身体感覚から考える~どう生きたいか
この3連休で、渋谷の雑踏も、一気に長袖へと様変わりしました。
帰り道の空、ちぎれちぎれの雲を彩る夕陽を眺めていたら、いつのまにやら背後に大きなお月さま。
気温が下がると、色んなものがしんみり肌身に沁みてくる感じがします。そこからまた、自分自身の輪郭がこんな感じなのねと、自覚したりする。
体癖論を知れば、人間関係が楽になる
ぼく自身、迷歩する人生で、心理的・精神的に確かにそうやなあと心得てきました。しかし、空虚なままなんですね。そこに是非はないですが、なんだか、す〜す〜する。
身体が、欠けている。
今、野口整体を学び、ぼくの身丈で実践しながら、あらためて『体癖論』を伝えることの意味って何か、自身に問い直しています。
毎日の生活で、身についているか
人間関係が楽になるって、何も自分以外の他者との関係性だけではないですね。一番身近な他者=自分自身との付き合いは(嫌でも一生)続きます。
そういえば、古典的物語『ゲド戦記』なんかでも、自分自身の『影』が、常についてくる(笑)古今東西、人間なら誰しもが逃れられないテーマです。
自分自身が主人公の物語は、どのように綴られてきたか。少年少女のころ、青年期、中年期、壮年期、その時々の私自身は、他者との関係性を経て、どう在っただろうか。
影、あるいは、月、の視点に成ってみる。
程度の差こそあれ、いつかのどこかで向き合った、あるいはこの先、向き合うだろうと思います。心に嘘はつけないことは、自分自身がよくわかっていることです。
私自身は、どう生きたいか
他者と出会うことは、自分との出会い(出会い直し)かもしれません。その時々に現れては消える、正解も不正解もない答えを、ぼくらの身体は、いつでも感覚し経験しています。意識を向けてなくても、気づいていなくとも。
今月は、開閉型9・10種を軸に『感覚と身体』をテーマにお話します。
深まる季節に、ご自身の感覚を確認するにも、ひっそりご自身と向き合うにも程よいのではないかと思っています。機が合えば、お越しください。
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