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君たちはどう生きるかを観てきた

『君たちはどう生きるか』、を観てきた。
以下ネタバレを含みますので、観ていない方はUターンを。

観てきたと言っても私は結構ギリギリに鑑賞を決めた方。
公開数日前からTwitterで君生きバードが話題になっても反応ひとつ、広告ひとつもないジブリ公式。実はこの時点では何が起きるかわからずまだ見る気がしなかった。
ところが公開0時を回ってジブリ公式Twitterのプロフィールに「カヘッカヘッカヘッ」という文字列が現れた。ええ?君生きバード…君はそんな鳴き方をするんだ………………と思って観に行くのを決めた。
君生きバードの実在性がふわっと言葉一つで付与された瞬間、やっぱりもしこの映画の内容が宮崎駿お爺さんの説教だったかもしれないとしてもこの人のかけた魔法にまた掛かりたいと思ってしまったからだ。

私が大人になるまで、私の生活はVHSに録画されたとなりのトトロやら、DVDに録画された猫の恩返し、ハウルの動く城などとともにあった。ジブリの背景の魔法、世界観などに魅了されていたのはいうまでもない。
大きくなってから好きになったのは実は風立ちぬだった。何があっても、どんなことがあっても、その夢がどんな結末を迎えようとも生きねばならぬというメッセージは見るたびにゆっくり私の人生観に影響を及ぼしてきている。現在進行形で。

そんなわけでチケットを取って観に行った。
実はジブリを劇場できちんと見るのは初めてだった。

物語は戦火の中で始まる。この時点であっ、やっぱり戦争から始まる説教なのか…と身構えた。
しかしそんなことはない。母を亡くした眞人(まひと)が実母に別れを告げ、新しいお母さんを受け入れるための冒険だと私は解釈した。

眞人にとって新しいお母さんという人はなかなかに受け入れ難い人だったに違いないだろう。なんせ実母にそっくりもそっくりな実母から見て妹にあたる人物だし、しかもお父さんとの子供がすでにお腹の中にいるんだという。そっくりな妹も妹だけど、お父さんどんだけ元のお母さんの顔忘れられないんだよ。

そんな折、眞人の住むお屋敷に住み着いているアオサギが「お母さんは死んじゃぁいない」「お待ちしておりますぜ」と話しかけてくる。紆余曲折あってアオサギについて行った眞人は過去の女中さんやお母さんと出会い変わった世界を冒険する、という話。

私の感想としてまずアレ?と思ったところは、主人公である眞人の性格にしっかり悪意があったところ。
まあ新しいお母さんに話しかけられても全てガン無視するのは緊張もあるだろうから…と思って流していたが、こんなシーンがある。
転校先の学校で馴染めなかった眞人が転校先の生徒と喧嘩した帰り大きな石を持って自分のこめかみに当てる。当然結構な量の血が出るが眞人は流血を気にせず帰って「転んだだけだ」と言い張る。
眞人は喧嘩した時点では別に流血沙汰にはなっていない。わざと自分でこめかみに石を当てて大事にしたのだ。
ここで私はああ、今回は大衆がどうこうではなく人1人が持ちうる小さな悪意ってものをついにやるのかと思った。ジブリ世界からすると少し反則のような気もするものをやるんだと。

後半の積み木に潜む悪意も、積み木をひっくり返してしまうインコの王様も多分そう。人が1人ずつ小さく持っている悪意が束となり(その時代では戦火となって)渦巻く世界で君たちはどう生きるのか?というテーマがひとつあるんだろうな、と思った。

もうひとつ、思ったのは君生きバードことアオサギのことだ。アオサギは眞人をそそのかし、騙し、その正体もよくわからない上すんごく胡散臭い。でも憎めないキャラクターとして案内人を務める。真人とも途中から息ピッタリで組む。
アオサギは「嘘は生きる術」というスタンスで生きているが眞人にそれすらも「嘘」と言われてしまう。
このアオサギが眞人にとってのあたらしい悪意の形なんだと私は思った。
アオサギが眞人を唆すやり口は本当に誉められたものではないが、下の世界では実際に実母は幼い姿で生きていた。また、翼で嘴を射抜かれてしまったアオサギは渋々、本当に渋々‥と言った形で協力するがその手際は見事なもの。
完全にぶっきらぼうな嘘をつききらない、完全な悪意を他人に見せないということ、それが新しい悪意であり、「生きる術」としてアオサギが教えてくれていることなんだと思った。

最後に大叔父さんのことだ。
大叔父さんは下の世界を13個の積み木でなんとかやりくりしている創造主だ。そしてこの人もまた小さな悪意を持っている。「積み木と言っていたけどこれは墓石でしょう?」「そうだ、それがわかる君だからこの仕事を継がせたいと思っている」というやりとりから大叔父さんにも騙し討ちのような小さな悪意がある。おそらく大叔父さんは積み木をもう積んで、世界を作った後だから悪意があっても世界には影響しないんだろう。
世界を良くあるべきものとして均衡を保つこの仕事は大変なものでもあったことは言うまでもない。
つまり大叔父さんは人1人の持つ悪意がどれだけ大変なものか知っていたんだと思う。
だから眞人に「仕事を継いでほしい」というけども継がない選択をした眞人を責めたりしなかった。
積み木を倒したインコの王様を責めたりもしなかった。
大叔父さんもまた最後は「悪意渦巻く世界を生きる選択をした人」なのかもしれない。

となると、この作品のテーマはやっぱり大叔父さんの話も含めて「(この悪意渦巻く世界で)君たちはどう生きるか?」という話なんだろうな、と思った。
「お父さんの好きな人」から「新しいお母さん」へと受け入れることができ、しっかり新しいお母さんを連れて現実を生きると選択した眞人くんの今後にに幸あれ。

ちなみに最後のやり取りであるアオサギの「まだこんな物持ってんのか?」「普通は異世界のことは忘れるものだ…」というセリフに関してはアオサギの悪意というよりはなんだか宮崎駿監督の言葉そのままのような気がして少し微笑ましくなった。
この作品も含めてジブリの持つ世界観は「こんな物」ではない、と私は思う。またこの作品も私にゆっくり影響を与えていくような気がしている。

良い魔法にかかった時間だった。

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