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”むこうみずの狂気”|映画「ひらいて」感想

10月になりましたが、全然涼しくならないのに、食欲は増してるの意味わかんないです。栗、芋、南瓜。良い季節です。

今日も今日とて映画の話です。最近バンドか映画の話しかしてない。なぜなら、エッセイのストックがもうないから。はは。でも、書かないよりはいいよね。ってことで。


「ひらいて」

綿矢りさの小説が原作。
”たとえ”という名前の男子に恋をした、いわゆるスクールカースト上位グループに属する女子高生・愛。たとえの恋人が、糖尿病を患うおとなしい性格の美雪ということを知った愛は、次第に美雪に近づいていく。
”身勝手にあたりをなぎ倒し、傷つけ、そして傷ついて。”(原作文庫本背表紙より)

「私をくいとめて」に引き続き、綿矢りさ実写映画化シリーズです。文章はもちろん、映像にしても綺麗なんですよね、というか、彼女の書く美しい文章を、忠実に映像に落とし込める監督、すげー。

愛の内に秘めた激情は、沸々と煮えたぎり、限界までいくと爆発する。だからといって、叫んだり泣き喚いたりするわけではなく、山田杏奈ちゃんのごく僅かな表情の変化で表現される。最初の方はハイカースト女子ゆえに、一応世間体を気にしている部分もあるのか、静かなのが逆に怖い。山田杏奈ちゃんの透明感のある瞳が、だんだん陰っていくのがすごい。

愛に対するたとえ、作間龍斗くんの三白眼が活かされていて、とても冷ややかで、でも確実に怒りに満ちていて、とてもよかった。親や美雪との関係に対して、彼にも秘めていた狂気が垣間見えた。作ちゃんのたとえ、期待以上だった。二十歳の誕生日おめでとう。

”むこうみずの狂気”は、光浦靖子さんのあとがきのタイトルをお借りしました。まさにその通りだから。それ以外言いようがないから。
狂気。恋に溺れている人間なんて、みんな狂っている。正気の沙汰じゃない。でも、それってすごく人間臭くて、愛おしかったりもする。たとえ向かう先が、破滅だったとしても。

以下、原作の好きな部分を抜粋。

愛は、唾棄すべきもの。踏みつけて、にじるもの。ぬれた使い古しの雑巾を嗅ぐように、恐る恐る顔を近づけるもの。鰯のうす黒いはらわた、道路に漏れるぎらついた七色のガソリン、野外のベンチにうすく積もった、ざらざらした黒いほこり。
恋は、とがった赤い舌の先、思いきり摑む茨の葉、野草でこしらえた王冠、頭を垂れたうす緑色の発芽。休日の起き抜けに布団の中で聞く、外で遊ぶ子どもの笑い声、ガードレールのひしゃげた茶色い傷、ハムスターを手のひらに乗せたときに伝わる、暖かい腹と脈打つ小さな心臓。
私は、乾いた血の飛沫、ひび割れた石鹸。ガスとちりの厚い層に覆われた惑星。

ふいに満たされた。いつも心を急き立てていた焦りが、消え失せて、身体がらくになる。一瞬ののちにはまた渇いて、いまの充足は霧散するかもしれない。でも確かにいま、私は椅子からはらりとこぼれた薄い美しい薄紫色のショールを、床に落ちる寸前でつかんだ。さらさらした絹の、優しく涼しい肌触り。床に直に座り込み、私はショールを透かして新しい景色を見る。緻密な織り目を通して見た世界は、朝の山脈に立ちこめる、粒子の細かい霧に包まれている。いつか飽きる、いつか終わる、しかし今つかんでいる。

10代の恋愛なんて、この人と結婚する!とか、その時は本気で思っていても、実際に結婚する人なんてほんの一握り。大抵のカップルは、しょうもない喧嘩とか、受験がどうのとかの理由で、別れてまたくっついてを繰り返す。それでも、当時は本気なのだ。それ以外ないのだ。高校生にとっては、学校という小さな世界しか存在しない。世間知らずは、良くも悪くも、直進しかできない。ブレーキはきかないし、回り道もバックもできない。だからこそ、危うく、儚く、花火みたいに一瞬の煌めきを放つ美しさがある。

先のことばかり考えて、予防線を張って、何かに縋りたくなって、臆病になったのはいつからだろう。今を全力で生きること。子供の頃はそれが当たり前だった。忘れてしまった、身体の奥の方に眠っている衝動を、もう一度呼び起こす。人間なんだから、人間らしく生きてもいい。


映画館に見に行かなかったことを後悔する作品でした。

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