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経験していないあなたにはわからない、じゃ寂しすぎる

私がフォローさせていただいている綿生しあのさんが、ご自身の病気について、その詳細を記事にされていた。

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病気の概要(まだまだ解明されていないことが多いそうなのだけれど)と、ご自身の経験談、病気とともに日々をどのように過ごされているのか、考えているのかについて書かれている。

原因不明の病に襲われる不安。
この記事からも伝わってくる壮絶な痛みと疲労感のある毎日...。

こうやって書くと私がいかにも病気について、症状の苦しさについて良く分かったかのように聞こえるかもしれないが、とても辛いであろうということ、とても不安な気持ちであろうということを「推測」すること、「慮る」ことしかできない。簡単に軽い気持ちでその病気の辛さに対して共感したり、分かったということはできない。



そしてその辛さ、苦しさを比べることはナンセンスなことだけれど、私にも、とある持病がある。

今はなんとか日々仕事をしたり育児をしたりできているが、一時期は不安と苦しさ、先の見えない毎日で灰色の日々を過ごしていたのだった。

同じ病気の方の書かれたブログを読んだり、ブログを通じて治療や症状についての情報交換をしたり、励ましあったりしていた。

もちろん同じ病気であっても、その症状の度合い、また本人が感じる苦痛の度合いは様々であったが、それでも同じ苦しさと闘っている人がいるのだと思うだけでとても救われた。

一方で落ち込む私をなんとか励まそうと、その病気にかかったことのない周りの人たちは、なにかと優しい言葉をかけてくれたり、辛いでしょうと言ってくれたりした。

が、

「あなたに何がわかる?この辛さはなったことのある人にしかわかんないんだよ!!!」

と怒りの気持ちを浴びせたことも多々あった。
自分だけが悲劇のヒロインのような感じで。

たしかに、どんな経験であっても、それを実際に自分が経験してみなければ分からないことだらけだろう。

でも、

だからといって「この辛さはあなたには決してわからないと思う」とか「私にはあなたの苦しさはわからない」といって分断してしまうのは違うと思うのだ。

そして、その真逆である「うんうん、すごくその辛さわかります〜」と安易に分かったつもりになるのも違う。

わからないけれど、それでも話を聞く。
それに対して何のジャッジもせずにたた話を聞く。

さらに一歩踏み込んで、その人がほんとうに困っているなら、自分が何を助けたらいいのか、何をして欲しいのかを聞いてみる。

人により、また相手との関係や距離により出来ることの範囲は違ってくると思うが、そういう姿勢、考え方で困っている人、病気で苦しんでいる人は気持ちがとても楽になるのではないかと思っている。

***

そして、私は病気も含めた日々の生活について、しあのさんが考えておられることがとても素敵だなと思うのだ。

最初の頃は病気のことも前に出していましたが、自分のアイデンティティが病気になっていくような気がしてやめました。私という人間が病気なのであって、病気の中に私が存在するわけではないからです。それに、病気をアッッピーールした状態で文章や音楽を褒めてもらっても、モノ自体を見られていない感じがするというか、「病気」と言う下駄を履かされてる感じがして(これは私の元々の性格も関係あると思います)。


もちろん、「何かしてあげたい」「力になりたい」と思う気持ちとても素晴らしいです。病気の人にしてあげられることは、何も直接的に病気に関わること、「治してあげること」だけではありません。電話やメッセージで話を聞いたり、手紙を書いてみたり、マンガを貸してあげたり、全然関係ない贈り物をしたり、お菓子をあげたり。関わり方が難しいと付き合いを避けたくなるかもしれませんが、闘病とは実に孤独なものです。あなたの「気遣い」を伝えてあげること、「一人じゃないよ」「繋がっているよ」と、心で寄り添い、安心させてあげることが大切なのではないかと思います。

私が多くを語ろうとすると、どんどんその本質からかけ離れていってしまうような気がして、ただただ私が書けることといったら、

しあのさんのこの記事をぜひ読んでください。

ということくらいかもしれない。
紹介文を書こうとして紹介文になっていない私の文章力の無さを悔いる。
ぜひしあのさんの記事を読んで欲しい。

(表現が適切でない部分があり、一部書き直しました。)

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