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ずっと苦手だったはずの読書が、最近は楽しい

こんばんは。
書きたいことや思いはたくさんあるのに、
完全に書くチカラがボトルネックに
なっています。笑

いやーぁ、書くって難しい。
頭の中の考えと、心の中の思いは、
きちんと分かっているつもりなのに、
しっくりくる言葉を綴るのが
こんなにも難しいとは。笑

書くチカラが足りない理由は分かっている。
子どもの頃から、活字が大の苦手だったから。

noteを見ていると、読書好きな方が多くて
「それはそうよねー」と思うと同時に
同じ場で書こうとしている自分が
恥ずかしく思えてくることも多々ある。

活字嫌いになった理由を
自己分析してみた結果、
大きく2つあるのではないかと思っている。

1つ目は、劣等感。 
父がかなりの読書家で、
実家のリビングは壁一面が本棚だった。
もしも地震で倒れてきたら、
間違いなく圧死する重さだと思う。

その影響があったかどうかは知らないが、
年の離れた兄も、本を読んでいた印象がある。
大学生の兄が、のめり込んで読んでいる
小説があれば、気になって読んでみるけれど、
こちらは小学生。
「この本の面白さが分かる兄」と
「分からない私」の差を感じ、
私ってだめだなぁと思っていた。

中学生になっても、本に興味を示さない
私を気にして、父が、読みやすいから、と
勧めてくれた本は、遠藤周作の「女の一生」
正直に言う。難しくて4ページで閉じた。

映画の原作や、ベストセラー小説のような
流行の本に興味を持った時期はあるけれど、
家ではミーハー扱いで
「平積みにしか興味を持てない私」と
「本屋にない本を取り寄せている父」を
比較して、あぁ、読書は向いてないんだな、と
自分に烙印を押してしまった。

劣等感ってプライドの裏返しみたいなもので、
劣ってる自分を認められない
弱さだったなと思う。

理由の2つ目は、三半規管の弱さ。
え、関係ある?と思われそうだが、
私にとっては大アリだ。

幼い頃は、市内のスーパーに向かう
たった5分のドライブでも車酔いしていた。
車の中で文字を読む、なんてもう最悪で、
地図の地名も、道路際の看板も、
すべて見ないようにしていた。

逆に、一番効果的なのは、
目を閉じて寝てしまうことなので、
乗り物に乗ると、毎回目を閉じて
「眠れ眠れ眠れ」と念じていた。

そんなわけで、
「活字=酔う」「乗り物=寝る」が
染みついてしまったのだと思う。
学生時代の貴重な通学時間(片道1時間半)も
ほぼ眠って過ごした。

大人になって、語彙力が増えても、
昔ほど乗り物酔いしなくなっても、
読書は習慣にならなかった。

少し仲良くなった人が
「本を読まない人とは友達になれない」と
言っていれば、そっと距離を置いたり、
誰もが知っているようなベストセラーの話題に
ついていけず、愛想笑いでやりすごしたり、
ちょっと寂しい思い出もある。

心の奥の奥のほうで、
ずっと、コンプレックスに感じていた。

ところが最近、モラトリアムに突入してから、
自発的に本を読んでいる。
特にきっかけはない。
誰に何を言われたわけでもなく、
ただぼんやりと、本を読もうかなと思い、
読んでみたら意外と面白かったというだけ。

ここ2か月で、だいぶ習慣づいてきて
読みたい気持ちと、読みたい本があることが
とても嬉しい。

ときどき、本の中で読書に対するハードルを
下げてくれるような言葉に出会うと、
これ、とっても大事!!と強烈に共感してしまう。笑

高尚な本でなくてもいい、
合わなかったら最後まで読まなくてもいい、
まずは自分に合った本をみつけて、
「楽しんで」読むことが始まりだと思う。

書くことも、きっと同じ。
スキルが追い付いてくるまでは、
表現したいことを表現しきれなくても、
流れが美しくなくても、
まずは「楽しんで」書いてみようと思う。

これまで圧倒的に活字に触れてこなかったし、
すぐに立派なクオリティのものは出せっこない。

書きたいことと書きたい場所はある。
楽しみながら、少しずつ成長していこう。

見つけていただいて、 読んでいただいて、ありがとうございます。