見出し画像

「地域おこし協力隊」という名前がもつ光と、その光が必然的に引き寄せる闇の話

名は体を表す。「地域おこし協力隊」という名称のわかりやさ

モノには名前があります。商品を売りたいなら消費者がその名前をみてすぐに商品を理解できる必要があり、小林製薬の商品の名称はそのわかりやすさと「名が体を表すぶり」がネットのネタにもなります。

「地域おこし協力隊」という名称はどうでしょうか?個人的には「めちゃめちゃわかりやすい」です。考えた人は天才じゃないでしょうか。

地域おこし協力隊に含まれる「地域」という言葉が発明だと思います。この地域は身もふたもなく言ってしまえば、「地方」であり「田舎」です。「地方に行く」「田舎に行く」だと都落ちな薄暗いイメージがありますが、「地域に行く」だととたんに「積極的な選択感」が出るように感じるのは私だけでしょうか?

地域おこし協力隊制度は、いわゆる「地方創生」とつながる制度です。ですから「地域」ではなく「地方」というワードを選択する余地もあったはずです。

そして「おこす」というのも「興す」でしょうし、その場所を元気にしていく前向きなイメージがあります。各地においてイベントなんかをやって話題になれば、成功した「町おこし」事例といった形でニュースになることもありますので、エリア名+おこす、という用法は一般的なんだと思います。「町おこし協力隊」でも良かったはずです。

ただ、町おこしだと「市町村」という行政単位において、市はどうする?村はどうする?なんて話で議論になって、地域になったのかもしれません。ただ、何にしても「地域おこし」となったことで「自らの選択でこの地域を元気にするぞ」感があります。

そして最後の協力隊。「手伝いますよー!」感が満載です。ですので、「地域おこし協力隊」という名称には、少子高齢化と過疎化が進む地方自治体において、都会の若者が都会のおしゃれなスキルと感性で地域をハックしてアップデートするために、めっちゃ協力しますよ!そんな雰囲気がします。

私が8年前(この町に関わる1年前に別の町から協力隊関連のプロジェクトに少し関わっていました)に、この言葉を聞いたときに、キラキラした光と「これはいろんな人が地域に行きたくなる」「地域を選択する若い子が増えそうだ」、そんな感想を持ったことを覚えています。

その感想を持ってから8年が経ちます。光の強さは変わらないのかもしれませんが、その光が照らす闇の側面が表にでる機会が増えてきたように思います。キラキラに引き寄せられ、地域に入ってみて「何か違う」と闇落ちしてしまった元協力隊(現協力隊もいるかもしれませんが)の心の叫びがnote上にも散見されます。

私がこのnoteを書いてみようと思ったきっかけは、そういう心の叫びを秘めた協力隊の皆さんとたくさん対話する機会があったからです。そして多くの場合は「最初に知っていればそうならなかったのでは?」という地域に入る側の話と、「地域に入れる側がしっかり準備しておく必要があるのでは?」という地域側の話があると感じ、どちらか一方ではなく両面から「フェアに考察できるのではないか」と思えたからです。

名を体を表す。「地域おこし協力隊」という名称が引き寄せる闇

先日書いた記事で地域おこし協力隊の周りにある3つの関係性について述べました。「ミッション」「行政(職員)」「地域」です。この3つの中で「地域おこし協力隊」という名称にも含まれているのが「地域」です。ですので、この名称は必然的に「地域との関係性」に影響を与えます

地域に入る「あなた」と「地域」はどんな関係性が理想でしょうか?会社などの組織で上司と部下、社長と平社員など役職上の上下関係があるような場合でも、人と人の関係としては対等であるべきです。そうでなければ自然と「上は下に何を言ってもいい」といった「パワハラ」など各種ハラスメントのの遠因になってしまいます。

地域との関係は対等であるべき

なのですが、そうなりそうでしょうか?地域おこし協力隊という名称は「地域を起こすため」に「協力しにいく」ということを連想させます。

つまり、地域おこし協力隊として地域に入った瞬間からあなたは「地域がより良くなるために何か協力する人だろう」と地域の人に思われてしまいます。「何をしてくれるの?」という疑問を投げかけられ、「興すためなら、これくらい協力してくれるんだろ?」、そんな風に何かをお願いという体裁でありながら半強制的に「手伝わされる」。そんなことが起こってもおかしくありません。この積み重ねが協力隊と地域の間を引き裂き、闇へといざないます。

地域が上、というよりは「私(協力隊)が下」となりがちです。

もちろんツワモノもいます。「地域のために」までは一緒ですが、「行ってやってるんだ」、自分は都会にいて田舎にないものを持っているんだから「協力しに来てあげたんだ」と思うケースもあります。

「私が上」、つまり「地域に歓迎される(はず)」という前提です。

さて、どちらが勝つのでしょうか?日本でもサッカーがプロ化して以降「ホーム&アウェイ」という概念が浸透しましたが、ホームとアウェイではホームの方が勝率が良いようです。協力隊としてあなたが乗り込んだその地域はあなたにとっては「アウェイ」です。しかも「単騎」です。かなりの勇者です。

その状況に打ち勝つだけの「圧倒的な武器」はあなたにありますか?

すごく厳しいことを言うと、その武器があったら「都会で勝負」してるのではないでしょうか?

私はゲーム会社のプログラマーでした。その後モバイルのWebサービス開発会社でディレクターとしていくつものプロジェクトに関わり、プロジェクトマネージャーとしても大きなプロジェクトを切り盛りしてきました。フリーになった後も順調に仕事はいただけて、都会で暮らすことになんの不自由もありませんでした。

でも、私は「地域おこし協力隊として一人で乗り込んで成果を出すのは難しい」と感じていました。それは私のスキルが地域の中ですぐに生かされない。単騎で発揮できる能力ではなく、チームがあって生きる能力だからです。

なので、現在のように「行政から委託を請ける会社の中で各種プロジェクトを推進する」立場で仕事をしています。

そのように「自分の武器を見極める」ことが必要です。そのうえで「全然余裕」なら、地域の中にどんどん切り込んで自分の旗を立てることができるでしょう。でも、ほとんどの人はそうではないのではないでしょうか?

あたなと地域の関係は対等であるべきです。でも、そうなりにくい。それは地域おこし協力隊という名称がイメージさせる、圧倒的な「地域のためにお手伝いします感」が一役かっています。地域おこし協力隊として地域に入るのであれば、あなたはそのことをしっかり理解して地域との関係を作っていく必要があります。

武器を持たない普通の人は地域おこし協力隊になってはいけないのか?

武器がないなら戦えない、そういう側面はありますが、それだけはありません。事前に理解しておけば回避できることもありますし、地域によっては「単騎」にならないですむ仕組みが用意されているところもあります。(ちなみに私たちが関わる地域はそういう地域ですよ、という話にそのうち持っていきます!)

「敵を知り己を知れば百戦あやうからず」、地域を知り己を知れば、ということです。そして己を知るとは、地域をおこす前に、まずは「自分をおこす」ということです。

あなたは起きていますか。あなたを興せていますか?それなくして地域をおこせると思うなら、それは己が見えていない。目が覚めてない。起きていない。そう思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?