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「お連れ様」って響きが嬉しい

朝が弱い志賀が少しだけ頑張って早起きをした休日。
志賀は友人様と一日『デート』をした。(なんで友人同士なのにデート?という問いかけについて別のnoteで記すとして。)
本日はそんな一日の中考えたことを記していくnote。

※ちなみにこの日は本当に特別楽しかったし、たくさん考えさせられた。だから本当にたくさん書きたいことがある。志賀のnoteはこの日の話題で溢れること間違いなく(6本の記事が出来ている)、マガジンにもする予定だ。

さて、話は少し変わって。
志賀は自分と親しい人の関係性について他人に判断されることを極端に嫌う。だからこそ、関係性の名前をものすごく気にするし、簡単に「友達」とか「彼氏」とか、そういう呼びかたをされると困るなと思う。なんでそんなに頑ななの?という指摘もあるのは承知の上で、それでもやっぱり気にしてしまうのだ。

で、その日の問題は志賀の友人さんが男性だってことだ。
世間には異性と二人で出かけるのは「そういう」関係(恋愛的)だって判断する人もいるわけで、志賀はそういう風潮が大っ嫌いなんだけど、気にしなければいいのだけれど、ああ、きっとなんか思われちゃうのかな、ていうか思ってるのは仕方ないからいいけどさ、頼むから私達の前で言わないでよ、なんて考えちゃって。

少女漫画で洋服を選びに来たまだ片思い同士の付き合ってない子たちに「彼女さんとってもお似合いですよ~」とかやるやつあるじゃないですか。そういうの求めてないからこっちは、みたいな。いや、そういうシーンを否定しているのではなくて、それを私達にあてはめないでねって思うって話なのだけれども。

志賀は男性と二人で遊びに行くことも多い人で、前にも似たようなことがあって、ぴきっと顔が引きつったことがあるので、あー考えないようにしよう…と思っていたりした。

そしたら、意外というか、そんなに気にすることもなく過ごせてしまった。
もしかしたら、アパレルの店舗ではどこでも「お連れ様」って言い方が教育?されているのかもしれないけれど、むしろそうならそうやって決めた人を尊敬する。感謝しかない。

志賀の友人さんを「お連れ様」と呼んでくれて、志賀の気持ちはだいぶ楽だったし、友人さんにも気兼ねなく話しかける事が出来た。試着した服が変じゃないかとか、似合うかどうかとか。幸せ。考えないってこんなに楽なんだなあって感じてしまう。

一番嬉しかったのは買い物の休憩中、友人さんに「店員さんがお連れ様って呼んでてくれて嬉しかったです…!」って話したら「俺も嬉しかったかも。「はい、連れです」ってなれるし笑」って笑って共感してくれたこと。
同じ感覚だ~って嬉しくなってしまった。そうなんだよね、『連れ』なんですよ。僕等の関係性自体は僕等さえ分かっていればいいし、今ここに一緒にいる連れだってことさえ分かれば他のことは必要ない。

その人たちがどういう関係かなんて、本人たち同士を含めて、誰にも勝手に判断する権利はないし、だからこそもしかしたら解釈違いが起きてしまう事があるのかなと思う。だから、そういうのを極限までなくせる表現っていいなと思う。

「多様性社会」なんて言葉で片付けてしまえば一瞬だけど、実際、本当にたくさんの異なる価値観を持っている人達がこの世界にはいて。日々形を変化させながら生きているんだろう。でも、どんな人でも誰か大切な人を想っているに違いない。
それを無意識でも、意図的でも変に揶揄してしまいたくない。本人達が一番で、大切に出来るあり方を考えられているのなら、それでいい。そして、少なくとも、志賀と友人さんはそういうあり方を出来ていると思う。…いや、友人さんにも聞いてみないと正確なところは分からないけれど。

だから、結局何が言いたいかっていうと。
「お連れ様」って呼んでくれて嬉しかった。安心した。
こんな風に誰かと出かける事や笑い合う事に、必要以上の視線の意識や不安を持たずにいられる社会がもっと広がって行ってほしい。
そういう社会になるように、自分も何か出来たらと願う。

というわけで。
本当にたくさんの部分が異なる価値観で出来ている私達に、そんな私達が集まっているこの『多様』な社会に、今日も一日祝福あれ。


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