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SF小説「ジャングル・ニップス」3−3

ジャングル・ニップス 第三章 作戦会議


エピソード3  飛行機雲


店を出て中学生とブツカリそうになった。

あやうくコーヒーをこぼすところだった。

ゴメンネと頭を下げると、中学生は深々と頭を下げて、スミマセンデシタと丁寧に謝った。

ホントゴメンネとショーネンもまた謝ってしまう。

前も見ないで外に出たジブンが悪い。

最近、この辺りの子供達は、皆どこの子もとても礼儀正しい気がする。

気のせいだろうか。

なんかおかしい。

中学は反対方向ではなかったろうか。それと、あの子はもう遅刻しているはずだ。

どうでもいいか。

駐車場のベンチは眼の前にあった。

まったく気が付かなかったのが不思議でしょうがない。

入り口のフェンスの裏に、ペンキが禿げた赤いベンチが見えている。

四角いスタンド付きの灰皿もある。

なぜ車から出た時に気づかなかったのだろうか。

見えていない。

スコトーマっていう奴だ。

そこにあるのに、意識が反応していない。認識しなければベンチはないのと変わらない。

中学がどの辺りにあったかをハッキリと思い出せないのもそのせいだ。

その情報は重要ではないと勝手に脳が判断している。

日頃ボンヤリと暮らしている証拠だ。

利根、コカコーラボト、リング株式会社か。

座面は乾いている。周りの雑草が伸び放題に荒れているが、座るには問題ない。

このくらいなら、ベンチをどけて刈払い機でブンブンやれば、雑草をスッキリ刈るのに2分もかからない。

砂利が跳ねて、刃が少しかけるだろう。

殺風景になるより、このまま伸び放題の方がいいのかもしれない。

吸殻入れの中に綺麗な水がはってある。

ショーネンはコーヒーをベンチに置き、灰皿を少し動かし落ち着かせると、立ったまま煙草に火をつけて、向かいの通りに眼をやった。

町はもう動いている。

保母さんだけ乗せた、保育園バスが通り過ぎて行くのが見えた。あの道を信号まで行って、大通りを左に曲がって20分も行けば歴博に着くはずだ。

自転車に乗ったスーツ姿のオトコが後ろを振り返り、十字路を斜めに横切って駅の方に消えて行く。

ゼイゼイと荒い息が近づいてくるのに気づき、路地を見ると、舌を出した二匹のパグに引っ張られて、エプロン姿のオバサンが歩いていた。

チラリともショーネンを見ない。

彼女には、喫茶店の客が煙草を吸っているいつもの風景なのだろう。

ショーネンはコーヒーを手に取りベンチに座ることにした。

フクラハギに雑草が当たり少しこそばゆい。

ブロック塀の上の三毛猫が、うずくまった姿勢のまま、ショーネンをジッと見つめている。

ススけたあの建物がアイツの住処か。

デカイ排気口がある。あの店は中華の食堂か焼肉屋のようだ。三階は寮になっているらしい。スリガラス越しに洗濯物の影が見える。

うっすらと懐かしい匂いが何処かからする。

豆腐屋の匂いだと思う。

重たそうなタイヤの音と荷台が軋む音が通り過ぎていった。

地面が少し揺れた気がする。

エースケさんが言ったとおり、コーヒーは美味かった。

後頭部から背中にかけてジンワリとカフェインが広がる。

香りが心地良い。

太く煙草を吸う。

誰に遠慮することなくこうやって、吸いたかったから外に来た。

どうしても周りに人がいると気を使ってしまう。

ユックリと煙を泳がせ、ショーネンはその満足感に浸ったろうとした。

たしかにこれじゃ、20世紀のまんまだ。

まさにニコチン中毒だ。

ホッと出来る場所がないから一服する。理由はそれだけなんだけど。

キチンと生きている人達には多分、理解のしようがない言い訳になる。

また考え過ぎている。

ショーネンは駐車場の隅の雑草に眼を移した。

ナガミヒナゲシが壁に沿って咲いている。

ポピーに似たオレンジ色のこの雑草の名前を教えてくれたのも、たしかエースケさんだったはずだ。

カリフォルニア・ポピーのミニチュア版みたいなこの花が好きだ。

いつ頃からか当たり前のように何処にでも咲くようになった。

ナガミヒナゲシから阿片は作れないらしい。

そんな簡単だったら理系のトンチンカンが毎年捕まってるだろうがと、エースケさんに大笑いされた。

中毒性のないモルヒネみたいな何かがあったら、日本にも売っていればいいのにと思ったりする。

酒か。

酒は頭がヌルくなるからあまり好きじゃない。中毒性も勿論ある。

三毛猫が眼を閉じている。

ショーネンも眼を閉じ、コーヒーを多めに口に含んだ。

温かい。

エースケさんはナガミヒナゲシの絵を描いたことがあるのだろうか。ヤスオさんの描く異世界に、ナガミヒナゲシが広がっていたらカッコイイはずだ。

絵なんてただ描けばいいんだと言われても、そう簡単にはいかない。

最後に絵を描いたのは病院でだ。

描いたのではなくて描かされた。

何枚描かされたのだろう。

木とか、家とか、家族とか。テーマがもっとあったはずだが思い出せない。

絵画療法とはよく言ったものだ。

絵を見ると心理状態が分かるらしい。別にリハビリや治療が目的で描かされたのではない。

今はそれが良く分かる。

学生の教材にでも使ったんだろう。

症状の説明のあと、スライドが投写され、学生達が細かいシャーペンの文字でメモを取る。

隔離病棟は患者のための施設じゃない。

毎週、部長先生を先頭に大勢でオレたちキ印を見学に来た。

同室の爺さんが大名行列と呼んでいたが、まさにその通りだ。

カルテを読んで、ああだこうだ言って回る、白衣の大名行列。

アイツラ全員、殺してたらどうなってたろう。

北野映画みたいに、マシンガンでダダダダダと、唐突に、ダダダダダダダと。

いや、コメディータッチのほうがいい。

嘘くさい血糊がネクタイと青白い白衣を間抜けな赤に染める。

それがいい。

マシンガンの音を聞きつけ、恐る恐る入り口から顔をだし、覗き込む、ピンク色のナース服を着た生真面目そうな看護婦達。

同室の老人二人が放心したまま、お互いを見つめ合う。

痴呆のジジイが突然、我に帰り、点滴と尿道カテーテルを引きちぎる。

ベッドの上に立ち上がって万歳三唱をし始める。

なぜか皆、看護婦も一緒に万歳をする。

警護に常駐している介護助手のオトコ達も万歳をする。

バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ。

シーンが変わる。

青空だ。

間抜けな遠巻きの画面がいい。

大量殺人者のオレが、寝間着姿の患者達と看護婦達と介護助手に、屋上の芝生で胴上げされている。

遠くに響く「バンザーイ」の声。

何かあったのかなと、建物をボンヤリ見上げる、清潔な装いの医学生達。

青空のカット。

飛行機雲。

またどこかで響くマシンガンの音。

エンドロール。

金獅子賞ものだ。間違いない。

ベネチアでこれはウケないか。

インデペンデント・スピリット賞とかなら獲れるかもしれない。

文化人には分かりゃしない。

ただ単にバカバカしい、そういうモノの価値を理解できる奴が文化人には少なすぎる。

笑う意味もない、笑う気も起きない、渇いたバカバカしさ。

疲れている時は、そういうモノが見たくなる。

患者は薬漬けで、性欲も抑制され、無気力で無力だ。

煙草の味も分からないチェーンスモーカーのゾンビ達に、出来ることなんて何もない。

マシンガンなんてバカバカしすぎてネタにもならない。

アホくさい。

医者と学生のために隔離された標本。

モルモット達に出来ることなんてない。

日本に革命なんて起こらないし、必要もない。

日本人は自分で自分を抑圧する人種だ。

誰も変化なんか求めていない。

エンドロールの音楽は何がいいだろう。

子供の頃の美空ひばりとか、江利チエミあたりの声は狙いすぎか。

何か温かい声の歌がいい。

アンパンマンのテーマもいいかもしれない。

青空に飛行機雲だ。

アンパンマンのテーマがピッタリと馴染むはずだ。


つづく。



ありがとうございます。