見出し画像

ボードレール『月の悲しみ』訳してみました|フランス詩🇫🇷

今宵
月はひときわ けだるげに
夢を見ている
さながら
あまたのクッションを散らしたなか
美しい女が
眠りにいざなわれながら
うつけたようなたおやかな手で
胸のふくらみを
そっと確かめるように

ゆるやかになだれる繻子サテンを背に
彼女はまさに息絶えんばかり
夢うつつたゆたいながら
視線をさまよわせる
ほの白い幻が
花開くように
蒼天へと上っていく
その先へ


時おり、虚しき憂いのあまり
ひそやかな涙をとどめえず
この遊星ほしへとこぼす
すると、眠りに仇なす詩人が
うやうやしくそれを受け取る

手のひらのなか
その青ざめた涙がいつしか
虹を散らすオパールの
かけらとなるまで
そしておさめてゆく
太陽の両のまなこも届かぬ
彼の奥深い場所へと


🌙 フランス語の原詩


Tristesses de la lune


Ce soir, la lune rêve avec plus de paresse;
Ainsi qu'une beauté, sur de nombreux coussins,
Qui d'une main distraite et légère caresse
Avant de s'endormir le contour de ses seins,


Sur le dos satiné des molles avalanches,
Mourante, elle se livre aux longues pâmoisons,
Et promène ses yeux sur les visions blanches
Qui montent dans l'azur comme des floraisons.


Quand parfois sur ce globe, en sa langueur oisive,
Elle laisse filer une larme furtive,
Un poète pieux, ennemi du sommeil,


Dans le creux de sa main prend cette larme pâle,
Aux reflets irisés comme un fragment d'opale,
Et la met dans son cœur loin des yeux du soleil.


🌙 朗読

この動画にしたのは、BGMにピアソラ「オブリヴィオン」を使っていたから。フランスのアコーディオン奏者ダニエル・ミルによるアレンジです。バンドネオンではないところがフランスらしいかも·͜· ♡


🌙 訳してみて思ったこと


今回は途中でかなりつまずいてしまいました。

  • 西洋詩に見られるコンマやピリオドなど句読点の扱い

  • そもそも、14行の体裁に揃えるべきかどうか

  • 三人称の詩が初めてだったこと。(一人称小説が書きやすいように、一人称の詩も訳しやすい?)

  • 連の切れ目と意味の切れ目が一致していない問題。(第3、4連)

  • フランス語(や英語)→日本語にすると冗長になる問題。井上ひさしさん曰く、西洋の劇を日本語上演すると2〜2.5倍の所要時間が必要なのだとか。

そして、最大の問題はこちら。

第3連 ≪ sur ce globe ≫
地球/球体 の上 で/に

4通りの解釈が考えられ、迷ったので、『悪の華』サイトの英訳版を拝見。タイトル(=主役)が月という点からも、涙をこぼしているのは「月」で、訳は「地球の上に」でよさそう。

辞書を片手に大まかな意味をとりながら、この sur ce globe まで来たときに、フェルナン・レジェのこの絵を思い浮かべた私は、女性が胸の上に涙をこぼしたということなのかなと錯覚。
パーツ取り外し可能?なレジェの女体のうち、お胸を球体=地球、のサイズに見立てるなら、全身は相当巨大です。ははぁ、これはきっと、ギリシャ神話に出てくる古い時代の巨神ティターン一族の、月の女神セレーネーの比喩ね♡ と妄想も膨らみます。irisé は、同じくティターンの虹の女神イリスで、最後に出てくるsoleil / 太陽は、ヘリオスのことなんだわ。

太陽の神というとアポローンが有名ですが、こちらは新しい世代の神で、人間とそんなに変わらないサイズ。予言や医療、スポーツ、恋愛&恋愛...などに忙しい日々を送っておられるのですが...。ヘリオスの方は、太陽そのものに近く、半日かけて空をめぐり、地上の物事をじっくり見ている神さま。地上の出来事はたいてい何でも知っているという設定で、アフロディーテとアレースの密会を告発、大騒動となりました。その腹いせに、アフロディーテさまは・・・(略)

それはともかく、なんでもつぶさに見ているお日様ヘリオスの視線でさえ届かない詩人の心の内側というのは、おそらく相当に深いということなのでしょう。それこそ、ボードレールが暮らしている?深淵タルタロスみたいに。

それにしても、この第3連は、「月」と「美女」を代名詞 elleで表せるフランス語の特性を利用した、悔しいくらい巧妙な造りをしています。美女のことだと思って読んでいたら、月のことだったのかとわかるようになっている。さらにいうと、美女が昇天して月から涙を流しているとも読めますし...。
どう日本語に置き換えるのか、主語を明示するなら月/女どちらにするか。原文のまま「彼女」なのか。

ボードレール氏からの挑戦状か? などとぼやきつつ、最終的には、日本語の特性・裏技ともいうべき《主語の省略》を、対抗措置として取らせていただきましたが。書いては消し消しては書き──ひたすら悩まされ続けて・・・とても愉しゅうございました(笑)
正解はひとつではなく、どの選択肢でもそのように読めるのが象徴詩の良さなのかもしれませんね(◔‿◔)


この詩の中に垣間見えるエロスですが、この場合はそのものの描写を意図したわけではなく、エロスというものの持つ、身体のより深いところへ運び込む作用を使ったということなのだろうと思います。生体によくなじむので。
ドロドロから優美なものまで様々に描き分け(使い分け)なさるところも、心憎いですね。



麗人の死に涙する月、それを余さず受けとめ、豊穣なる輝きに変える詩人。
詩論のような、讃歌のような、愛のような一篇。
何かの完成形を見たようで、厳粛な気持ちにもなりました。


タイトル画像は、Marat Valiakhmetov様@stock.fotoです。
詩の手ざわりで選びました。

この記事が参加している募集

海外文学のススメ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?