見出し画像

ことばにまつわるひとりごと|Valentine Day に



私という存在が
どこにもいなくなるまで、完全に
透明になりたい、と思う

もとは私だった空っぽの器に
流れ込んでくる想念を
摩擦まさつなくそのまま
ことばにできるように

そのために
あつかえることばを増やしたい

フランス語もそう
文語もそう



いつか無になりたい
それは
私が「あなた」に還ること

「あなた」はだれなの
あなたの名前は
「ことば」なのかな

無性に愛おしいもの
心から焦がれるもの

そんなに好きな自分が
なんだかおかしいけれど



たまに出会う
ことばがあまりにも好きな人
ただただ好きなんだ
そう言いたいがためにことばを使う人がいる

たいていが詩人さん

でも、詩人と呼ばれる人の中にも
稀にしかいない
本当にごく一握りの人

自分の「想い」や「大切なもの」を伝えるツールとして
ことばが好きなのではなく

ことばが美しいものであり
自分にとって好ましいから好き
というわけでもなく


敬虔な優しさで
恋人を抱くように
ことばそのものを
慈しむ人
恋うる人
慕う人

恋人を前に
自分を手放して
明け渡す人


優劣、良し悪しの話ではなく
個人的な好みとして
私はそういう詩人さんが好きだ

…で、
そう書きながら思い浮かんだのは
やっぱり原民喜さんかなあ…

あまり読書量が多くない私のことだから
当てにはならないけれど


彼の詩を読んでいると
ことばそのものが好きなあまりに
《僕》が
《自我》が
透明になってしまった人
のような感じがする

けれど彼の場合は
奥様を亡くして
追慕するようになってから
どんどん透明になっていったから

書いている間だけ現前する奥様を
感受するために
自分を消していこうとしたように思う

そう思うと
つまりは慕う人がいて
その人と渾然一体となった
ことばというものを愛したということなのか──



堂々巡りなのだけど
「あなたはだれ」
と夜の底で問うような

壁に頭をもたせかけて
ふと泣きたくなるような

家に帰ってきたのに
どこかに帰りたいような

そんなふうに
「ことば」を
「あなた」を
好きでいたい 私です



🌸🌸

ネルヴァルの気持ちもわかる気がして

理想の女性...というとステレオタイプだけれど
聖性母性をあわせた女性性みたいな神秘的な存在を
ずっと心に秘めて詩や物語を書いていたという彼
現実の女性に重ね合わせることもあったけれど
もちろん生身の人間のことではないから
そういった
神秘と合理性の狭間で
最後には自ら命も絶ってしまった

ボードレールはちがって
彼はそういった存在があったらいいなと願って
いくつかの詩にもしたけれど
それは理想ではなく仮定であって
存在しないことをはっきりと知っていたように思う

どちらが幸せなのだろう


🌸🌸

「今も未来も守るべきもの
 それは日本語です」
(ドナルド・キーン)

うれしいお言葉でした。

私はたまたま日本に生まれたから日本語が好き。
他の国に生まれていたら、その国の母語に惚れ込んでいた。
キーンさんだって、
みなさんだってそんなことわかっていると思うけど
そう言わずにいられないのは、世界平和のためです。
自分の母語を、ことばを大切にしているその人を、私も大切に思うから。
日本語だけじゃなくて
すべてのことばが"特別"なんだと思う。


詩を読むとわかる、母語/ことばへの愛おしさ。
英語とフランス語を辛うじて読める程度だけれど
ことばの美しさ、キュートな魅力や
セクシーさを
いかにして表現するか、には
みんな腐心している

わかるよ、たぶんそれは人間愛にも
人類愛にもつながるよね、
なんて思いながら

人間なんて大っ嫌いだ、って
ことばを尽くして叫ぶ
その行為自体に否応なく宿る
人間愛にキュンキュンしながら

ことばを使う以上、
なにもかもがつまりは愛なんだって
当然知っているくせに
天地に向かって
く〇くらえなんて
よくも仰いますねって
くすっと笑いながら
ほだされたり

うましきダブルバインドに
まんまとかかる
この逸楽の心地よさよ
なんてうっとりしてみたり


\キャー/ってみんなを
ハグしたい衝動に駆られながら


バッハ好きの人が
国境を越えて
バッハ愛を共有したり
野球好きの人が国境を越えて
野球熱を共有したり
そういうのと同じように

私は私の好きな「ことば」を
好きだー♡
と言っていたいし
国境を越え時空を越えて
ことば好きな人とつながっていたいと
真摯に
敬虔に
そう思うのです。

それには学びも必要だけど
意外と学びすぎもよくないのかな
なんて、怠惰の言い訳
享楽の言い訳もしつつ
(享楽とは愛の再確認の営みなのかも)

どこに着くかもまったくわからない我が道を 
時々踏み外しつつ
歩いていこうと思います。
空っぽを、目指して。




ネルヴァルを敬しボードレールにツボる(駄文です🙇)


ネルヴァル『シルヴィ』読みました。
同時に、たまたま目についたボードレールの散文詩(ほぼショートショート)「気前の良い賭け事師」も。

このふたつを比較する是非はさておき。

ネルヴァルがロマン主義だというのがすごくよくわかる。まさにロマンスが主題で、語り口も抒情的。ヴァロア王朝など"伝説"的なものへの追憶、憧憬。主人公の前に現れる3人の女性たちは、生身なのだけどどこか幻灯のよう。深入りを避けた恋のようでもありましたが、女神然として気高いご様子も垣間見せる乙女たちだったので、敢えて踏み込まないことにした崇敬も漂っていました。神秘や幻想がまだ辛うじて生き永らえていた時代。そしてこのロマンスなら、なるほど、どこの紙誌に載せるのでもいけそう。

ボードレールは、サタン大王と賭事して負けが込み、魂をすっかり売り渡してせいせいしてるの(笑)「名刺を落としたほどにも悄然としない」
最後は、意外と親切なサタンに目をかけてもらって家に帰り「神様どうかサタンが約束を守ってくれますように」と祈りながら眠りに就く...詳述はしませんが、自虐と風刺の効いた洒落っ気に沼るストーリーでした♡
(合理主義が進んできたから)神様も悪魔も人間じみて変に去勢されてる感じも絶妙で、とにかく隅々まで描写が的確で明晰で心憎いの。たまりません♡

プルーストは『シルヴィ』にツボったそうですが、私はシャルル君に一票!です。



写真にたとえると、ネルヴァルは撮ってからふんわりぼかした感じ。ボードレールは思いっきり振り切るほどハイコントラストに仕上げた感じ。ものすごくクリアで観念的。都会っ子ですねえ。悪の華を読んでいても思うけど、情念と観念の両極に振り切ってて感傷がないのね。ネルヴァルは、その合間を埋めるような抒情とか懐古、情感がたっぷり。

好みの分かれるところでしょう💓


この記事を書くの
あー楽しかった☆



ではみなさま、

Joyeuseジョワイユーズ Saintサン Valentinヴェロンタン !
心弾むバレンタインを•*¨*•.¸¸♬

ブグロー『キューピッドと蝶』(L'Amour au Papillon) 1888年
《愛》が《魂》をそっと優しく捕まえる、この寓意画が大好きです。

この記事が参加している募集

沼落ちnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?