また見つけてもらえるように…
俺は孤独だ。
こう書くと、読んでる人はどれぐらいの孤独だと想像するかな?
浅い関係の人間関係はあるけど、悩みを相談したり、休日に遊びに行ったりするような親友的な人間関係がないから、孤独だと言ってるのだろうなと思う人が多いのかも知れない。
しかし、俺のスマホの中には知り合いはおろか、友人、仕事上の関係者、飲み屋で知り合った女性などの個人の名前が書いてある連絡先が入ってない。
今調べたら、16件しか連絡先が入ってない。
個人名で入ってるのは、父親名義の実家の固定電話の番号、母親の携帯番号(最近スマホに替えた)と1月に交通事故に合った時の事故相手の老人の電話番号のみだ。
他はこのスマホにしてから旅先で行った、各地のビジネスホテルの連絡先ぐらいだ。
これが俺の人間関係の全てであり、この現状からの「俺は孤独だ」発言なのだ。
人脈?
なんだそれは?それは美味いのか?卵やダイコンと煮込んで冬に食べる料理に入ってる柔らか食材か何かか?
人望?
なんだそれは?日本最大の本屋街の街の名前か?カレーライスとスキー用品のメッカと言われる街の名前なのか?
そう、俺の人生の切り札リストには人脈や人望などという言葉はまったく入ってないし、入ったこともない。
「お前ってとんでもなく嫌われてたんじゃね?」
そう思われるかも知れないが、自分で言うのもなんだが、そこそこは好かれていたとは思う。しかし、その初期の段階から自ら仲良くなろうとしないのだ。自分からは遊びに誘わない、相手から誘われてもアッサリ断る。
これでは、親しくなるどころか、せっかく繋がった人間関係もあっという間に無くなってしまう。
決して、人が嫌いなんじゃないんだ。人と深く仲良くなるという事が怖いのかも知れない。それとも、俺の人間的な性能の中に人と深く仲良くなる性能自体が無いのかも知れない。
仕事を辞めて株式投資を始め、それから本当に人間関係が一切無くなる生活をして来た。その時に1人の女性に出会い、全力で助けようとして、そして全てを失った。
普通の人間関係はアッサリと無くすのに、女性となったら積極的に人間関係を構築しようとする。
まさに人類の繁栄の源、なんという強力な性欲の力なんだ。
いや、ちょっとカッコつけさせてもろて、
「愛の力」
こう呼ばせてもらおう。
その愛の力が無くなり、俺は本当に孤独となった。LINEも、その女性とだけしていた。その女性のためだけに生きた。
俺のお金も時間も俺の思いも全て、その女性のためだけにあった。
しかし、いつの間にか激しいモラハラを受けるようになった。自殺強要をされ、人前での土下座強要、実家を売れだの内蔵を売って金を作れだの言われた。でも、10年以上離れず耐えに耐えた。しかし、まとまったお金が親からその女性に渡ったら、俺はアッサリと捨てられた。
「お金だけじゃない、愛もあったはずだ!」
そう思いたかったが、しかし、どう考えてもお金だけの繋がりだったみたいだ。
こうして俺は本当の抜け殻となり、後は命が枯れて塵になるのを待つだけの日々を送っていたんだ。
抜け殻となって3年目に、初めて自分から人と繋がる行動を始めた。文章を書くことだ。
最初は本当に自分の日記のつもりだった。いつか必ず人生の最後を迎える。その時に生きた証が何も残ってなかったら悲しいと思う感情が芽生えた。
ノートとかパソコンに証を残してると、親族がそれを見つけたらカッコ付けた文章だったり、俺が女性に貢いで捨てられたなんて知られたら、死んだ後なのに恥ずかしいと思った。
だから、本音では書けない。それならば、ネット上で誰か分からない状態なら本音で何でも書けると思って、ネット上で書き始めた。見てくれる人なんているか分からないけど、それでも誰でも見れるから生きた証は残せる。
文章を投稿しても、自分からはフォローしたり、スキしたりはしなかったし、今もしてない。だって、自分から積極的に関わりに行ったら俺の文章を見たくない人にまで俺の文章を押し売りするような状態になってしまうからだ。
それに無視されたら悲しい。SNSを始めても、まだ俺の心は豆腐メンタルなのだ。
だから、ネット上でも俺は孤独のままだろうなと思ってた。
でも、こんな俺の文章でも見てくれる人がいる。俺はまったく宣伝してないのにだ。
この広いネットの世界で、俺を見つけてフォローまでしてくれる人がいる。
俺はフォローしてもらったら、必ずフォローは返す。それはどんな人間でもだ。国際指名手配のテロリストでも、家で怪しい草を栽培してる売人でも、部屋の隅っこに毎日話しかけてるような不思議ちゃんでもだ。
そして、相手からフォローを外されない限りは俺からはフォローは外さない。
しかし、相互フォローだと罰金課せられたり、俺まで共犯と思われて国際指名手配されそうなら、俺からフォローを外すかも知れない……
ネットの世界ではアクセス数やフォロワー数などは、ただの数字だと思った方が気持ち的には楽で、ショックを受けることが少なくなっていいのかも知れない。
でも、ずっと孤独で生きて来た俺は、やはりただの数字だとは思えない。
現実世界では寂しいと思う心が無くなり、ただの肉塊のように生きていたけど、SNSを始めて、フォロワーがいなくなったら寂しいと思う心が芽生えた。
だから、アクセス数が減ったりフォロワーが減ったりしたら、俺は数字じゃなくて人の心が離れて行ったと感じてしまう。
でも、仕方ない。俺がフォロワーを惹きつける力が足りなかった。これがSNSを始めるという事だと自分に言い聞かせる。
でも、それでも、また俺の心を見てもらえるように生きて行こうと思える心になってる
俺の話を少しでも見てくれて本当にありがとう。こんな気持ちになるとはSNSを始める前は思わなかった。
だから、俺の文章を1回でも見てくれた全ての人には感謝だけです。
「俺を見つけたら、また仲良くしてね!」
こんな言葉が現実世界でも言えたなら、今の孤独は無かっただろうな。
孤独から抜け出すのは、案外簡単な事だと今なら分る。
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