んでいません。本棚なんてないし、雑誌や写真集を突っ込んでいる棚にあるのは、ほとんどマンガ。マンガだけはずっと好きで、ほんとにあれこれと読んでいます。
 あれこれと読んではいるつもりだけれど、いつの間にか偏ってもいるらしく、鬼滅も呪術も、東京リベンジャーズも、「タイトルは知ってる」だけで、あまり読んでみたいと思わなかった。少年マンガ、特にバトル系はドラゴンボールが頂点で、それ以降はその焼き直ししかないような気もする。それに、僕はヤンキー文化そのものが好きではないので、そういうものも読まない。いきがった中高生がケンカをしてるような物語なんて、誰に勧められても読まないと思う。
 ドラゴンボールって。あれって、そんな単純な作品じゃないんです。実は、ドラゴンボールって、親子、師弟の話なんです。孫悟空は、最後の最後まで、師である亀仙人から教わった武術しか使わない。あるいは、青年期に師と仰ぐことになった、界王さまの教えも、その延長線上として。絶対に相手の命を奪いはしない。その悟空の息子、悟飯は、偉大なる父である悟空と、悟空の宿敵であるピッコロの教えのなかで武術を極めてゆく。幼い悟飯は、最大の敵である、人造人間セルとの決戦において、ついに父、悟空を超えようと、決死の大技を放つんですが、その背中には、そのとき、すでに死した悟空がいるんです。いまや、父を超えようとする息子の背を押す、悟空。
 もう一人。悟空の宿敵になった、ベジータは、非道な殺人者であった。しかし、地球でブルマと結ばれ、トランクスという子供を持つ。彼は、戦闘民族サイヤ人の王子であった自分よりも、やがて、父として、夫としての自分に目覚めてゆきます。最後の敵、魔人ブウと相対したベジータは息子トランクスに言います。
「ブルマを。ママをよろしくな」
 子供を守って、ベジータは灰になる。彼が最後に愛したのは、かつて、もっとも嫌ったはずの、家族でした。
 また、ベジータは、最終決戦に挑む悟空に言う。おまえこそ、ナンバーワンだ、と。悟空は戦うこと、武術を極めることを愛しながら、相手の命を絶つことはしなかった。誰よりも優しく、武術が好きな青年だからこそ、いちばん強くなった。
 ピッコロ。ベジータ。フリーザ。セル。ブウ。強くなるたびに現れる宿敵。悟空はどんな危機にも笑顔で言う。
「オラに任せてくれ」
「オラがなんとかする」
 そんなふうに。鍛錬を重ねてきた。誰よりも強くなろうと努力をしてきた。だから、きっと、勝てないまでも、負けはしない。追い払うことくらいはできるだろう。勝つ、とは言わない。なんとかする、と笑顔を浮かべるのが、やっぱり、悟空のヒーロー性だと思う。
……あれ。いつの間にか、ドラゴンボールの話になってますね、これ。

 さて、本題。
 好きな漫画家さんは、実にたくさんいるんですけど、あえて、お一人を選出させていただくなら。
 安藤ゆきさん。「不思議な人」という短編集でその作家さんを知り、ずっとファンです。いまは連載中の「地図にない場所」の新刊が楽しみ。
「地図にない場所」の主人公、宮本琥珀さんのキャラクター造形が良いんです。30歳。元バレリーナ。屈託なく明るくて、天真爛漫。感情がすぐに表情に現れる。バレエしかやってこなかった。炊事も洗濯もろくにできないけれど、そんな琥珀さんを見かねて、あるいは、見守りたくて、周囲の人たちがドギマギしながら、琥珀さんのもとへやってくる。なんて可愛い人なんだろうとウキウキしながら読んでいます。
 安藤ゆきさんの作品だと、劇場映画にもなった、「町田くんの世界」が有名かもしれません。外見的特徴は、ほとんど、のび太くん。高校生の町田一(まちだ・はじめ)は、めがねをかけた、一見、冴えない高校生。実際は、その風貌のわりに、勉強はできない、その風貌どおり、運動もできない。特に良いところもなさそう。いまひとつ空気も読めない。
 でも。町田くんは、誰よりも心の優しい人。美しい心を持っている男の子。そんな町田くんだから、彼が無自覚に掬い上げてきた人たちが、彼のことを愛し始める。町田くんも大好きな女の子ができる。
 単行本の帯に、「やっぱり、世界は美しい」と、あるんですね。ありふれた言葉だとは思う。そして、ありふれた言葉だし、僕は、この世界を美しいとは思っていないので、尚更、凡庸だなって思ったりもする。でも。町田くんは、ごくありふれた日常にある、美しいものだけを抽出して、「この世界は美しい」と断言する。それを読む僕は、そんな町田くんや、町田くんを大好きになる人々を大好きになる。
 僕は決して、この世界が美しいとは思わない。でも、安藤ゆきさんが描くと、この世界の美しさを知ることができる。いつだってそうだった。退屈だったり、どうでも良かったり、いっそ、どうしようもない日常に思えても、そこに潜む優しさ、和らぎ、それから、よろこび。
 安藤ゆきさんが描くときめきは、いつだって、見飽きるほどありふれた日常のなかにある、ほんの一瞬のきらめき。見慣れた暗がりで静かに呼吸をしている光。安藤さんの紡ぐ物語には、祝福があるんです。WBCやらオリンピックのように、世界の頂点に立つ種類の祝福ではなく、ありきたりの毎日を生きて、いま一度、自分たちを愛してみようと訴える、祝福。

 冒頭でお話しした、ドラゴンボールの終盤に。平和の訪れた時代に生きる、悟空やベジータの息子たち、悟天(悟空とチチの息子、悟飯の弟)や、トランクス(ベジータ、ブルマの息子)が、すっかり、武道の鍛錬から離れてしまった様子を見て、悟空とベジータがため息をつくんです。
「やれやれ、我が子ながら情けない」
「ほんとだな。でも、それだけ、平和だってことだ」
 かつて宿敵だった二人は並んで、平和を享受している子供たちに微笑みを浮かべる。戦うことに明け暮れた二人も、いまは、平和な時代を愛してもいる。戦闘法としての武道ではなく、それが習い事になってしまっても、やっぱり、平和に笑っていられる世界がいい。
「地図にない場所」の宮本琥珀さんは、数年前まで、世界でトップのバレリーナでした。それを辞めてしまってから、初めて、アイスクリームの美味しさに唸り、初めての炊事や、初めての家事に奮闘します。苦痛じゃない。初めてのことが楽しい。
 30歳になるのに?
 いい大人なのに?
 そんなことはまるで気にも止めず、ワクワクやドキドキが待つ、「地図にない場所」=「イズコ」を探して、炎天下を歩いてみたり。新しい生活、やがて、ありふれてゆくであろう日常を、堂々と闊歩してゆくんです。そんな、琥珀さんの笑顔に惹かれて、人々が集まる。
「町田くんの世界」では、本編のラストに、主人公の町田くんが大好きな女の子に、ひとつの提案をします。まだ高校生なのに、将来を決定してしまうであろう提案でした。町田くんの好きな猪原さんという女の子は、家族の愛情を知らずに育った女の子。その子に対して、誰よりも人が好きな町田くんは、真っ直ぐに、家族がいることのよろこびを打ち明けて、猪原さんとの未来を告白するんです。

 悟空も、ベジータも。琥珀さんも、町田くんも。失敗することを恐れない。ひたむきに前向きに、生きることを楽しもうとする。だから、その姿は滑稽でも、美しい。僕たちは失敗を恐れる。必要以上に恐れる。しかし、生きているというのは、恥をかくこと。誰かに笑われて、「やっちゃった」なんて、頭をかくこと。そうやって、照れた笑みを浮かべるからこそ、生きているんだと実感だってする。
 恥をかきたいとは思わない。けれど、恥を恐れて尻込みする自分なんて、結局、何も知らずに終わってしまう。経験のないことは知らなくて当たり前。これから知ればいい。
「地図にない場所」と「ドラゴンボール」。このふたつを繋ぐ、意外性は、かつて、天才と言われた人々が、天才性を失ってから、再生する物語であるということ。神童とまで言われた子供が、いざ、成長してみると、凡百の人だった、なんて、よくあること。「町田くんの世界」の町田くんに至っては、最初から、凡百以下である自分を認めて、そのうえで、人を愛して生きている、生粋の「天才」。

 僕たちは特別じゃない。そうなりたいと努力をすることはできても、その時点で特別ではない。良いも悪いもなく、それが現時点なのだから、そのことを知って、先に生きた人たちの背中を追っかけてみるしか、ね。それなら、必死にやれば、できると思いません?

photograph and words by billy.
#好きな漫画家
#読書感想文

この記事が参加している募集

読書感想文

好きな漫画家

サポートしてみようかな、なんて、思ってくださった方は是非。 これからも面白いものを作りますっ!